壱思想at PHILO
壱思想 - 暇つぶし2ch400:一
07/09/28 03:05:34 O
>>390
小子化についてはいろいろ原因があると思うけど
社会がそこそこ平和でまわりでどんどん人が死ぬわけでもないし
子供をたくさん生む必要を人々が意識下であまり感じてない
ってのがひとつにはあるんじゃないかな

温暖化については特に関心ありまへん

401:一
07/09/28 10:33:22 0
カンジーザイさんはある日
肉体や精神は壱による現象にすぎないことに気付いて何か楽な気分になった
肉体や物質は壱による物質的な現象で
思考や感覚や意志は壱による非物質的な現象だ
万物は壱による現象であり常に転変生滅を繰り返すが
壱は不生不滅、不垢不浄、不増不減
そして壱としての私には肉体も意識も感覚もない
だから迷ったり老いて死んだりすることはないし
修行したり勉強したりもしない
そういう壱としての私が自分の本体だと気付いたら
何かにこだわったり何かを怖がったりするのがバカバカしくなっちゃった
そんな彼のお気に入りの呪文を紹介しよう
でもそんなのカンケーねえ、、あーそんなのカンケーねえ
ハイ、オッパッピー
チントンシャンテントン、チントンシャンテントン

まあこんなのが般若心経の壱思想的解釈かな

402:一
07/09/28 10:37:24 0
>>393
無駄かどうかは何をもって有用とするかで変わるわな
ひまつぶしとしてなら無駄じゃないさ

403:一
07/09/28 10:41:08 0
>>395
それは君が生まれたばっかの赤ん坊のときに見ていた世界だろね

404:一
07/09/28 15:48:27 O
例えば昆虫とか魚にとっての世界は
今俺らが見てる世界とは全然違うものだろう
世界は見られるものによってその姿を変えるが
そのうちどれが正しくてどれが間違いだということはない

405:一
07/09/28 16:02:45 O
そして
誰も見ることのない世界はどんな感じなんだろう?
っていう問いには答えることができない
問いが論理矛盾を起こしてるからね
何かを答えたらそれはもう誰も見てない世界じゃなくなっちゃうじゃん
だからそれは想定不可能だ

406:考える名無しさん
07/09/28 22:42:17 0
一は書籍や情報等から学習し至った経緯があるように見えるんだな。

407:一
07/09/28 23:43:14 0
そりゃ俺も人生経験だけからこの思想を持つに至った訳じゃない
いろいろ本も読んだしネットとかで得た情報にも影響されてるよ

408:考える名無しさん
07/09/29 11:00:35 0
見識の代わりに知識を持ち出し過ぎる自称インテリゲンチャ達の打たれ弱さを生暖かく見守る休日いと楽し。

409:一
07/09/29 12:00:16 O
俺もそういう感じの理知的な女がふと見せる弱さとか好きだよ

410:考える名無しさん
07/09/29 18:55:43 0
URLリンク(4d4u.net)

411:一
07/09/30 03:15:01 0
おもろいスレだね
頭がこんがらがってくるけどな
でもそのスレの1が気づいたことってのは何となくわかる気もする
ちょっと長くてややこしくなると思うけど何とか説明してみるね

まずこないだも書いたけど
俺らは時間と空間という世界を把握するための枠組を持っている
そしてその枠組を度外視して思考することは普通できない
世界には縦横高さの広がりのある空間があり
且つ時間が流れているようにしか認識できない

でも昆虫とか魚にとっては
同じ世界が俺らとは全く違う枠組でもって把握されているだろう
アメーバとか単細胞生物にとっての世界はもっと違うだろう
もし宇宙人がいたら彼らにはまた全然違う世界が広がっているだろう

でもそれぞれの世界のうちで
どれが正しくてどれが間違っているということはない
人間の見てるこの世界や宇宙がデフォルトなんてことはない
それぞれがそれぞれの枠組でもって宇宙を把握している

412:一
07/09/30 03:16:15 0
さてここで誰も見ていない宇宙というものがあると仮定して
それを壱による純粋現象Xと名付けてみる
すると人間の見てる宇宙や世界というのは
純粋現象Xの一つの側面ということになる

純粋現象Xを空間と時間という四次元で把握したものが
今俺らの見ている宇宙であり世界である
だからそれは決して純粋現象X自体を把握しているわけじゃない
その一つの相とでもいうべきものを把握している
例えば宇宙人が十次元把握できる枠組を持ってたとしたら
彼らには世界は十の次元を持つものとして現れてるだろう
それがどんなものかはわからんが

413:一
07/09/30 03:35:18 0
で、その四次元スレの初代1が発見したものをとりあえずYと呼ぶ
以下に1の述べるYの特徴を並べてみる
・Yは言葉で説明できない
・Yは1と0で説明できることではない
・Yを把握するには1だけあればいい
・Yは一歳くらいの頃には誰にでも見えていたが今は普通見えない
・Yは五感で認識するというより直感するもの

414:一
07/09/30 03:45:39 0
以上を要約すると
Yとは普通の人間の思考の枠組で認識できたり記述できたりするものではない
つまりYは時間と空間という思考の枠組で規定することができない

ところでYは一歳くらいの子には普通に見えるという
それはちょうど時間や空間の枠組がまだしっかりと獲得できない時期だ

つまり私の予想では
Yとは時間や空間という思考の枠組ができる前に見えてた世界なのだと思う

415:一
07/09/30 03:51:00 0
なぜ年をとるとYが見えなくなるかというと
時間と空間という枠組が強化され
そのようにしか世界を認識できなくなるからだ
しかしその枠組を獲得する前に持っていた枠組は消えたわけじゃない
ただ普段は意識下に押し込められているだけ
だからふとした瞬間に時空という枠組が外れると
より原始的な枠組によって世界が立ち現れることになり
結果としてYが直感される

416:一
07/09/30 03:55:00 0
んーまだちょっとうまく説明できた気がしないし
興味深いテーマでもあるので
また明日考えてみる

417:一
07/09/30 17:38:44 0
この例に限らず世間でいうオカルト体験なんかも
>>415のような仕組みで体験されてるのかもね

俺らは受精卵から胎児になるまでに魚みたいな形になったりする
これは進化の仮定を辿り直してるように見える
受精卵は受精卵なりの世界を把握する枠組があっただろうし
魚みたいだった頃はそれなりの枠組があっただろう
そしてそれらの枠組は成長に応じて意識下に畳み込まれていく

壱思想では我々の意識上の部分は存在の一部分にすぎないとする
意識化の部分には言葉を持たず思考もしないワイルドな君がいる
意識下には進化の過程における君の歴史全てが畳み込まれてる
魚だった頃の君もいるし猿だった頃の君もいる
そしてそれらは死んだわけじゃなく常に生きている
ただ意識下に押し込められてるだけ
というか意識からは普通は気づかないだけ
君の意識や人格とは君という巨大な氷山のほんの一角にすぎない

418:一
07/09/30 17:56:57 O
考えてみれば音楽を聞いて心が揺さぶられるのも不思議なオカルト体験だ
あれも言語を獲得したことによって不要となり意識下に畳み込まれた感覚の発露なのかもしれない

419:考える名無しさん
07/09/30 19:33:04 0
面白くなってまいりました

URLリンク(aurasoul.vis.ne.jp)

これはどう?

420:一
07/09/30 20:18:31 O
んー特に気になるとこはなかったけど
二元論てことでいえば壱思想は力と物質の二元論といえるかな

421:考える名無しさん
07/10/01 01:08:15 0
>君の意識や人格とは君という巨大な氷山のほんの一角にすぎない

キャハハ フッル www

422:一
07/10/01 01:52:06 O
まあ当たり前といえば当たり前だわな
これからもとんでもない新発見なんかは出てこないよ多分

ちなみに老子はこんなこと言ってる
人は道のことを聞くとたいがい笑う
しかし笑われなけりゃそれは道じゃない

423:考える名無しさん
07/10/01 02:55:17 0
一の表出を笑った覚えはあっても、「道」を笑ったおぼえはないyo。

424:一
07/10/01 03:42:05 O
笑うってのも不思議な行動だよね
当たり前のことをさも俺が発見したみたいに言いやがってちゃんちゃらおかしいぜ
そう思ったとき何で人は笑うんだろう?
態度と内容が不釣り合いだからかな?
不調和とかズレとかは確かに笑いを誘うことがある
しかし不調和が不快感をもたらすこともある
じゃ笑いと不快感を分ける要素ってなんだろう?

425:一
07/10/01 16:02:00 O
壱思想では生は笑うべきものとされる
なぜなら生は真剣に取り組むに値しないと考えるから
真剣に生と向き合う人にとっては生は笑えないし笑えと言われるのは不快だろう
何かしら自分がこだわって大事に思ってるものの秩序や調和が乱されると人は不快を感じる
でもそのズレが突拍子もなかったりして
何かに真剣になったりこだわることそのものがバカバカしくなると人は笑い出す
こだわりから解放されると人は笑う
それはとても気持ちのいい爽快な笑いだ
でも笑いにもいろいろあるね
気持ち悪い笑いもある
それを分ける要素ってなんだろう?

426:一
07/10/01 16:56:18 O
愛想笑いとか鼻で笑うとかは
自分がバカバカしくなるというよりは相手をバカにする笑いだわな
いじめたり悪だくみしてるときの笑いもそうだろう
気持ち悪い笑いは他者を馬鹿にするから起こり
気持ちいい笑いは自分を馬鹿にするから起こる
馬鹿にするベクトルの違いが気持ちいいか悪いかを決めてるんじゃないか

427:一
07/10/01 17:02:06 O
でもじゃあ赤ん坊はなんで笑うんだろね
ただ単純に目が合っただけで笑っちゃうこととかもある
ああいう笑いはなんなんだろう?

428:考える名無しさん
07/10/01 18:51:31 0
>壱思想では生は笑うべきものとされる
美しいものを見たときの言葉にできない畏怖
異性を好きになったときの神秘的な感情
失恋したときの救われざる永遠の悲しみ
聖なるものに対する根源的な好奇心
自分が命をもっているということにたいする恐怖
生きている大自然に対する絶大な驚嘆
こういうものを感じているとき、もしくは感じたけいけんがあるなら以後ずっと、
決して、生は笑うべきもじゃなくなると思いますよ。生は驚くべき畏怖の対象になる。
生自体が笑うべきというより、一般的な範疇での生の営みが笑うべきといったほうがよくはなくて?
笑い笑いばっかで、命に関するものまで笑うくらいなら、べつに哲学する必要もないんじゃなくて?
宇宙や命に対する形而上的な畏敬の念こそが、哲学を動かしているものだと思われます。
そういうものを知らない人が、壱を悟って、生が笑うべき対象だとかいって、いろいろと自分の思想を公開されたところで、
別に他人からみれば何の魅力もないです。
哲学者も神秘主義者も、命の本質に対して真剣に洞察をいれているからこそ、本当の一なるものに対する形而上的認識に届くのだと思われますよ。
苦脳こそが人を神聖にすると説いた偉大な哲人は、生きることそのものが盲目的なものだという諦念に辿りつきましたが、
スレの最初から意味もない鬱や苦しみは愚かなことだとか言って、生は笑うべきで真剣に取り組むべきものでもないとか言われても、
本当に真剣に苦しみながら哲学的に生を洞察した偉人と比べたら、まるで茶番でしかないんです。
とくに深い思想にたどり着いたわけでもないのに、勝手に生一般を笑ってしまってるようでしたら、
本当に意味のない思想だと思いますよ。ただ過去の思想の同語反復のようにしか思われません。魅力は感じません。
命に対する畏怖や生きなければならないという苦痛を忘れてしまったら、思想は過去の偉人の言説の同語反復かただの言葉の羅列になるでしょう

