08/03/10 14:36:04 0
人類は言葉を使うようになって大きな不幸に見舞われた。
言葉を使う以前の人間には読心力のようなものがあって、相手の心を直接理解することができた。
それは直感のようなものなので伝達におけるいかなる中間形態を経ることもなく、
理解の度合いの深浅はあっても、誤解はなかった。そして嘘をつくことが不可能だった。
しかし今はあらゆる嘘が溢れかえっている。また嘘をつくつもりがなくても誤解が生じることがたびたびある。
言葉は心の状態を正確に表す情報量がないから、「心→言葉」の変換で大多数の情報が欠損してしまう。
そして「言葉→心」の変換では言葉の持つ多義性から多くの誤変換が生じてしまう。
これによってコミュニケーションは絶望的に不確実なものになる。
人間の言葉の使用と読心能力の喪失によって、人間相互間に"無理解"という大きな楔が打ち込まれてしまったのだ。
僕がこの"無理解"に大きなショックを受けた初めての事件について紹介する。
僕が二十歳ぐらいの時、僕は愚かにも、同じ本を読んだ人間ならその本から同じ情報量と理解を
得られるはずだと何の疑いもなく信じていた。また議論を重ねれば両者は必ず一致した見解にたどり
着けるはずだとも。当時の僕は「シルバーバーチの霊訓」という本に心酔していた。
それは今日のスピリチュアルブームのはしりともいうべき素晴らしい内容の本で、現在でも愛読者は多い。
僕は当時大学生で金はあまりなかったから、このシリーズ本を古本屋で探して見つけてきては、
買い集めて夢中で読んでいた。そして理解が深まるにつれて、この素晴らしい内容を両親にも
知っていて貰いたいと思うようになった。当時の僕にとってはこれはちょっとした冒険だった。
人生観を根本的に変えてしまいかねないこの本を両親に読ませたら、両親を取り巻く環境は
一変してしまうかもしれない。離婚してしまうかもしれないし、父親は会社を辞めて別の仕事に就くかもしれない。
等々いろいろと両親の人生に与えるであろう影響力について心配をしていた。