07/09/11 11:29:03 0
私は「学問の全体像」の自分の頭による理解を目指したのだ。そんなことやって何になる、どうせ無理な話だ
という自問もかつてはしたが、今は、それらを、外側にどんどん出すときがきた。ためらってなどいられない。
自分の理解力の低さを疑って、ためらってみても何にもならない。私が、「大風呂敷」をひろげて、バサリ、
バサリ、と切ってみせなければ、日本の知識層は、大きな観点からの世界水準の学問というものがどんなもの
なの分からないだろう。だから、私がやるのだ。あれこれの細かいことは知らない。それらを知るための時間
投入は、もう私の人生時間に、残されていない。絶対に、忘れてはいけないのは、小さな「蛸壺」に入るな。
常に、学問・思想・知識の全体を見渡せ。その上で小さな分野にこだわれ。ということだ。思想の全体を見渡す、
という構えが、日本人には、極めて病弱である。「重箱の隅を突っつくような議論をするな」と言う割には重箱
の隅を突っついてるのが、日本の知識人層だだ。私がグランド・デザインにこだわるのは、そういう理由からだ。
私は知識と、知恵のグランド・デザイナーを目指す。各部品の不足品は、この国に生まれた以上、しかたがない。
この際どんなにみすぼらしくても、「自分の思想の家」を自力でつくると決めたのだ。
副島隆彦「属国に本論を超えて」P69~70