429:一
07/10/01 19:49:14 O
何か予想もしてなかったようなことに出くわすと人間は笑ってしまう
赤ん坊にとっては毎日が想定外だろうしそれで笑っちゃうのかもね
それは頭脳が劇的に変化するのを和らげるクッションのようは機能なのかもしれない
俺が人生を笑っちゃうのも笑わないと気が狂うからかもな
忘れる機能と笑う機能は脳を正常に維持するためにもともと備わってるものなのかもね

430:一
07/10/02 04:54:03 0
>>428
んーまあ気になるとこを要約さしてもらうと
・形而上的な存在に畏怖や驚嘆を感じると生は驚くべき畏怖の対象になる
・驚くべき畏怖の対象は笑うべき対象ではない
・命に関するものまで笑うくらいなら哲学する必要はない
・形而上的な畏敬の念が哲学の原動力である
・苦悩こそが人を神聖にすると偉大な哲人は説いた
・苦悩のない思想は茶番である
そんなとこかな

431:一
07/10/02 05:21:55 0
まず哲学についてだけど
哲学とは何かというのはまあ人それぞれいろんな定義があるんだろうけど
そもそもphilosophyっていう言葉はギリシャ語で
「知を愛する」とか「知の友達」みたいな意味で
対話なんかしながらいろんなことを考えることを愛するってこと
それが哲学だと私は思ってます

確かに近代の西洋の哲学者は苦悩した人が多いだろうけど
苦悩する哲学だけが本物であとは茶番だってのは違うと思うな
近代の西洋の哲学者がみんな苦悩したのはキリスト教と哲学が
どうしても相反するからだと思うよ

ちなみにプラトンは「国家」でこんなこと言ってる
人生には真剣になるべきことは何一つない

432:一
07/10/02 05:41:14 0
哲学の原動力についてはそんなに異論はないな
君の言うように
言葉にできないような感動や驚嘆や畏怖の情から
形而上的な思考は生まれるし、それは思考の原動力ともなる
そこまではわかるけど
だから生は畏怖すべきで笑うべきでないってのはちと飛躍があるんでない?

まあ要は尺度が違うんだな多分
俺は生を軽く感じるけど君にとっては生は軽くない
俺にとってこの生や人格は全俺のうちのごくごく一部だから軽い
けど君にとってはそうじゃないから軽くないんだろう
そうじゃない人に無理に生を笑えとは言わないよ
苦悩したきゃ苦悩したらいいさ

433:一
07/10/02 05:49:34 0
だから壱思想的にはどんな人生を送っても偉大も卑小もない
苦悩して真剣に真理を追求しようが
一生遊び呆けて人に迷惑かけ続けようが
そんなの俺らの存在の巨大さに比べたら誤差の範囲だから

434:一
07/10/02 15:40:23 O
だから壱思想的には
苦悩し真剣に真理を追求した人を人々が偉人だといって称賛するその光景こそが茶番で
その彼のしかめっ面が実に笑えるということになる

これは俺が正しくて君が間違ってるというような問題じゃない
ただ単に視点が違うだけ
この視点に立つことが正しいとも思わない
人生いろいろ
視点もいろいろ

435:一
07/10/02 16:49:53 O
だからこのスレも茶番
書き込んでる俺も茶番
壱思想がそもそも茶番
俺は俺も世界も笑う
壱思想は壱思想自体を笑う

436:考える名無しさん
07/10/02 19:43:18 0
インド哲学でオススメ書籍おせーて。

437:一
07/10/02 20:54:00 O
Osho「存在の詩」かな
わかりやすいよ

438:考える名無しさん
07/10/02 21:29:18 0
あれ、おわっちゃうの?

439:考える名無しさん
07/10/02 21:36:09 0
>>430->>434
苦悩、真剣さ、命にたいする畏敬、が欠けてるから茶番だ、
と言いたかったわけじゃなくて。
貴方、独断的にいろいろと笑いの対象にしたり、
自分の立脚している思想体系のもとにいろいろ判断したりしているだけで、
ていうかそうだから、
全然、深みまで潜れていないのよ。
だから、そう簡単に決め付けてしまわないで、たとえばもっと苦の煉獄や笑えない恐ろしいものを直視してみた方が、
いろいろと認識も深まるでしょう、そうしたらいいのに、て思ってみたので御座居升た。
認識の深さなんて、人間の心に底がないのと同じで、いくらでも突き詰めれば深まるはずなのに。
別に当たり前のことを言っているだけしか思えなくて、スレ丸ごと思想を語るつもりなんだったらってちょっと期待してたもんだから。
体験的にも理性的にも深く哲学をやってるていうのは、とても感じましたが。
生命感に満ち溢れる認識、個性的な斬新な認識、というのがあまり感じられなくて、哲学史の同語反復のように思われました。
>>262に非言語的な領域を自分として見る、というのがありますが、たとえばそこで言及されているユングにとっては子供のころから感じていた当たり前のことですよ。
一なるものへの認識は、完全に内向的、求心的な認識だから、外へ、つまり新しい認識へ向かわない。だから外の人がどういう認識をもっていたかということに関して盲目になる。
著名な哲学者や神主義者は、自分なんかよりもはるかに凄いことを認識している、それを自分も認識したい、そういう畏敬に近い構えがないと何も進まないと思われます。
貴方が、壱という一なるものを悟ったところで、それをもっと広く生に対する認識へつなげなければもったいない。
それで壱へ求心しているあいだは、自分の理念に基づいてしかものを見れない。だから、関係ない、意味ない、笑うべき、とかで簡単に片付けてしまう。
知識はたくさんお持ちみたいですが、何かしらその知識の可能性を無駄にしてしまっている。
壱思想という思想によって簡単にその知識の意義が決定されてしまっているから。


440:考える名無しさん
07/10/02 21:36:42 0
ヨガの僧になりたい、ここに書かれていることとは比較にならないほどの恐ろしく内向的で体験的体感的な認識へ将来達したいつもりなら、
別に壱に今以上に憑かれたままでいいと思いますが。
壱思想を豊かにしたかったら、一度、壱、一なるもの、根源的一者、ショーペンハウアーの意志、そういう全体であり一である類のものに憑かれないで、思考をもっと外向させ、
新しい認識、新しい感覚、新しい直観を求めた方がいいように思われ升。
形而上的なもの一なるものを形而下的に体感的に認識するのも大事だと思うけど、
たとえばニーチェが芸術に触れて感性を豊かにしていったように、一度哲学以外のものに深く触れては?など勝手に思いました。
なにか足りないといえば、やはり感性が足りない。哲学好きの男性であれば仕方ないことですが。
でもせっかくいろいろ考えてるのに、そのせいで認識の視野が壱点に絞られてしまっているみたいでもったいない。
感性がもっと深まれば、思春期の青臭い自意識の葛藤のような何処の教養小説にも書いてあるようなことを遥かに超えた、
美、苦悩、聖なるもの領域を体験できると思われます。
自分のもう完結してしまっている思想体系だけが、ほとんど貴方の思考の基準を決めてしまっていて、
あらゆる感じうる認識しうる感覚や概念が鉄も金も石も何でも混ざってる砂だとしたら、
きっと貴方の理念が磁石になっていて、鉄しか感じられていない認識できていない、
せっかくいろいろなこと知ってるし考えているのにただ笑って済ませてしまうのはもったいない、
このスレたまに見てたけど、そういう印象がしました。勝手な批評、横槍長文失礼。

441:考える名無しさん
07/10/02 22:05:42 0
>>439
自分信じすぎ

442:考える名無しさん
07/10/02 22:46:43 0
441がそもそも、うんこやな

443:考える名無しさん
07/10/02 22:51:28 0
あほか

444:一
07/10/02 22:58:42 0
>>439-440
ははw
俺の人生の心配してくれてるわけね
そりゃご親切なこってす
ありがとさん

芸術や美については今まであまり書かなかったけど
そのうち流れが来たら書こうと思うのでお楽しみに

ちなみに君が尊敬してるかはわかんないけどデカルトさんは
森で迷子になったときはとりあえず一方向に進むべきだと言った
どういう意味だと思う?
私は壱という極星を目指してひたすら歩くのみ

445:一
07/10/03 00:01:55 O
ちなみに私は哲学や思想よりも音楽が一番好きでね
音楽にかけてる時間の方がはるかに多いよ

446:考える名無しさん
07/10/03 00:33:41 0
>哲学や思想よりも音楽が一番好きでね
いわゆる体験的に哲学をする人にとっては、音こそが最高の意識の媒体だと感じる人が多いですね。
脳内をサイケデリックにさせる感覚は、聴覚の次は、五感の中では視覚ではなく意外に嗅覚だということを、香水マニアからきいたことがあります。

>俺の人生の心配してくれてるわけね
>そりゃご親切なこってす
>ありがとさん

いえそういうわけではなくて
現時点で当スレにある言葉からわかる範囲での思考を辿ってみると、
なんとなくそういう気がした、それでどうしようもなく胸が騒いでしまった、というだけのことです。
貴方の対象に対する接し方は、対象のうちの自分が立脚している壱思想という理念が感知した部分・本質的だと思った部分だけ
抜き出して対象のその他の面には触れる前からその対象がそういうものだと決めている、だから、
対象の、拡張するとこの世界の、生(なま)の姿は、ひどく求心的な理念によってあらかじめ姿が変えられている、
そういうふうに感じました。壱思想を優先しすぎて対象にはごく一部しか触れていないというような。
生を笑うというのであれば、生のもっとぎりぎりの生の姿を見てから笑う方が、いい笑いではないかと。
そういう種類の疑問があったわけでして。
笑い、というのはうまく利用すればいわば真実と現実の妥協弁のようになると思われますが、
下手に笑うと、下品になったり、苦々しくなったり、自嘲染みてきたりして、ただ笑われるだけの道化を演じてしまうという危険もあると思います。
まあどういう思想をもつかは人それぞれですか何も口出しする権利はないのですが、
ただ、そのデカルトのお話のような星として空にあるものではなくて、地下のしかも地球の中心に壱が居そうな気がします、変なところに迷い込まないよう、お気をつけて。

447:一
07/10/03 04:22:57 0
>聴覚が最高で次が嗅覚
俺は聴覚より鬼頭の触覚の方が脳内麻薬が出やすいかな

>壱思想は生そのもののごく一部にしか触れていない
>もっと生に深く接してからでなくては生を笑うべきではない
俺さ、高校生の頃さ、何かっつーとすぐ先生に突っかかるような
すげー生意気で嫌な生徒だったんだけど
特に漢文の先生が気に入らなくてさ、期末テストのとき一個も解答しないで
漢文の勉強なんて意味ないと思いますとかもっと他に教えることあるだろとか
そういう文句ばっか書いて提出したことがあんだけど
返ってきたテストには赤ペンで0点て書いてあってその下に
「やることやってから言いなさい」って書いてあったんだよね
何かそんなこと思い出しちゃったなw

448:一
07/10/03 05:13:28 0
まあその先生と君の言ってることは一緒だと言いたい訳じゃないけどさ
まあ言いたい事はわかる気がするよ
確かにこのスレを俺が他人として読んだら
いろんな過去の思想を適当につぎはぎにして作った理念とやらで
勝手に都合良く世界を理解してるようにしか見えないかもしれない

でもさあ・・・
そんなもんなんじゃないかなあ所詮人間の思想なんて
君の尊敬する人だって結局は自分の都合いいように世界を理解してるのさ
世界そのものをあらゆる角度から理解できる人なんていないよ
そりゃ程度の差は多少あるかもしれないけどそんなのドングリの背比べだろ

449:一
07/10/03 06:05:20 O
ちなみに私の思想形成には両親の死を看取ったことが大きく関わっている
それが君に生のぎりぎりの姿を見たと認めてもらえるかわかんないけどさ
そんなのもそのうちそんな流れになれば書くことがあるだろうからお楽しみに

450:考える名無しさん
07/10/03 17:12:53 0
両親亡くしてるのか。大変だったな、、、。

451:一
07/10/03 19:01:08 O
また私の母は統合失調症であった
彼女と向き合った日々ほど私の思想を影響し決定づけたものはない

そういえば智恵子抄の智恵子も分裂症だ
ま、たまたまかな

452:考える名無しさん
07/10/03 20:22:44 0
あれ、おわり?

