弁証法は哲学者のオナホールat PHILO
弁証法は哲学者のオナホール - 暇つぶし2ch102:考える名無しさん
07/11/23 06:56:32 0
130 名前: OFW 投稿日: 2001/04/14(土) 23:20
おや、一ヶ月ぶりに上がっている。
>>129
1まず、「形式」(Form)という概念について
古代ギリシャ哲学以来、形式(形相)は質料(Material)との対立として議論されてきたカテゴリーであり、
存在論-認識論において重要なものです。
用語からだけでも、両者は観念論(Idealism、形相主義)と唯物論(Materialism、質料主義)との対立にも関係
しています。
形は静止、完成として重んじられるが、質料は運動、未完成として、とかく敬遠されがちです。ニーチェもギリシャ精神に、
「アポロ的(彫塑的)vsディオニソス的(劇的、音楽的)」という対比を見ている。
形式-質料は相互に反照する本質規定であり、発展すると、形式-内容の対立に移行します。つまり、形式は質料の
他者、他者としての質料であり、個別的な存在(実在するもの)から、その普遍的な面を抽象したものが形式であり、
アスペクト(局面、観点、相面)自体と言えます。
形無き質料は形をもつことにより、それとして規定され得る。質料は個別的な運動の原理であるのに対して、形は普遍的
な静止の原理です。

2形式論理学と弁証法
近代は量の時代、形式化の時代です(量の本質が形式ですから)。
デカルトの「幾何学の精神」以来、数学は世界を計算可能にした。
それは、世界の中の多様な事物を一様な面に射影することにより、すべての対象は形式的に分類・整理され、
原理的に未知なものが無くなった。論理学も伝統的に形式論理であり、「それは白か、白でないかである」などと
言われたが、数学化によりその形式性はより純粋になった。しかし、それは<事柄の内面>に入り込まない、
表面的なものでしかない。それは世界の生成、運動、歴史を無視して、規則(形式、秩序)が永遠だと強弁する。
弁証法はそこを突く。それは徹頭徹尾、批判的、唯物論的、実践的であり、形式の<妥当性>を超えて、
<対象の真>(生成発展する事柄の概念)を目指す内容的、実質的な思考です。



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