07/10/16 15:19:25 0
>>478 :「機械的唯物論」者
>それは「認識の深度」の問題なのです。
おっしゃるとおりだと思います。
この前TVでやってましたが、赤ちゃんの視覚の認識は人間の顔もサルの顔も平等に認識しようとします。
しかし数年成長すると、人間の顔は認識できるがサルの顔は区別がつかなくなります。
仰る様な志向性感覚と言うことでしょうか・・・まあ大人の癖がつくわけです。
ですからその人の個性とはそんな志向性の積み重ねであるとも言えます。
そこで質問です。
その様な志向性、個性から「観念論」「宗教」が生まれるわけですが、貴方はそれも必然だと言う。
ならば必然的に生まれた宗教を「徒労」と批判する意味は貴方にとってどういうものですか?