453:考える名無しさん
07/10/04 02:06:55 0
>>447
そういう青春真っ盛りな意気込みだけははそのままで、
そういう青春真っ盛りな思いつきは
大人になっても引きずったりしないように、
思想を創っていくことができたら、それは素晴らしいことですね。
>>448
もちろん誰でも自分の都合のいいように世界を解釈するもんで、
哲学史は解釈相互間の闘争の場のようなものなのだともいえるし、
影響力のある哲学者ほど自分の理念のもとにあらゆる物を解釈しているものですが、
その解釈作用をする理念が、強度があったり、創造的であったり、深く生を認識していたりしてこそ、
他の解釈を押しのけて新しい哲学として影響力をもつわけであって、
そうでもない状態の自分の哲学的な基盤を疑わずに信用しすぎて、
その基盤のもとにしかあらゆるものを解釈できない、何もかもを壱思想的にしか吸収できない傾向が強くなってしまえば、
哲学的基盤、自分の思想は豊かにならない、他の人の哲学から大事なものを吸収できない、
自分が認識しているだけのことしか自分は認識していないのであって自分が認識していないことを哲学者はたくさん認識しているということを忘れてしまう、
そういうことになってしまいそうだから、その壱思想というものに憑かれたままでは
よくないのではないかな、という感想があったわけです。
同じ壱という一なるものに関する思想をあらゆる考えを抽象していって抽象化論理化していくにしても、
いろいろな多くの認識を手に入れた上でしたほうが、ずっとその思想は豊かになるでしょう。
勝手な批評、気を悪くされていたら申し訳ないです。
自分の思想という内側にあるものへの内向と、他の哲学者やその他世界に存在するいろいろな思想や芸術への外向の、
呼吸のようなリズムが、思想を豊かにしていくように思われます。

454:一
07/10/04 17:17:46 O
まあこれまでもそうだったように私の思想は今後も微妙に変化していくだろう
私は思想が完成したとは思ってないし、それにしがみつく気もないから
ただ
いろんな家具や調度品や芸術品の置かれた洋間のような豊満な思想よりも
畳と襖しかないガランとした空間に掛軸が掛かってるだけの和室のような思想に近付いていく気がする
まあこれはどっちが正しいかじゃなく趣味の問題だわな

455:考える名無しさん
07/10/05 19:04:22 0
age

456:一
07/10/05 19:05:26 O
まあでも例えば
料理の道を極めようと思ったら旨さとはこういうもんだとかいう思い込みを捨てて
初心に帰ってあれこれ食べてみるべきだろうし
俺もそんな風にして日々起こる事に接していきたいと思うよ
それが、こだわらない自由人なんであって壱思想的生き方なのさ

457:考える名無しさん
07/10/05 21:04:26 0
易や風水にもつながりそうだな

458:一
07/10/05 23:06:07 O
そういうのは全然詳しくないけど「気」というのは壱に近い気はするな
元気って言葉が俺は好きでね
いろんな気のもともとの気
元気は無邪気で無尽蔵であり疲れを知らない
そういうものが私の本体
そう思うと辛いときでもほんとに元気が出て来るのは不思議だ

459:一
07/10/05 23:16:55 O
何かしら元気を阻害するものはできるだけ捨てていくべきだし
ちゃんとしたメシを食ってちゃんと寝ることが何よりも大事だと思う今日この頃です

460:一
07/10/05 23:28:10 O
だから猪木さんが
元気ですか~っ!と叫び
馬鹿になれ
とことん馬鹿になればほんとの自分が見えてくると語るのも
深いな~と思うな
ほんとの自分とは元気そのものなのだ

461:考える名無しさん
07/10/06 01:31:47 0
>いろいろと認識も深まるでしょう、そうしたらいいのに、て思ってみたので御座居升た。
>新しい認識、新しい感覚、新しい直観を求めた方がいいように思われ升。

↑に萌えてる僕は負け組みですね・・・

462:一
07/10/06 02:35:39 0
その元気が私の心臓を動かし肺を動かしている
私の細胞一つ一つを動かしているのも元気である
元気こそ私の主人公であり私自身なのだ
元気としての私は宇宙ができたころから存在していて
未来永劫存在しなくなることはない
そして常にあらゆる空間に元気としての私は満ちている
だからその元気があなたの心臓も動かしている
ということは結局私とはあなたでありあなたとは私である

463:一
07/10/06 02:38:41 0
>>461
大丈夫だよ俺も少し萌えてたしw

464:一
07/10/06 13:11:02 O
精神も肉体もぐにゃぐにゃにやらかくしとくのが元気をスムーズに流すのにいい
硬さ、凝り、こだわり、わだかまりは元気の流れを阻害する
ヨガや気功も元気を滞りなく流すために身体を整える努力といえる

465:考える名無しさん
07/10/06 15:00:04 0
壱とは生命そのものという感じかな

466:一
07/10/06 16:38:21 O
んーそうだね近いかな
より正確に言うと壱とは生命そのものの原動力みたいなもの
ありとあらゆる現象の原動力が壱
だから天体の運行の原動力も壱
だから壱は生命にその対象を限定していない

467:考える名無しさん
07/10/06 17:32:22 0
原動力かぁ。
原動力の原理ってどんなん
かな?

468:一
07/10/06 17:48:06 O
宇宙が超巨大なドミノ倒しだとしたら
その最初の一個を倒した力のことを私は原動力と呼ぶ

469:考える名無しさん
07/10/06 18:38:02 0
だからー、その原動力に原理はないの?と聞いたんだけど

470:一
07/10/06 19:03:25 O
そら失礼しますた
原理って言葉で君が意味したいことがまだつかめないけど
宇宙の最初のドミノを倒すってのは一回限りのことで再現することはできない
原理とは普通何回もある現象を観察して見出だすことのできる、
こうなったら必ずこうなるというような法則のようなものだと思うけど
そういう意味でいえば壱に原理があるかはわからないな
壱に原理を見出だすには宇宙を何回か一番最初から始めさせて観察する必要があるだろうから

471:考える名無しさん
07/10/06 21:42:34 0
そだね。
すんまそんw

壱からあらゆる原理が発生しているということか。


ついでに、前に君が紹介してくれたOSHOって本探した
んだけど、これ書店に置いてなかった。図書館にもなかった。
アマゾンで注文中。読んでみようと思う。
図書館にI AM THATという題名のインドの本があった
んだけど、これも同じ部類かな?

仏教哲学は、どういった本?

472:考える名無しさん
07/10/06 21:45:48 0
もの こと の理を説明してみてくらさい
イデアについて説明してみてくらさい
老子の道について説明してみてくらさい

473:一
07/10/07 00:36:47 0
>>471
I AM THATは読んだこと無いけどざっとググって読んでみた感じでは
壱思想とある部分似たようなこと言ってるっぽいね
よかったら読んでみてよ
仏教思想は俺もよく知らんけど
禅だったらOshoの「究極の旅」はおもしろかったかな
でも彼の本はほんとにインド思想や仏教思想を勉強したいならおすすめしない
一般的な教養として読みたいならその専門スレの人に聞いてみるがよろし
Oshoの本は勉強になるというよりはおもしろくて何か癒されるって感じかな

474:一
07/10/07 00:42:28 0
>>472
ものの理ってのはいわゆる物理のことかな
物体のふるまいにおける法則といったところか
ことの理ってのはなんだろね
形而上的なことにおける法則とか原理原則みたいな感じかね

イデアや道に関してはその専用スレで聞いてみるとよろし

475:一
07/10/07 01:10:34 0
ただ原理だとか法則とかいうのも
人間が四次元の思考の枠組を持つからその帰結として存在し発見されるのであって
宇宙人が十次元の枠組を持ってたらまた全然違う法則があるだろうし
魚や昆虫にはまた全然違った法則があるだろうし
我々の発見した法則というのが宇宙のデフォルトということはない
だから極言すれば人間がいなければ我々に知られてるどんな物理法則も存在しない
なぜなら人間がいなくなればこの世界をこのように把握する存在はいなくなるから
我々の見ている世界は純粋現象Xの一つの相にすぎない
我々の発見した原理や法則はその一つの相における原理や法則にすぎない

476:一
07/10/07 09:45:42 O
だから人間の意識下においてはどんな物理法則もカンケーない
なのでUFOや幽霊のような物理法則を無視した現象が時々知覚されるのだ
それもまた宇宙の一つの相

477:一
07/10/07 13:13:17 O
いろんな芸術のインスピレーションの源泉も
意識下での宇宙把握にあるのかもね
天才と狂気は紙一重だと言われるのも

478:考える名無しさん
07/10/07 20:46:18 0
一は(和風)ポストユンギアンなのかい?

479:考える名無しさん
07/10/07 21:53:57 0
本紹介してもらったもんだけど、
早速読んでみるわ。

それと、また間違えたw
仏教哲学じゃなくて、禅関係でおすすめ本なんかある?
と書いたつもりが、、、、

480:考える名無しさん
07/10/08 00:07:41 0
人の認識の枠を超えた話は全部戯言

遊びとしては楽しいね
かわいいね

481:一
07/10/08 01:04:30 0
>>478
なんなんだろうね
好きなようにレッテル付けてくれたらいいよ
俺は何だとも思ってない
酔っぱらいの戯言でも結構
実際そんなもんさ
>>480
照れるじゃないかw

482:一
07/10/08 03:40:41 O
私は認識できないことでもそれを想定して仮説を立てることができる
それができてしまう限り私はそれをやめるわけにいかない
なぜなら私は認識できる枠内の材料だけで自分の存在のあり様を
自分に納得させることがどうしてもできないから

483:考える名無しさん
07/10/08 06:48:32 0
認識できる枠内の材料だけで自分の存在のあり様を
自分に納得させることがどうしてもできないから
それを想定して仮説を立てることができる

↑って書き方はおかしいのかな?

484:考える名無しさん
07/10/08 08:23:32 0
自分に納得させることができない・・・

能力不足を補うための想像に頼った考え
それが思想なのかもしれないな

思想を持つのは弱さの現われ、か

485:一
07/10/08 09:43:41 O
どんな科学者でもまず直感から仮説を立てる
そしてそれが既知のものと整合性を持つかどうかを検証していく
なぜ仮説を立てるかというと既知のものではどうしても納得できないから

486:一
07/10/08 14:50:38 O
既知のものから未知のものを類推することが思考するということで
絶対に答えの出ないような問題を粘り強く考えることを愛することこそ本来の哲学
だから簡単に納得したり諦めたりしない人、
人がさっさと通り過ぎるとこでつまずき続けるような人が思想を持つ

487:考える名無しさん
07/10/08 18:36:07 0
あんこう鍋、美味しうございます

488:一
07/10/08 19:39:57 O
そりゃようござんした
もうそんな季節なんですなあ
肝は召し上がられました?

