08/03/25 05:21:33 0
>>67
>現実に、自分の周りにある物は、自分の選択の結果として周りにあるのでそれを見れば内界の傾向が映し出されている
しかし、選択出来ない存在も多くある。
まず、両親は選択出来ない。子供の頃は自身の選択を反映することが難しい、
傷害や体質等もある程度対策はとれても、その存在自体は自身が選択したものではない。
ただ、『傾向』があるだけという話。
それを法則だと思い込んでしまったのが>>1。
自分の選択どころか、【想像すらしていないこと】が経験として降りかかる事実があることを考えれば、
【感情に限らず人生で体験する全て(外界)は「体験者がどんな固定観念を持っているか(内界)」を映し出す“鏡”に過ぎない】という主張は間違っていることが解る。
例えば、隕石についての知識が全く無い時代に、隕石によって負傷を受けた人物。
この人物のどのような観念がソレを体験させたのか説明がつかない。
外界は「体験者がどんな固定観念を持っているか(内界)」を映し出すこともある。とするのが適当。
観念が先に来ることもあれば、経験が先に来ることもある。経験が観念を創り出すこともあれば、観念が経験を創り出すこともある。
しかし、実はメビウスの輪、クラインの壷。実際はどちらが先だと個別に決め付けること自体ナンセンスだと言える。