弁証法は哲学者のオナホールat PHILO
弁証法は哲学者のオナホール - 暇つぶし2ch105:考える名無しさん
07/11/23 18:09:52 0
137 名前: OFW 投稿日: 2001/04/24(火) 21:35
>>134(RAGE AGAINST THE PHILOSOPHY君)
くだらない煽りにも、何かしら意味があるのだろう…

>弁証法じゃなけりゃ解決できない問題なんてあるわけ?
たとえば、かのマルクスが『資本論』を書くに当たり、ヘーゲルの論理学を読み直して、
「非常に役に立った。お望みなら、自分はヘーゲルの弟子だとおべんちゃら言っても良い」(正確な引用ではない)
と言っている。
つまり、資本主義の本質を解明するには弁証法が必要だと言うこと。商品、貨幣、資本とはそれだけやっかいな
存在なのだ。

>>136(フィロゾファッカーさん)
>お久しぶりです。
お久しぶりです。最近は固定HNが少なくなり、張り合いが無かったです。

>結局、私にとってヘーゲルは難しすぎたようです。
ヘーゲルは確かに難解で、私も「虚仮の一念」で食い付いたのです。
しかし、神秘主義的思弁が混じっているため錯綜しているが、本当はごく分かりやすいものなのです。
(私の説明はマズイですが)
私は、何よりも弁証法を、固定したドグマを批判し、事柄の真実を探求するめの方法、として理解しています。
世の中の矛盾した姿を見て、「これは一体、どういうことなのか?」 と疑問を持ったとしても、
「この世に矛盾など存在せず、正しいものは正しい」 と言う形式論理では、その答は得られない。
たとえば、<合法的な不正>が行われている現状を訴えても、「法は法であり、そのようなものは存在しない。
異議を却下する。」 との裁定が下るのみでしょう。
それは現実の現実性を見ない形式主義です。その形式主義はすべての学問にも浸透していると言えます。
弁証法は、常に実践的・具体的・現実的に事柄に向かう知性の動力であり、働く者に対して、生き生きとした
思想の力を与えるもの、と言えます。
転変極まりない変化の中に静止を見ること、逆に固定した存在の中に運動を見ることは、世界を現実に変革
する者の自己認識でもあるわけです。



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