489:考える名無しさん
07/10/08 19:44:21 0
肝は油分多いから少ししかたべてないよ

490:一
07/10/08 19:53:58 O
そりゃヘルシーでますます結構なこってす

491:考える名無しさん
07/10/08 20:02:17 0
「壱」と「一」の中の人って一人なの?

492:一
07/10/08 20:28:20 O
一人だよ

493:考える名無しさん
07/10/08 20:33:30 0
別で「釣り(および指示)」とかしてないの?

494:一
07/10/08 20:40:13 O
してないよ

495:考える名無しさん
07/10/08 21:10:33 0
自然界はアートだな~

色もそう
形もそう
配置もそう

すんばらし


鍋の季節か~おいらはキムチ鍋が一番好きさ~

496:考える名無しさん
07/10/08 21:18:59 0
はにゃー

497:考える名無しさん
07/10/08 22:45:02 0
不安や心配ってなんだろう?

498:考える名無しさん
07/10/08 22:55:13 0
>>497

おせてくらさいな

499:一
07/10/09 01:48:01 0
>>495
最近美しいと思った自然って何?
それの何がどう美しかった?
>>497
最近不安や心配を感じたことって何?
それの何がどう心配だった?

500:一
07/10/09 02:42:45 O
一口に美しいと言ってもいろいろあるわな
俺の場合だったらこないだ釣ったソウダガツオが美しかったなー
ソウダって鱗があんまなくて表面がツルツルの銀色の魚なんだけど
釣り上げたとき朝日が反射してキラキラ輝いてほんとキレイだった

人間は基本的にキラキラ輝くものを美しく感じ有り難がる習性がある
古代の人が鏡に神秘的な魅力を感じていたのも同じ習性からだろう
この習性の源泉は太陽崇拝にあると思う
古代の人にとっては雨や嵐のあとの日光は実に有り難く神聖なものだっただろう
その名残として光るものを好む習性が残ってるんじゃないかな

501:一
07/10/09 02:58:19 O
不安や心配は期待感やワクワク感と表裏一体なものだと思う
未知の未来に対して何かしら期待すると同時に不安や心配が生まれる
期待がなければ不安も心配もない
逆に言えば不安や心配があるところには必ず何かしらの期待がある

502:一
07/10/09 16:40:28 O
また人間は
形や色はどうでも
とりあえず馬鹿でかいものを見ると美しいと感じるようにできている
高い山や深い谷、でかい滝や川、広い海や空
こういうものは世界中で信仰や崇拝の対象となってきた

じゃなんで俺たちはでかいもん見るとそんな風に感じちゃうんだろね

503:一
07/10/09 16:55:27 O
でっかい木が俺は好きだなあ
何かでっかい木見ると「うっ」てなる
気で負けるっていうかな
かなわねえっていうような気分になる
すいませんでしたと謝りたくなる

504:一
07/10/09 17:00:38 O
キレイな海潜って魚がたくさんいるのを見たときも同じような感じがしたなー
何か自分が入っちゃいけないような聖域に踏み込んだような感じ
申し訳ありません すぐ出ますんで みたいな気持ち

505:一
07/10/09 19:14:14 O
満天の星空のような巨大な情景を目の当たりにすると我々は
あー俺ってほんとちっぽけな存在だなーと感じる
時にはそれを超えてすっかり時間や自分を忘れることもある
言い換えれば巨大な情景を目の当たりにすると
自分の世界における意識上の自意識の範囲が狭まっていき
時にはその存在が無くなることさえある

506:一
07/10/09 19:29:12 O
さらに言い換えれば
巨大な情景を目の当たりにすると人格の意識や時間の意識は弱くなり
時には空間の意識さえ消えかかる
その辺に美しいと感じる情動の源泉がある気がする
もう少し考えてみよう

507:一
07/10/09 21:30:36 O
多分古代の人たちにとっては美しさと神聖さは一緒の感情だったんじゃないかな
「うっ」となって言葉を失って立ち尽くすそういう対象を崇拝するのは自然な感情だろう

508:考える名無しさん
07/10/09 22:16:22 0
自然の壮大さを目の当たりにすると一瞬思考がなくなる
我がなくなるような
純粋に純粋な自然に対しての反応が美なのかもな。

圧倒されて こりゃかなわねー的感覚も持ち上がってきて崇拝したり
したのかもな。

老子が無為自然を薦めているのは、それが本来個々の自然美だし
無理なく自然に進むからかもな。
葛藤もストレスもなく。

509:考える名無しさん
07/10/09 23:23:00 0
ゆうだいなしぜんにあっとうされる

それが先入観だとは、思わない
疑わない
疑いという意識を向ける対象としてみることができない

普通人たちの限界が垣間見れる事例のひとつだな

510:一
07/10/10 14:38:58 O
そういや射精するときも「うっ」てなるよね
古代では男根女陰も崇拝の対象であった
セックスの時も盛り上がると人格や時間や空間の意識が弱くなる

511:一
07/10/10 15:02:48 O
美を感じ感動するとき人間は「うっ」となり言葉を失う
次いで歓喜とも安らぎともつかぬような感情が静かに溢れだす
一方そのとき同時に人間は人格や時空の意識が薄れている
ここから
人間には人格や時空の意識が薄まると何かしらの快感を覚える習性がある
と一応推測できる
ではなぜ人間は人格や時空の意識が薄まると何かしらの快感を覚えるのだろう?

512:一
07/10/10 15:09:27 O
その理由にこそ
美が美たる所以
人間を感動させる力の源泉
つまりは美の正体が隠されている

と一応推測できる

513:一
07/10/10 23:24:22 O
私のとりあえずの仮説はこないだもちらっと書いたが
先祖帰りの本能が人格や時空の意識の弱まった人間に快感を感じさせる原因
というものだ

人間は常日頃帰りたいなーと無意識のうちで思っている
何の問題もなく存在していたあの頃に帰りたい
巨大な情景や偉大な芸術に出会うと人間は一時的にあの頃の存在の仕方に帰れる
だからその時欲求が叶うので快感を感じる

514:一
07/10/10 23:31:28 O
海辺でぼーっとして波の音に身を任せてると不思議と
我が家に帰ってきたかのような安堵感に包まれるものだ
海は我々の故郷
我々は心の奥の方でいつも海に帰りたがってる

515:一
07/10/11 00:30:30 O
じゃなぜ人間は帰りたがってるのか
それは本能が猿から人間への進化をやべっなんかまずいぞと気付いてるからじゃないか

前にもちらっと書いたが微生物は異常な進化を遂げると何世代かかけて元に戻ろうとする
人間の意識下にそういう意志があったとしても不思議ではない
何よりもこの何千年かの人類の体たらくを見れば
人類が地球にふさわしい生物じゃなく
いなくなった方が地球にとってはよっぽどいい存在であることを証明してるようなもんだw

516:一
07/10/11 00:34:53 O
だから多分自然に対してすいませんっていう気持ちが生まれる
自然に対する畏敬の念の源泉もここにあるのではないだろうか

517:一
07/10/11 12:03:43 O
老子やルソーが自然に帰りたがるのもその回帰衝動の現れ
セックスしたがるのもその回帰衝動の現れ
何か気疲れしたとき海とか川に行きたくなるのも

518:一
07/10/11 12:45:37 O
だから色や形がすばらしいから自然が美しいというより
自然そのものが既に美しい

美しい海とは自然そのままの海のこと
醜い海とは人の手の加わった海のこと

519:考える名無しさん
07/10/11 13:47:31 0
やばい方向に走り始めたな

韋駄天二号の誕生か?

520:考える名無しさん
07/10/11 17:08:28 0
人間だって死ねば自然に自然と還るだろ。
動物だろうが植物だろうがそうだろ。

人間も自然界の1部なんだからその自然界の1部が手を加えたからといって
不自然(醜い)となるだろうか。
ある意味、それも自然だと思うんだが。

521:一
07/10/12 04:48:36 O
まあ言いたいニュアンスはわからんでもないけどさ
より大きな視点から見れば人間の所業もなるほど全て自然
まあそれはそれとしても人間は通常の目線においては自然不自然や美醜を感じてしまう
それは何故かと今考えているわけなんでがす

522:一
07/10/12 06:40:22 O
なので人間の深層意識には
自分たち人間の子孫繁栄を望む意志と
人間以前に回帰しようとする意志とが
微妙なジレンマをかかえながら混在していると考えられる

523:一
07/10/12 06:50:32 O
その辺が人間が自分がやりたくてやったことを
不自然で醜いと感じてしまうという矛盾の原因なんじゃないかな

524:考える名無しさん
07/10/12 11:30:16 0
自分の思想に酔い始めてるぞ

もう少し冷静になってよく考えろ

525:一
07/10/12 15:27:55 O
あいすみません
じゃちょっと慎重に考えてみようかな

自然が美しいのはいいとしても
人間が作ったものでも我々は美しいとか醜いとか日々判断している
その判断の違いはどこから来るんだろう?

526:一
07/10/12 17:00:20 O
例えば美しい字と汚い字を我々は何をもって判断しているのだろうか
お手本に近いかどうか?
ではなぜお手本の字は美しいとされるのだろう?

527:一
07/10/12 17:30:38 O
お手本の字はたいがい均整がとれている
字の外側をなぞると円や三角形などの幾何学模様になることが多い
じゃなぜ人間は均整のとれたものを美しいと感じるのだろう?

528:考える名無しさん
07/10/12 17:32:23 0
DNAに記憶されてんじゃね?w

529:一
07/10/12 19:04:56 O
もしそうだとしたらどういう意図をもってそれは書き込まれたんだろ?

音楽からいえば我々は不協和音より和音を美しいと感じる
それは和音の方が周波数の均整がとれているからである
何故均整がとれている方がいいんだろう?

530:一
07/10/12 19:10:09 O
野の花もまたたいがい均整のとれた形をしている
円曲線や放物線や等辺三角形の組み合わせで形が構成されている

531:一
07/10/12 19:18:06 O
何かしら我々には整ったものを好む習性がある
またごちゃごちゃしたものをキレイに整頓すると快感を感じる習性がある

532:一
07/10/12 19:31:02 O
花は何故美しいのだろう?
まさか人間に愛でてもらうためにおしゃれをしてるわけじゃあるまい
やつらは虫をひきよせたいんだろう
だから甘い香りを出し蜜を用意しカラフルに装う
それは花粉を運んでもらって受粉させ子孫を作りたいが為だろう

533:一
07/10/12 20:04:48 O
回遊魚の流線形の美しいフォルムは
長距離を省エネで泳ぐ為に試行錯誤した結果ああいう形となるに至ったのだろう

534:考える名無しさん
07/10/12 20:06:35 0
そうしたい為というより、たまたまそうした状態があって
それだと種が続いたからってだけじゃ?

種が滅しそうになったら勝手にたまたま進化して種を残す形となったってだけ。

例えば、タンポポなんかは鳥が食べるような実をつけず種が色んな所に落ちない。
そこでたまたま遠くまで勝手に飛びあらゆる所に種が飛ぶ綿毛というシステム(?)
で残っている。

種の保存はあらゆる生物の本能、、、というよりもっと深い部分で組込まれて
いるんじゃ?

自然界のアートについては、その形(均衡のとれた)だと、たまたま崩れにくく
バランスがよかった(残りやすい)。
こういったことに対して人が美を感じるのも、人間自体自然の1部なんだから
(人間も大体対に割れて均衡がある)、自然界DNAが続いていく上で便利
だから、たまたまそうなってんじゃね?

