弁証法は哲学者のオナホールat PHILO
弁証法は哲学者のオナホール - 暇つぶし2ch100:考える名無しさん
07/11/23 06:50:44 0
127 名前: OFW 投稿日: 2001/03/18(日) 12:09
>>124
>「深遠なものは広大なものでもあるから」を削除して、内包は外延に反比例する、とすべきだろう。
添削ありがとうございます。
ただ、内包量(示強性の量)vs外延量(示量性の量)は、即自的(観念的)vs向他的(実在的)な関係にあり、
現存しない量vs現存する量の関係として、比例が正しいと思います。
現存する量の間の関係(関係が実在的になっている)ならば、“総量(質量、限度)は一定”であり、その限度内において、
両者は反比例すると言えますが。

>そもそも内包・外延を内面・外面と読みかえるのが強引なのだが。
ヘーゲル論理学では、同等のカテゴリーが3度登場する、と言えます。(余り良い言い方ではないが)
最初は実在の領域(直接性)、
2度目は本質の領域(媒介性・相関性)、
3度目は概念の領域(媒介された直接性)
です。

<内包・外延>は量としての実在領域におけるカテゴリーですが、その本質領域での対応(対照)物は<内容と形式>
の相関、あるいは<内的なものと外的なもの>の相関と考えられます。
外面的な大きさは、内面的な大きさ(度量の広さ、教養の広さ等)とは異なり、事物の外面性における単に外的な
(非本質的・偶然的な)ものであり、それは仮象として外面性における単に内的なもの(可能的なもの)です。
真の内面性は自己を現実化する力として、向自的な精神性でしょう。
「人間、40歳にもなれば、自分の顔に責任がある」(リンカーン)だそうです。



次ページ
続きを表示
1を表示
最新レス表示
レスジャンプ
類似スレ一覧
スレッドの検索
話題のニュース
おまかせリスト
オプション
しおりを挟む
スレッドに書込
スレッドの一覧
暇つぶし2ch