ミスチルの偉大さが分からない奴は馬鹿at PHILO
ミスチルの偉大さが分からない奴は馬鹿 - 暇つぶし2ch105:考える名無しさん
08/05/12 00:50:24 O
 特に『I LOVE YOU』の頃から桜井の歌詞の中に、“本で読んだことなんか何の足しにもなりはしない。僕は自分の足でで歩くんだ”的な言葉が出てくることが多くなる。
積まれた理屈を超えて その理屈を超えて(「箒星」)

心配事ばかり見つけないで 慌てないで探しに行こう(「箒星」)

そうだ、理論や知識にもとづいたものじゃなくても、信じた音を奏でよう。間違ってなんかない。きっと正解もない。これが僕らの音。(「僕らの音」)

失敗を前提にした言い逃れをひっこぬいて、呪縛を解け!滑り台の上、ベンチの上、思い立った瞬間、そこは出発点、跳べ 跳べ(「跳べ」)

今、僕らのいる場所が、探してたのと違っても、間違いじゃない。きっと答えは一つじゃない。何度も手を加えた、汚れた自画像にほら、また12色の心で、好きな風景を描きたして行く(「ANY」)

などは典型で、それによって曲は、過去に縛られない軽やかさと飛翔のPOWERを獲得する。自分たちはいかなる歴史も当てにはしない、また、縛られない、とする姿勢が明確に打ち出されている。彼らの勢いはそんなところからも感じられる。

しかし、その一方、BANK FESでの井上陽水とのすれ違いに見られたように、相も変わらぬ問題を潜在的に孕んでいるのも確かだ。井上陽水はMr.Childrenや小林のやっていることに、実はかつての運動家と違わぬ何かを見たはずで、それが感じられたからこそ

わざわざ昔の自分の、全共闘華やかなりし時代にアンチテーゼのように作られた曲まで引っ張りだして、ぶつけてきたのだと思われる。井上陽水からすると、そこにはかつての運動家と同様な、強迫観念が存在したのだろう。

ただ、それは21世紀に見合ったソフトさ、軽やかさを装っていた。しかし、根底においては、寸分違わぬものを持ち併せていた。そんな井上陽水は、Mr.Childrenからみると、過去の歴史に呪縛された人間なのだろうか。

 一切の歴史や記録の呪縛を振り切って、自分たちは自分たちのやりたいように、自分たちらしい夢を描くのだ、とするMr.Childrenと小林武史。だが、他者からみられた姿が、自分たちの言っていることと違うとしたら、そのズレをどれだけ誠実に乗り越えられるかに

彼らの真価はかかっているだろう。

 果たして彼らは歴史から真に自由たりえているだろうか。


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