そして自然界DNAを持っている人間が美を感じるのも元々あるものと
一致するため、『快』のような感覚があるんじゃ?

、、、と主観で言ってみたw

535:考える名無しさん
07/10/12 20:11:28 0
こういった思想を持つと、日常生活で支障きたさない?
こういった思想をまだよく理解できていないので
詳しくつっこめないけど、、、

それと、一は喜怒哀楽はある?
あっても、それにとらわれることはないとすれば
人からものすごく理不尽なことをされたとしても
なんともないの?

幼稚な質問ですまそ、、、

536:一
07/10/12 23:52:34 O
生命には多分周りの環境においてより効率良く生きていきたいという欲求がある
効率の良いフォルムを求めていくとそれはたいがい均整のとれた形に行き着く
一流アスリートのフォームもまたそういう努力の結晶であり
それらは大抵均整がとれており無駄がなく美しい

537:一
07/10/12 23:57:00 O
より効率よくなりたいという本能的欲求があるので
均整のとれた無駄のないものを見ると「快」を感じ
バランスが悪く余計なものでごちゃごちゃしたものを見ると「不快」を感じるのかもね

538:一
07/10/13 00:01:54 O
だから多分富士山見ると感動するんだろうなー
抜群に均整がとれていてさらに巨大でありかつ自然だからね
美の三連コンボ
相当つえーぜ

539:一
07/10/13 00:16:53 O
>>534
種の保存の欲求は個体の生存本能よりさらに深いとこにあると私も思う
じゃあその種の保存を欲求している主体は一体誰なんだろう?
壱思想はそれもまた君に他ならないと考える

540:一
07/10/13 00:26:48 O
>>535
特に支障はないし喜怒哀楽はあるし嫌なことされたら腹立つよ
何でそう思ったの?

541:一
07/10/13 00:36:30 0
まあとらわれないっていうのは
怒りを感じてもそれを感じないようにするって意味じゃなく
本来なら時間がたてば怒りの情は自然と減少していくところを
いつまでもこだわって怒ろう怒ろうとしようとしない
怒りの情にしがみつかない
って感じかな
万物の本性は変化にあり、それは感情も例外ではない
どんな感情も継続することはなくそれは瞬間瞬間に変化している
その流れに身を任すのがとらわれないという表現で俺が言いたかったこと

542:考える名無しさん
07/10/13 17:09:45 0
535です。
インド系の書籍を読んでいたら
聖者という者が解いている文があって、そこに
「感情も性格も人格もないのだ。それを超越している。そこには
感情性格人格感覚さえもないのだ。」と書いてあって、それを読んだ
時、理解できず、これって人間か?と思い、もしや一もそうなのか?
と思い聞いてみただけです。

543:一
07/10/13 18:32:02 O
一としての私には喜怒哀楽があるけど
壱としての私には人格も思考も感情も感覚もない
私は重層的に構成されている
人格としての私
動物としての私
種としての私
生命としての私
壱としての私
どれも私

544:一
07/10/13 18:35:29 O
そして壱としての私が私の存在の核心で
一としての私は私の存在のほんの表層を形成してるに過ぎない

545:一
07/10/13 18:50:04 O
一としての私や動物としての私は私の肉体が死ねばいなくなる
種としての私は人類が滅びればいなくなる
生命としての私は地球上の生命が絶滅すればいなくなる
でも壱としての私は宇宙がどんなことになろうとも不滅
そういうものが私の核心

546:一
07/10/13 19:01:02 O
だから言って見りゃ誰だって聖者であり悟達者なんだよ
誰だって存在の核は壱なんだから
誰だって壱としては人格も感情も感覚も超越してるんだから
それをさも稀有なことのように語るのがインド人や禅僧の悪い癖だね

547:考える名無しさん
07/10/13 23:45:19 0
>稀有なことのように語るのがインド人や禅僧の悪い癖

一ちゃん、すごいな。

548:考える名無しさん
07/10/14 01:22:12 0
均衡のとれた人生とはどんな人生だろうか?

549:考える名無しさん
07/10/14 01:51:20 0
表層にあるものこそがその存在の核心となる、とする考え方も在り得る

そもそも、何にとっての核心なのかを、はっきりさせもせず、よく語るものだな

本質的な核心だとでも言うのだろうか?
だとしたら本質的な核心などに、どれほどの実効的意味があるというのか

軍隊で所属を言うように言われて地球と言う様な奴は首だ

550:考える名無しさん
07/10/14 03:06:40 0
私は地球市民。

551:一
07/10/14 03:27:40 0
>>547
一休さんもこんなこと言ってるよ

釈迦といふいたづらものが世にいでておほくの人をまよはすかな

552:一
07/10/14 03:29:27 0
>>548
どんなんだろね
バランス良く無駄のない人生ってことだから
自給自足生活みたいな感じの人生かな

553:一
07/10/14 03:47:19 0
>>549
どっかでも書いたけど
なぜ私が人格としての自分を表層にすぎないと表現するかというと
人格が私の存在の絶対条件ではないと考えるからである
人格なしでも私は存在し得る
例えば何かに夢中になって自分をすっかり忘れてたときでも私は存在している
また寝てても気絶していても生存本能としての私は常に活動している
ここから
生存本能としての私の存在の仕方は
人格としての私の存在の仕方よりも
私の存在性のうちで主要な役割を果たしていると推測できる

まずここまでで異論があればどぞ

554:一
07/10/14 04:16:25 0
ものごとの本質や核心を考えることを愛することが哲学
実効的意味とやらがあろうがなかろうが

555:一
07/10/14 11:51:31 O
また私の人格は片時も一定せず常に変化し移ろいゆくが
私の生存本能は意識がどうなろうと常に同様に働いている
ところでものごとを観察するとき人間は普通
しょっちゅう変わる性質よりもいつ観察しても変わらない性質の方を重要視する

556:考える名無しさん
07/10/14 15:06:36 0
>しょっちゅう変わる性質よりもいつ観察しても変わらない性質の方を重要視する

同意。普遍的なものに吸い寄せられるように。
重力みたいなもんかな。
そしてそれは元々備わっている生物の資質みたいなもんかも。
と思ったことが俺もある。

557:一
07/10/14 17:00:15 O
そのもともと備わっている資質が私の根であり
人格は私の葉
その木全体が私

558:一
07/10/14 17:11:22 O
君も私も生命という大木の一枚一枚の葉っぱ
葉っぱが散れば我々の人格は消えてなくなるけど根は残る
だから根っこにおいては君も私も一緒で区別できない
壱とはその生命という大木をつき動かすエネルギーそのもの

559:考える名無しさん
07/10/14 17:21:21 0
そして木はいつか枯れる。

560:一
07/10/14 17:34:19 O
そう
そして木が枯れても壱は残る

561:考える名無しさん
07/10/14 18:52:01 O
何がいいたい?

562:考える名無しさん
07/10/14 19:13:04 0
ちんこは勃起したりしおれたりを繰り返すものであるということだ。
しおれたからといってちんこがなくなったわけではない。
ちんこは永遠だ。

563:一
07/10/14 19:56:16 O
>>561
>>543-545

564:一
07/10/14 20:09:06 O
>>562
ちんこが勃起したりしおれたりするのは現象であり
壱はその現象を引き起こす力そのもの
だからちんこが永遠なのではなく壱こそが永遠

565:考える名無しさん
07/10/14 21:04:38 0
何をしたらよいのかわからず職を転々と変え新しいことは慣れるまで
大変なエネルギーを要すから いつも落ち着かず疲れている人。

親や世間の目を気にして親や世間的によさげと思われる職に就き、自分で
好きでとかやりたいからという動機で選択しなかった職のため、やる気もなく
つまらない・苦しいと感じる仕事をただただしている人。

どちらがいい?または、どっちもどっち?

世間を見渡すと、こういった人々が多い気がする。

566:一
07/10/14 21:25:58 O
どっちか選べといわれたら俺は最初のやつの方がいいな
同じ辛い生活でもまだ変化があった方が気が紛れるし
そのうちいい職場に巡りあうかもしんないし

567:一
07/10/14 21:40:59 O
新しい環境に慣れるのにすごい疲れる人と何ともない人といるよね
何が違うんだと思う?

568:一
07/10/14 23:29:31 O
大体一番疲れるのは人間関係だわな
俺も小四のときに転校したときとか疲れたなー
周りの空気を読まなきゃいけないし
でもナメられないようにしないといけないし
でも思えば小三のときも転校したけど悩んだ記憶は全くない

569:一
07/10/14 23:35:01 O
多分それはまだ小三のときは自意識がほとんどなかったからだろう
自分がどういう人間であるかとか
人からどう見られたいかとか
そういう意識が気疲れを生む

570:考える名無しさん
07/10/14 23:41:39 0
>>564
海綿体に流れ込む血流ですな。

571:一
07/10/14 23:42:33 O
だから自分を大切にすればするほど気疲れは増える
自分を守る最高の手段は外部との接触を絶つことだ
自分を大切にしろっていう今の世の中のスローガンがニートを作り出したのかもよ

572:一
07/10/14 23:54:11 O
自分なんて忘れちまった方が何かといい
こだわらずに何でもあれこれやってみればいい
個性は守るものでも探すものでもない
ふと振り返ったときに来た道があなたの個性でありそれ以上でも以下でもない
そんな風にわたくし思います

573:考える名無しさん
07/10/15 00:24:20 0
くだらねぇ
本質や核心考えることを愛するとかいいながら
本質や核心の定義を考えたことがないだろ
お前

いつ観測しても変わらない部分を重視する、ってのも
きちんと理由を考えた上でのことなのか怪しいね

思考が浅いぜ

574:考える名無しさん
07/10/15 00:40:48 0
くだらねぇと言いつつ、見てるアホもいるんだなw

ところで、生物について調べていたんだが、
今まで生物植物には雄と雌が必ずいると思っていたが
そうでもないらしい。
雄なしで雌のみが卵を産む例もあるし、雄なしで実がなる
植物もある。
遠い昔は、雄も雌もなかったのかもな。
とスレ違いな余談ですた。

575:一
07/10/15 01:37:43 O
多分最初はアメーバみたいに自分を分裂させて種の保存を図ってたんだろうね
ところがある時偶然二つの生命体がミックスされた次世代が誕生し
そいつがすげー強かったんじゃないかな
二つの生命体で遺伝子情報を補完しあった方がより優秀な次世代を生めることに気付いた
それで雄雌に分かれるようになったのかもね
何万年後かには第三の性が現れ3Pがデフォルトになったりしてw

576:一
07/10/15 01:46:31 O
>>573
>>553

577:一
07/10/15 03:44:24 O
>>570
そうだね勃起の原因は海綿体における血液の充満だ
その充満の原因は脳からの指令
その指令の原因は・・・とどんどん辿っていって最後に辿り着くのが壱

578:早 ◆yxoSe0qFeA
07/10/15 10:45:54 0
>>574
>遠い昔は、雄も雌もなかったのかもな。
あえてその部分をこのスレの壱的なものに少しは関係させるとしたら、
ヘルメス学やグノーシス主義では、至高神とか一者とか呼ばれる存在は、
両性具有だと考えられていました。あるいはグノーシス主義の神話では、
天上界プレローマというのがあって、そこに住む神的な存在アイオーン達は、
男女一組になっていたのだけど、この神話は根源的存在の両性具有性を象徴していると思います。
プラトンも根源的な存在は両性具有であり、それが理想だと「饗宴」でいってた。
あまり壱思想とは関係なかったような気がしますが。
通りすがりにすこしこのスレちょっと見て、
横からレスいれてみたくなっちゃったのでありました。
それではさようなら♪

579:考える名無しさん
07/10/15 17:47:53 0
壱と一は同時進行の状態でいるの?
それとも、壱と一を行ったり来たりする状態なの?

