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177 名前: 6 投稿日: 2000/09/19(火) 21:57
「観念と物質は違う」とは決して晦渋な言葉ではないが、その違いは何かと考えると結構難しい。「すべては観念に過ぎず、各
自の主観的な考えが絶対である」とされる20世紀では特に難しい。
「本質は現象とは異なる」とは決して晦渋な言葉ではないが、その違いは何かと考えるとかなり難しい。本質を学問の対象から消去した20世紀では特に難しい。
ヘーゲルは言った、事物の違い(差異、区別)を知ることがその本質を知る始まりであると。差異、不等、対立、矛盾と深まる
区別を知ることで対象の本質に迫ることができる。
(ポストモダニスト達は差異という第一の否定(抽象的否定)ばかりを強調したが、差異を言う時、実際に対象にしているのは
むしろ同一性なのです。否定の否定こそが具体的な認識をもたらしてくれる。)
「すべては鏡、反射、反照のうちに現れる。」、この場合の主語「すべて」とは「『すべて』という概念」のことです。
「すべての存在」などは存在しない。
それは区別された実在に反照する本質存在をいうのです。
結局、ヘーゲルは「概念的認識」の重要性を弁証法的に明らかにした事で、ソクラテスやアリストテレスと同様に、永遠に歴
史に残る事になるでしょう。
しかし、F.フクヤマといったチンピラ保守反動のヘーゲル誤読者とは違い、歴史は未だ終わってなどいないのです。
(と言う事で、一旦引くことにします。活発な議論を!)