07/12/31 14:34:39 0
続き
其の5「弱いから虐められる。強くなればいい」「この世は弱肉強食」
其の3と同じで、論点のすり替えである。方法論としては必ずしも間違いではないが、これによって「虐めの原因」が無くなる訳ではない
なお弱肉強食は生物界の一側面に過ぎず、共生など異生物間ですら相互扶助している例は幾らでもある。また虐めは、免疫の無い弱者が己の存在を脅かす相容れない存在を排除する行為、即ち「弱者である事の自己アピール」であり、決して強い証拠ではない
其の6「周囲に不快感を与えたのだから虐められても仕方がない」
感情に自己責任が取れない者の自己正当化である。不快感の原因はそれを感じる各人の固定観念であり自業自得。他人のせいにするのは筋違いである(虐められた不快感も同様。>1-3参照)
其の7「虐めは本能」
本能とは呼吸・睡眠・摂食のように「生命維持に欠かせない行動」をいう。虐めてないと死ぬという人はいないので本能ではない。この理屈は、自己制御がままならない者による「私は脳が未発達です」という告白に過ぎない
其の8「虐めは無くならない」
いつの時代も成長途中の人間は存在するが、天然痘などの病原菌と同じで正しい無くし方を施せば確実に無くなる。無くならないと主張する者が「無くし方を知らない」というだけである
また多くの名も無き人々の不断の努力により人知れず無くなって(解決して)いる事例は幾らでもある。大きく報道されることだけが全てではない
其の9「虐めをしたら厳罰に処すればよい」
飲酒運転と同じで、安易な厳罰化や一時的な対処は問題の陰湿化・冗長化を招くだけである。虐めは脳が未成熟な証拠。何らかのストレスが背景にある事も多いので、非難や制裁以前に監察や教育を施すべきである
其の10「虐められる側を助けるべき」
緊急時はさておき、真に救うべきは”愛に飢えた”虐める側である。被害者を救う必要はない。加害者側を救えば被害者は自動的に救われる。それを無視して被害者のみを救おうとするのは自己満足に他ならない
以上を読んでも尚「虐められる側にも原因が」と主張する人は、己の非(愛の欠如)を認めたくないか感情に自己責任が取れてないか、さもなくば読解力がないのである