580:考える名無しさん
07/10/15 20:20:20 0
禅僧とインド人の一揆がはじまりました

581:考える名無しさん
07/10/16 13:01:14 0
オートポイエーシス万歳

582:一
07/10/16 17:23:00 O
>>578
自分が両性具有ないし一性だった頃の記憶がDNAに書き込まれてるのかもね
神話の時代の人々は今の人と全然違う思考経路でそのことに気付きそれを表現した

583:一
07/10/16 17:28:37 O
>>579
同時進行といえば同時進行だね
一は熟睡してるときや気絶したときや夢中になったり圧倒されたりすると消えるけど
壱としての私は常に存在する

584:考える名無しさん
07/10/16 20:12:10 0
電波伝播

585:早 ◆yxoSe0qFeA
07/10/16 21:10:05 0
失礼します。
>>579>>583
私見では、一と壱は、同時進行とか、そういう生理的な現象で計れる区別というよりも、
「同じ存在の別の様態」という感じがしっくりくるのですがどうでしょうか。
一は、時間や空間の中で表現された壱(のなかの一さんという部分)。
壱は、時間や空間の中で表現される以前の宇宙。
この場合、以前、というのは、時間的な意味での以前ではなく(なぜなら時間以前にある状態だから以前には過去的な意味は含まれない)
もっと根本的な意味の以前であって、つまり時間も空間もない永遠の状態という意味で。
それで、時間や空間の中で表現されていないのだから、空間的に他の何かと分かれてはいないし、
時間的な変化の中にもおかれていない。
分かれていないし変化もないから、壱は一だけでなく宇宙全体を含んでいて永遠に壱は壱のまま。
同時進行といえば同時進行でも、その場合の同時にも時間的な意味での同時ではない。
だから同時進行ともいえるけど、なんとなく同じものの別の(永遠的/時間的)様態というような表現の方が個人的にはいいかなと。
この宇宙の、永遠的な姿が壱であって、時間以後にある姿のなかの一さんという部分が一であるというような。
意味不明でごめんなさい;

586:一
07/10/17 04:27:26 0
そうだね
壱と一は別の視点からとらえた同じ存在(=私)とも言えるかな
一は時間や空間の枠組からなる理性から見た
時間や空間の枠組からなる理性を持つ私で
壱は時間や空間の枠組からなる理性から推測するところの
時間や空間の枠組を超えた思考も身体も個別性も持たない私
その壱としての私はこの宇宙のあらゆる現象を引き起こす



587:一
07/10/17 04:31:04 0
あと暇だったんでサイト作っちゃいました
URLリンク(www41.atwiki.jp)
アドバイス等あったらよろ

588:考える名無しさん
07/10/17 17:27:53 0
壱思想に似た書籍紹介

壱思想に至った経緯

何故、壱思想を表に出そうと思ったのか

サイトに載せるといいかもしれない。

589:早 ◆yxoSe0qFeA
07/10/17 17:58:38 0
個人的には、ある程度主題ごとにまとめてみて、
まとまった長さの文章を載せていくのもいいと思われます。

590:一
07/10/17 18:47:52 O
>>588
そういうのよく聞かれるしFAQとしてまとめよっかな
>>589
そーねもう少ししたら各テーマの頭のとこにまとめの文章を入れとくわ

591:考える名無しさん
07/10/17 18:57:20 0
おぉ!サイト作ったんだ!
早速見てみるわ

592:考える名無しさん
07/10/17 19:01:28 0
つ他の人はこんなん作ってまつ。どぞ。

URLリンク(chida442g.12.dtiblog.com) とか

URLリンク(rararasama.fc2web.com)

593:一
07/10/18 01:58:10 0
>>591
作ったっつーかちょっと整理しただけだけどね
まあまた気が向いたら充実させてこうかなと思います
>>592
thx

594:一
07/10/18 17:24:30 O
調べたら日本神話の最初の方の神々も性別がないらしい
何か興味でてきたので古事記の文庫を買ってきた
壱思想的解釈を披露することになるかもしれないのでお楽しみに

595:考える名無しさん
07/10/18 20:46:25 0
楽しみに待ってまっせー

596:一
07/10/20 05:02:23 O
日本人は何となく
あらゆるモノに神が宿っていると考えている
それが自然のモノであれ人間であれ人工物であれ
まあ西洋にもずっと汎神論はあったわけだけど
じゃあそのカミってなんなんだろう?

597:一
07/10/20 05:14:04 O
キリスト教で神といえばこの宇宙を創った主体のことをいう
本居宣長は何か尋常じゃない徳を持つ恐れ多いものをカミと言うのだと言った

598:一
07/10/20 05:31:19 O
ところで壱思想では万物に壱が宿るとされる
万物は常に変化しその変化の原因は壱だから

599:考える名無しさん
07/10/20 06:27:31 0
>>597
本当は世界の全てが尋常じゃない徳を持っているのだが、世界全体がそうなので
中々気がつけないのだよ。

日本には水が沢山あるから水の有り難味が分からないというのと同じこと。
砂漠に住んでいる人はこんなに水をバンバン使って垂れ流すことはないだろう。


600:考える名無しさん
07/10/20 17:07:07 0
風邪ひいて寝込んだw
見てないうちに結構進んだんだな。

ところで、効率的効果的な人生とはどういった人生なんだろうか?
効率的効果的な生き方とはどういった生き方なんだろうか?

これ考えると色んな視点があるんだけどさ、
一からすれば自己満足がキーワードとなり
壱からすれば無為自然がキーワードとなるんだろうか。


601:一
07/10/20 20:08:34 O
>>599
赤ん坊にとっては世界は尋常じゃなくヤバいだろうね

尋常じゃない徳というと話がちょっとややこしくなるので
私はとりあえず日本語のカミをこう定義したい
カミとは人間業を超えた現象を引き起こす力を持つ者の呼び名である

602:一
07/10/20 20:15:15 O
古代の人にとっては暴風や雷(神鳴り)は恐ろしいものだったろう
こういうものを引き起こすのは人間業を遥かに超えた力であり
その力を持っている者がいるはずだということでそれをカミと名付け
それが風神雷神信仰となったのだろう

603:一
07/10/20 20:25:49 O
>>600
何をもって効率的とするかは何をもって人生の目的とするかで変わるだろね
子供作っていい子に育てるのが人生の目的と考えるなら
それにふさわしい生き方があるだろうし
とにかく稼いで財を成すのを目的と考えればまた全然違う生き方があるだろう
また何にも目的がなけりゃあ効率も無駄もない

604:一
07/10/20 20:48:20 O
>>602続き
だから日本では人並み外れたことをすれば人間でもカミと呼ばれる
2ちゃんでもたまにネ申を見かけるしw
これはキリスト教徒にはない発想だろう

605:一
07/10/20 21:21:40 O
なので日本の神道はキリスト教や仏教のように人々を救う為にあるのではなく
ただ神々をおマツりするためにある
そこら辺はもう日本人にもよくわからなくなってきてる
本来日本のカミはお願い事したり見守ってくれたりする対象ではない
恐れ多いのでおマツりしてあんまり暴れたりしないでくださいと祈る対象なのだ

606:一
07/10/20 21:58:11 O
本来神社は神々を讃えるために建てられるわけではなく
神々に清浄な社に住んでもらって気分よくなってもらって
機嫌悪くして人間に祟ったりしないようにというので建てられる

607:一
07/10/20 22:17:50 O
よく人が悲惨な目に合うとこの世に神や仏はいないのか!などと言うが
そこには神=善という一方的な希望的信念がある
神道のようにカミは善悪にカンケーなく存在してると考えた方が
まだこの人生や世界の実情に則しているように私には思える

608:考える名無しさん
07/10/20 22:37:23 0
宗教スレと化してきましたw

609:一
07/10/20 23:02:55 O
またそのうち壱に戻るから御安心を
カミと壱はGODと壱よりは概念として近い

610:一
07/10/21 02:41:13 O
大体全知全能の創造主であるところの神様が
私達を何らかの使命を与えてこの世に誕生させ
常に見守ってくれているし辛いときは助けてくださる
みたいな幼稚なおとぎ話が西洋において2000年近くも信じられてたのが驚きで
そういう存在がいないとわかっただけで神は死んだなどと騒ぎたて苦悩する様を見ると
こちらとしてはお気の毒さまですとしか言い様がないわな

611:一
07/10/21 02:55:13 O
まあ日本人も昔は悪いことするとお天道さまが見てますよなどと言ったものだが
それは子供向けの方便とでも言うべきもので
実際に社会の道徳の規範になってたのは
人に迷惑になるようなことはしちゃいけないという至極真っ当でリアルな知恵
まあそれも崩壊しかけてる感じもするけど

612:一
07/10/21 03:02:25 O
日本の思想家でお天道さまは死んだ!お天道さまなんてほんとはいなかったんだ!
などと苦悩した人などいないw
いても笑われただけだろう
それだけ考えても我々の方がリアリティある世界観を持ってたといえる

613:考える名無しさん
07/10/21 04:33:17 0
日蝕の時は衝撃を受けたかも知れんね。

614:考える名無しさん
07/10/21 07:32:26 0
1183年、源氏と平家が戦をしてるとき、突然日食が起こって、
源氏軍はあわてて混乱して乱れる中、
平家は、日食がくるのを知ってたから有利になって、
冷静に源氏を攻めた、
平家は全体的に負けていたけどこのときの戦だけは勝った、
ていう話があります。
スレ違い失礼。
4千年まえの中国では、ある町で突然日食が起こって、
町中大騒ぎになって、小役人たちはあちこち走り回り、楽師たちは太鼓を叩き回り、
みんなおそれおののいて、めちゃくちゃになって、
役所の方では天子(いちばんお偉いさん)がその大混乱に怒って、
天子は、天文官二人を、天気を予報できなかった罪で、処刑した、
ていう話もあります。

615:一
07/10/21 17:39:16 O
再来年に結構深い日食が見れるらしいじゃん
どれぐらいヤバい感じなのか楽しみだな

616:考える名無しさん
07/10/21 21:52:24 0
ざっと読ませていただきました。
ここで言う
壱思想・・・プラトンの国家で出てきたトラスュマコスに似てるのかな?と。

通りすがりの者ですが、またのぞいてみます。
それでは。

617:一
07/10/21 22:56:05 O
どの辺がどう似てんの?

618:考える名無しさん
07/10/21 23:10:02 0
レオナルド・ダ・ヴィンチ天才だよなー



619:一
07/10/22 01:53:49 O
だから神道は宗教と言うべきものではないと思う
言うなればそれは宗教以前の古代思想である
神道には教祖がいないし経典もないから教えがそもそもない
神道には信じるか信じないかという信仰の有無という問題はない
人間業を超えた力(カミ)に対して畏怖の念を持つかどうか
そしてそれをマツるかどうかという態度の有無のみが問題となる
信じる信じないの前に人間業を超えた力(カミ)はすでに自明のものとして存在するのだ
カミが存在するかしないかは全然問題になってないのだ

620:考える名無しさん
07/10/22 02:22:02 0
巨木だの雷だのも日本では神様だからな。人もそうだし。
目の前にあるものをないと思えという方が無理だ。


621:一
07/10/22 02:46:15 O
そだね
太陽自体が天照大御神なのだから
それが存在しないわけがない

622:一
07/10/22 03:04:06 O
>>596に戻る
では我々があらゆるものにカミが宿るというときのカミとはどういうものだろう?
例えば巨木や狐や鹿にカミが宿るというとき我々は何を表現したいのだろう?

