07/11/27 20:35:15 0
>>448
>信頼で結ばれた友人同士がスパーリングを行っていれば、お互いへの愛情が故に熱心に「殴る」という行為を行っているという状態にもなるでしょう。
他人を殴る前に愛があればボクシングなんてやらないよ。自分すら大事にできないのだからな
>まあ、後は、ドラマでよく演出されるような。相手を一度叩いて(これで許すという意思表現)胸に飛び込むなんていうのも愛情ゆえでしょう。
愛があれば叩かなくとも無条件で許すよ。まして意思表示など必要ない
>ホームランを打った選手への荒っぽい祝福でみられるように、ぼこっと軽く一発殴ったりも好意的表現での「殴る」になりますね。
荒っぽくして殴ることはないだろ。愛だけなら心で祝福すればよいんじゃないの?
表現するのは誰かからの評価を気にしているか自分のホームランのときも叩いてもらいたいといか
興奮を抑えきれないほど熱中してるんだろうが、それは愛ではないよ
>殴るどころでは無く「殺す」でも愛情ゆえにということはあります(患者の苦しみをみかねての安楽死選択等)。
苦しむ姿を見るのが苦しいから殺すのでしょうな
自分が楽になりたいんだろう
が、犯罪者となって苦しむことになる。結局自分の首を絞める選択だね
>行為者が殴るという行為を「愛情表現の一つ」だと信じていた場合、「愛情」があるからこそ「殴る」という行為を選択するでしょうから。
信じていても間違ってりゃ愛じゃないだろ
殴る理由が欲しいから愛を持ち出す
殴りたい理由が別にあるんだよ。まあ、それは不安なんだけどね
>知り合いは「コノクソヤロウ」という言葉を教えました。―彼は愛情故に「罵声」と呼ばれる行為を選択することとなります。
恋愛の愛は条件付だからどうでもいいが
それでも本人は伝えるのが目的だったのだから目的を果たせて結構じゃないの