弁証法は哲学者のオナホールat PHILO
弁証法は哲学者のオナホール - 暇つぶし2ch41:考える名無しさん
07/11/17 17:14:13 0
91 名前: OFW 投稿日: 2001/02/25(日) 00:16
>>90
私の抽象的な言い回しも少し理解されてきたかな。
ヘーゲルも同じことを繰り返し繰り返し思考し直して、概念の働きを明
らかにしていった訳ですから、しつこく説明を試みよう。

>弁証法とは事物の<概念>を捉えることを求める。
そう。概念的把握とは実在対象の十全的な(欠ける所のない完全な)理
解とも言えるでしょう。直接的な存在は、その根拠が明らかにならない
うちは、偶然的で不十分な存在でしょう。概念的把握とは結局、対象を
歴史的に発展する事柄として、動的・総体的に理解することです。

>事物を概念化するということはAと非Aを統一的に把握する認識作用である。
通常の科学や形式論理ではAはあくまでAだと言い、非AとAの区別は
外的なつまり主観的な区別に過ぎないと言われる。
ヘーゲルはA自体の中に非Aを見るから、区別するだけの認識(悟性)
をむしろ「無概念的な認識」と言っています。(マルクスも当時の(今
もそうだが)経済学を同様に批判している。)

>1.これは何?
事物に対する問いがすべての認識の出発点であり、それは、主観が対象X
を立てること(措定と言います)です。「これ」とは目の前にある「何
ものか」(何らかの実在者)です。それは認識によって明確に規定され
るが、それ自体は既にそこにある、つまり前提された存在です。
このことは、「対象」概念の二重性を示しています。「対象」とは、
一方でそれ自体で存在する実在(客観的な存在)を指すが、同時に主観
にとっての「対-象」であるということです。
ヘーゲルは前者を真(実在)の契機、後者を知(認識)の契機と呼んで
いる。両者の区別と統一が働きとしての概念化作用です。
カントは両者を機械的に分離したから、「我々は現象を超えて、物自体
を認識できない」という不可知論になった。



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