私にはそれは
何かしら人間の認識では理解しがたい不思議な力が木や動物に満ち
かつ働いているというようなニュアンスを持っているように感じる

つまりこのような文脈においては
カミとは人間の認識を超えた不思議な力というような意味合いを持つ

623:一
07/10/22 03:12:14 O
私の持っている壱のイメージはそういう力のイメージに近い
壱は巨木や狐や鹿やあらゆるものに満ちている神妙な力
その力こそが万物の変化の原動力であり宇宙存在の根本原因であり私の存在の核心

624:考える名無しさん
07/10/22 21:57:15 0
>>623
だーかーらー、わってるって。
万物の変化の原動力に原理があればおもしれーよなー的
会話がしたいっす。

625:一
07/10/22 22:58:24 O
宇宙が俺らの知ってるものだけじゃなく他にもいっぱいあると想定すれば
壱の原理について考えることもできるかもね
まあ実際宇宙は一個しかないと決まったわけじゃないしな
あらゆる宇宙に共通して見られる振る舞いがあればそれが壱の原理といえる

626:一
07/10/22 23:06:55 O
あるとしたらどんな原理があるだろうねぇ
あらゆる宇宙が膨張しているのなら
壱には宇宙を常に膨張させるという原理があるかもなぁ

627:一
07/10/22 23:22:31 O
またあらゆる宇宙で万有引力が観察されるなら
壱は常に引力を引き起こすという原理を持つのかもしれない
そのくらいまでしか俺は想像つかないな

628:一
07/10/23 00:32:49 0
朱子学では宇宙の根本は理と気だとされる
理とは法則で気とは運動エネルギーであるから壱は概念としては気に近い
朱子学は気が従で理が主とされ理が気を秩序づけるとされる
そして理を究めて行くことによって人間は聖人に至るとされる

こういう思想はプラトンのイデア説にも似てるといえる
その根底にはこの世界には人間には普通は理解できないような
高次な原理が隠されているという信念がある
言い換えれば人知を超えた叡智が宇宙には隠されているという信念がある

壱思想にはそういう信念が無い
宇宙はただたまたまこうなってるだけ
理というのはただの人間による一つの解釈にすぎない
どっちがリアリティがあると思う?

629:一
07/10/23 04:54:52 0
だから壱思想は理より気を当然重要視する
ていうか原理とか法則とかは宇宙に内在してるものじゃなく
人間の理性の中に思考の枠組として存在しているのであって
その理性という色眼鏡をかけて宇宙を眺めるから
宇宙に原理法則が存在するように錯覚を起こしているだけなのだ
だから極端な言い方をすればこの宇宙に原理法則など一つも存在しない
原理法則が存在するのは君の頭の中だけ

630:一
07/10/23 05:37:05 O
その理性という色眼鏡をとった時にあるであろう宇宙がカントの言う物自体であり
私の言う純粋現象Xであって
それはカントも指摘するように認識不可能である

631:一
07/10/23 18:28:02 O
理を主とし気を従とする思想では当然の帰結として
万物の中では理性を持つ人類が一番偉大だということになる
日本人にはこういう思想はどうも馴染まないしピンとこない
我々はどっかで草木も虫も犬猫も俺らと一緒じゃねぇかと思ってる

632:一
07/10/23 18:42:05 O
いや一緒どころか逆に自然やモノに敬意を払うことが多い
太陽はお日様であり米はお米である
何しろ将軍が犬をお犬様と呼べという国だ

633:一
07/10/23 18:49:44 O
地震や台風が多いのもそういう思想が形成されてきた一因かもね
人間の力なんて自然を前にしたら実に小さく弱いもんで
いろんな自然とかのお蔭様で何とか生かしてもらってるようなもんでさぁ
だからお日様ありがとうございます
お米様もありがとうございますとなる

634:考える名無しさん
07/10/23 21:55:22 0
レオナルド・ダ・ヴィ「一」

635:一
07/10/24 00:01:12 O
>>634
ありがとうございます
何にでもありがとうございますと言いなさい
と私のひいひいおじいさんはよく言ってたらしく
ある日石にけつまづいたときにありがとうと石に言ったら
それを見てた女中があら石にまでお礼していると言って笑ったそうな

636:一
07/10/24 01:23:20 O
だから日本人にしたら進化論を聞かされても特に抵抗がない
あ~そんなもんかもな~てくらいなもん
理性主義者にとったら自分の先祖が猿と言われるのは到底納得できない
人間は神に最も近いものとして神様がお造りになったものなはずだから

637:一
07/10/24 03:36:18 0
感謝の念を有難うと表現するというのが私は面白いと思う
有難いとは字義通りに読めば滅多に存在しないというような意味であろう
ではその稀少な存在とはなんだろうか
私はそれはカミだと思う
太陽は人間業を超えた存在であるからカミであり
カミであるが故に有難いのだ
他人が自分に対して何かいいことをしてくれたとき
人はその他人にカミを感じ有難うと表現する
少なくとも最初の方はそんな感じだったんじゃないか
私のひいひいおじいさんは万物にカミが宿っているのを感じ
だからこそ石ころにも有難うなのだ

638:一
07/10/24 03:47:27 0
逆に言えば日本では有難いものなら何でもカミなのだ
だからゼウスという概念が入ってきたときも
何かい?そんなにそのゼウスさんてのは偉いのかい?
じゃあゼウスさんも神さんだぁな、と簡単に受け入れてしまう
七福神なんかも元はヒンズーの神様だし

639:一
07/10/24 03:54:18 0
自分の女房をカミさんと呼ぶのも語源は同じじゃないか
有難いからカミさんなのだ
カミの語源はいろいろな説があるみたいだけど
上下のカミじゃないかなと私は思う

640:一
07/10/24 04:46:10 O
ざっとググったらいろんな説があるんだな
見てたらやっぱ上下説よりアイヌ語のカムイ説の方が正しいような気がしてきた
カムイはクマとも同語源で隠れてて滅多に見れないものという意味があるらしいので

641:一
07/10/24 15:01:13 O
壱思想もまた人間を特に偉い存在とは考えない
万物は壱による現象という点で平等であり兄弟である
万物皆兄弟

642:考える名無しさん
07/10/24 19:55:02 0
万物皆兄弟 万歳!

643:考える名無しさん
07/10/24 22:30:02 0
スレ違い甚だしいのを承知で相談させてください。
以前、このスレをたまたま見つけてから見ていました。
皆さんが言っていることは僕はよくわかりません。

僕は現在高校生で特に勉強したい分野もなりたい職業も全くわからず
自分が何を好きなのかもわかりません。
大学に行くことに決めて行くのですが、勉強もそんなにしていないのですが
推薦で簡単に受かって行くことにしました。
ただ、自分が何が好きなのかも本当にわからず勉強したい分野も就きたい職業も
わからず、これから先のことが全く見えず想像すらできません。
僕は生きている価値はあるんだろうか?と思ってしまいます。
何かアドバイスをいただければありがたいです。

644:一
07/10/25 03:30:14 0
んーまあ一言で言えば、それで何の問題もないと思うな
以下アドバイスになるかはわからんが思ったことを適当に書いてみます

今君が君の辿ってきた人生をよーーーく振り返ってみて
自分がどういう性向や適性を持っているのか全くわからないのであれば
そんな君が君自身なのであって君はそれ以上でも以下でもない
その君以外に君はいないのだから探しても他に見つかるはずがない
君が君自身の性向や適性を知る手がかりは君の過去にしかない

やってみなけりゃ何事もわからない
何を勉強したいか知りたければ
かたっぱしからいろいろ勉強してみるしかない
どんな職につきたいか知りたければ
とりあえずどこでもいいからバイトしたり就職してみることだ
向いてないと思ったらどんどん転職したらいい
その後自分の辿ってきた道を振り返ってみたときに初めて
自分の性向や適性が見える可能性が出てくる

またもしあらゆることをやってみて迷走しまくったあげく
全く自分が何をしたいのかわからないまま死んだとしても
それでいいじゃないか別に
そんなのもありさ
俺の人生もそんなもんだ

645:一
07/10/25 03:49:17 O
自分がどういう人間だかわからない方が逆に私は自然だとさえ思う
なぜなら自分の人格を形成してきた過去を注意深く想起すればするほど
それは実に混沌としており矛盾に満ちていることがわかるからだ
大体が世間が称賛するところの「自分をしっかり持ってる人」というのは
単に思い込みが激しいだけな人の場合が多い
だからあんまり気にしないこった

646:一
07/10/25 04:14:26 O
私はだから逆にもう自分がどういう人間であるかはあまり興味がない
考えてもわけわからなくなるからね
思い込みを捨てて常にニュートラルな状態にいたいと思っている
それでその時々で興味があることにとりあえず飛び込んでみる
そうするとまた意外な自分を発見したりするしそれもそれで楽しいよ
私は大学中退してからもう七回も転職していて三十路に入ったが
また今度未経験な世界に飛び込もうとしている
だから君がもっと世間的に評価されるような人生を歩みたいなら
もっとちゃんとした人にも相談した方がいいと思うなw

647:一
07/10/25 04:46:45 O
また私には人間の能力には一般に思われてるよりは個体差が無いように思う
天才と言われる人たちは凡人よりも脳の活動範囲が広いかもしれないが
凡人と言われる人たちにもそのポテンシャルは常に用意されているように思える
火事場のクソ力みたいな感じで何かしらの偶然により引き金が引かれさえすれば
いわゆる神懸かりみたいな状態になって凡人からも天才的な創造行為が生まれたりする
だから天才を羨むことはない
我々もいつ何時その引き金が引かれるかわからないのだから

648:一
07/10/25 14:13:42 O
まあつまり
今までパッとしなかったとしても
これからもパッとしないだろうなんて嘆くことはない
人生どうなるかほんとにわかったもんじゃない
君の前に道はない
君の後ろに道はできる

649:考える名無しさん
07/10/25 17:10:16 0
相談した者です。
一さんありがとうございました。
なんだかとても楽になりました!
スレ違いな内容を書いてしまいましたが、今後も書き込むことはほぼないかと
思いますが見てますので、がんばってください。

650:一
07/10/26 15:57:08 O
どいたしまして
でもせっかくかけてくれた言葉なのに申し訳ないすけど
頑張るという言葉は何か窮屈な気がして私は好きになれない
この言葉が流行ってるのは戦争の名残なんじゃないかと思う
何か昭和っぽい
元気でいてねとかの方が好きかな
頑張ろう!は元気で行こうぜ!の方がいいと思う
元気でさえいればオールオッケー
あとは自由!

