08/01/17 19:18:06 0
ちょいと"お出かけ"してたら、名無しさんと最近マジ下痢気味さんのサポートが。
予期せぬ喜びであり、多謝であります。
150 名前: 6 投稿日: 2000/09/11(月) 22:59
>145
113さんもそうですが、「現実問題に弁証法をあてはめる」あるいは「弁証法を利用して現実問題を解決する」という言い方
自体がおかしい。弁証法は便利な道具・手段ではなく、真実に向かうための方法であり、誤謬を通して真理に至る運動が作
る軌跡のようなものです。
確かに、リストラの例を「全体と部分」の矛盾という概念の客観的説明に使ったのは質問の意図に沿うものではなかったようで
す。むしろ、「主体と客体」あるいは「理論と実践」といった、より高次の弁証法の例とすべきだったでしょう。(と言う事で、説明
のやり直しをしよう。)
毎日勤勉に働いていた人が、突然上司からクビを言い渡される。「会社の窮状」と言う理由は本当か。「窮状=困窮した状
態」とは一見客観的な事柄のようだが実は相対的な概念です。ヘーゲルは「状態とは質の外面性である」という内容の定義
をしている。状態性とは「あるものに固有と見える質は回りとの関係の中においてのみそれである」と言う真理を直接的に表現
しているのです。関係性の中で異なる主体によっては困窮した状態=喜ばしい状態かも知れない(例:ライバル会社)。「会
社の窮状」=「社員の窮状」という等式が成り立つのは、会社=社員である場合だけでしょう。論理的にはこれは会社と自己
との「実体的同一視」と呼ばれます。会社と一体化していた社員が会社の窮状を救うために自分の窮状をもってするとは何た
る矛盾でしょう。