651:一
07/10/26 16:31:57 O
まあ時にはナニクソとふんばらなきゃいけないときもあるだろうけどね
戦争中はそれこそみんなで頑張らないといけなかったんだろう
でもいついかなる状況でも老若男女誰にとっても元気でいることはいいことだ
頑張らない方がいい時はあっても元気でいない方がいい時はない

652:考える名無しさん
07/10/26 17:40:00 0
ガンバレ!という言葉、俺も好きじゃねーな。
ファイトだ!なんて言葉も。昔留学生に「ファイト!」って言葉かけたら
は???みたいな顔されたのを思い出したw

「ファイト」って喧嘩って言葉だから は??と思うのが正解w
一は相談に乗って僕ちゃん助けしてんじゃん。ほほえましいのお~。

年齢はもっと若いのかと想像してたよ。

それにしても風邪が治らねー。
俺の自己免疫力はどうなってんだ。
『元気』って気の元ってなんだろな。

653:一
07/10/26 20:58:47 O
俺が高校生の頃は2ちゃんどころかネット自体なかったからなー
相談できるような友達もいなくて一人悶々と悩んだのを思いだすわ
世の中変わりましたなあ

で元気だけど
気を目に見えないエネルギーとして捉えればいろんな気のもともとの気が元気だから
それは根源的な力という意味となりそれは壱の定義と一緒だ
壱思想では壱は私の存在の本質とされるので元気もまた私の本質と考えられる
だから元気でいることは私の本質に則した状態であり故にそれは絶対的に好ましい

654:一
07/10/26 21:06:41 O
では元気でいるとはどういうことだろう?
普通はまあ健康でいるということを指す
健康でいるというのはどういうことかというと病気をしてないということ
つまり病気でなければ元気なのだ
では病とは何だろうか?

655:考える名無しさん
07/10/26 21:24:23 0
道は実在的であるが名がない
元々は区別がなく目に見えないものである
けれども天下にそれを支配できるものは何もない
もしも、統治者や君主がそれにとどまれば、天下の万物は当然彼らに従うだろう
そして、天と地は統一され平和の露を降らせるだろう
命令されなくても人々は自ら調和するだろう
区別が始まると名前ができる
名前ができるとどこにとどまるかを知るべきである
とどまるところを知れば決して消耗されない
世の中で道にとどまるということは、河や海に注ぐ谷川と同じである

・・・とどまるところがわかりません。鬱、、、

656:一
07/10/26 21:26:02 O
東洋医学では病気とは気の流れの偏りや滞りと考えられている
気がスムーズにバランスよく流れるのが元気とされる
その気とは言い換えれば生命本能が本来持っている自律の力であり
その力が偏り滞りなく働けば我々は元気なのだ
それは身体だけでなく心にも当てはまる
こだわりやわだかまりのない素直な心の持ち主は元気

657:一
07/10/26 21:34:18 O
>>655
まあ壱思想的にはどこにもとどまる必要はないと思うけどね
あえてどこかにとどまらなければならないのなら
どこにもとどまらないというスタンスにとどまればいい

658:考える名無しさん
07/10/26 21:40:05 0
>>656自律の力がスムーズに常に滞りなく働くにはやっぱり意図や努力が必要かしらん?

大いなる象をつかんで天下を扱うとどこへ行っても害にあわない
天下を穏やかに静かにそして平和にするのである
音楽やおいしい匂いには通行人を魅惑し、しばらく立ち止まらせる
道の味は淡白で味がない
それを見ようとしてもよく見えず
それを聞こうとしてもよく聞こえない
だが、それを用いても使い尽くせないものである

・・象をつかむ?道から発生したあらゆる原理のことだろうか?

659:一
07/10/26 21:41:33 O
小さい子供たちは人間が本来持ってる元気を
何の滞りもなく発揮するからあんなにも元気なのだ
じゃ大人になって元気を阻害するものはなんだろう?
前もちらっと書いたが改めて検討してみようかな

660:一
07/10/26 21:53:00 O
>>658
そーねやっぱちゃんとした食事をバランスよくとるとか
適度に運動するとかちゃんと昼起きて夜寝るとかそういうのは必要だろうね
俺も夜更かしばっかだけどなw
つまり体の欲求に素直に応えることは求められると思う

661:一
07/10/26 21:59:23 O
天下をうまく治めるところの道や象ってのは俺にはよくわからんな
大体が生物の世界はエゴ対エゴの壮絶な修羅場なのが常態であり
闘争やいざこざが絶えない方がむしろ自然なような感じがするけどな

662:考える名無しさん
07/10/26 22:27:06 0
エゴねぇ、、、保留にしとくか

ところで俺の叔母に躁鬱がいる。とにかく躁鬱発生の時は目が全く違う
からすぐわかる。鬱の時は焦点があわず不気味な感じで鈍く光っている眼。
躁の時は眼光が輝きすぎる。あの病気は脳の病気なんだろうか、、、
自殺未遂も多々らしく本人曰く脳が命令するんだとか。

663:一
07/10/27 03:30:43 0
まあ私は専門家でないのでよくわからんけど
脳が自殺を命令するというのが幻聴ならば
その人は躁鬱というより統合失調症なんじゃないかな
躁鬱は普通幻聴は出ないので
まあどっちにしろ脳医学から見れば脳の疾患と考えられているね
私の見解ではそれらは自我意識の形成や維持行動における失調なのだが
このことについては何か今日は考える気にならないのでまた今度

664:考える名無しさん
07/10/27 17:16:25 0
>>636
神様が猿から人を作ったということにすればみんな嫌な顔をしながら渋々納得。w


665:一
07/10/27 19:49:28 O
進化論を受け入れたクリスチャンにとっての世界観は
神様が猿の中の一部を人間に進化させ
お前たちが万物の霊長であるから万物を支配せよと使命を与えてくださった
みたいな感じなのかね
人間以外の生物にしたらこんな傍迷惑で不当な話はない
あのゼウスってやつは人間をえこひいきしすぎだぜ全く
何か賄賂でももらってるにちげぇねえ
その点日本の神様たちは分け隔てねぇからおれぁ好きだよ

666:考える名無しさん
07/10/28 03:04:31 0
>>665
そういやあの聖書の「支配」という言葉は解釈がおかしくて変になったような感じがするな。
「世話」って書いておけばよかったのに。


667:驚愕展開衝撃活躍凶暴獰猛残虐残忍凶悪極悪暗黒暗闇サトシ君
07/10/28 05:59:28 0
EEEEE_____EEEEEオリジナルゾハル
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EEE/WWWWWWW\EEE
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EE■WWWWWWWWW■EE
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EEE\WWWWWWW/EEE
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EEEE■WWWWW■EEEE
EEEE■WWWWW■EEEE
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668:一
07/10/28 09:39:15 O
お互い様という日本語が私は好き
日本人は自然に対してもお互い様と思う
支配とか世話とかそういう一方的な関係ではないことをわかってる
何でそういう違いが生まれるんだろね

669:一
07/10/28 10:07:52 O
やっぱ農耕民族と狩猟民族の違いというのもあるのかな
狩猟文化だと自然はどうしても征服し略奪する相手となるので
人間が一番偉いんだ!となる
農耕文化では自然とうまくつきあうことが大事になるので
自然への感謝や敬意が生まれてくる

670:考える名無しさん
07/10/28 10:12:44 0
システム的な余裕じゃあないかと考えた事があるな。
あちらさんは環境が厳しいから、これでもか!ってくらいにカッチリと
管理する必要があったんじゃなかろうか。
人がやると「何でテメェはそんなエラそうに!」ってなるだろうから
神の名前を借りてさw。

日本は四季おりおりの風土があって、比較的豊穣の地だった。
自然と自分以外の面倒も見れる形態になっていったんじゃないかねぇ?。

671:一
07/10/28 10:23:10 O
確かに日本は自然に恵まれてるからねぇ
そんなに争う必要がなかった
ヨーロッパは最近こそ大人しいけど大戦までは血みどろの闘争の歴史だからなぁ
日本にはお互い様で何とかなる余裕があったんだろね

672:一
07/10/28 10:29:27 O
サッカーなんか見ててもそういう文化の違いを感じるなあ
お互い様とか言ってたら相手に絶対勝てないw
わざとこけたりとか審判へのアピールとかどうも日本人には馴染めないものがある

673:一
07/10/28 11:37:14 O
韓国ではサッカーとキリスト教が普及したが
日本にはイマイチ根付かないのも興味深い現象だ

674:考える名無しさん
07/10/28 12:02:46 0
宗教観ってのは大きいかもしれんね。
審判という絶対者、ってのは一神教の産物のような気がする。

日本では「和を以って貴しと為す」ってのが根底にあるのかなぁ。
談合やら村社会とか揶揄されてた事もあるけど、
皆の話し合いで共通の了解を得て社会を維持してた面があったろうし、
そこには絶対者は必要ないし。

675:一
07/10/28 18:43:01 O
キリスト教では「神>人間>その他」という序列がはっきりしてるのに対し
日本では「神々>その他」という価値観は大まかにはあるものの全然はっきりしない
人間も時には神になるし神も鹿になる
見ようによっちゃあらゆるものが神となる

676:一
07/10/28 18:56:45 O
あらゆる他者にカミを感じ有難さを感じるからこそ
「互い」に「お」と「様」を付けて「お互い様」となる
だから日本の武道は礼に始まり礼に終わる

677:一
07/10/28 19:04:41 O
一神教の場合神への敬意が神という一点に集中するので
他者に対する敬意が散漫になってしまうのかもね
日本の場合その敬意はあらゆる他者に向けられる
まあ最近の日本人からはそういう態度は失われつつある気もするけど

678:一
07/10/29 21:23:07 O
一神教の場合人間は神様のお蔭で生きていられると考えるが
日本の場合は周りのあらゆるもののお蔭で生きていられると考える
万物がお互い様でお蔭様で対等であり且つインタラクティブ

679:考える名無しさん
07/10/29 22:11:07 0
小学生の頃、体から抜け出してしまったことがある。
自分の体や友達、外の景色をものすごい高さから眺めていた。
幽体離脱って言うらしいけど、それが妄想だとは思えない。
高い所からまわりを眺めていて、その土地がはじめての土地で土地勘もないの
にあとから地図を見たら、見たとおりだった。
その抜けた状態の自分は高所恐怖症なのに恐怖もなく温度も感じず重力も
感じない。
ただ眺めていたという感じで色もわかるし見ているものも一応理解している
感じだった。
しばらくして、あれ?下にいる自分どーなってんだ?と思った瞬間、体に戻って
しばらく放心状態だった。

あの状態は壱とは関係ナッシング?

680:一
07/10/29 22:58:42 O
まあ俺は体験したことないんでよくわかんないけど興味深い現象だなとは思うな
幽体離脱は寝入りばなによく体験されるらしいけど
小学校低学年くらいまでは誰でも半分夢見がちに生きてるから
条件としては似てるんじゃないかな
ちょっといろいろググったりしてみるわ

681:考える名無しさん
07/10/29 23:02:33 0
脳の側頭葉が過剰に興奮すると幽体離脱体験するらしい。
唯物論的な科学者に言わせれば起きたまま見た超リアルな夢みたいなものだということになるけど、
真相はわからないね。


682:考える名無しさん
07/10/30 03:34:37 0
>>681
体外離脱をコントロールすることに成功か
URLリンク(slashdot.jp)
人工的に幽体離脱
URLリンク(www.swissinfo.ch)


683:一
07/10/30 09:02:36 O
ちょっと話は逸れるけど
俺は朝夢から醒めた時に
あー実によく出来てる話だなーと感心したことが何度かある
内容はもう忘れたけど
俺は小説を書いたことも無いし
読んだことある小説に似てるわけでもない
起きてるときに何かシナリオを考えろと言われても陳腐なものしか出てこないのに
何で俺の夢はこんなにも優れたストーリーを持てるんだろう?
一体誰がこんなよく出来た話を作ったんだろう?

684:一
07/10/30 09:10:50 O
前にもちらっと書いたけど
私には全ての人間に天才的な能力が眠ってるような気がしてならない
誰でも夢における創造性は半端じゃないから
ポールマッカートニーはイエスタデーを夢の中で聞き
昔の歌を思い出しただけだろうと思ってみんなに聞かせたが誰も知らなかった
彼は意識下で作曲したわけだ

685:一
07/10/30 09:24:38 O
それを踏まえて>>679のような体験を勝手に解釈してみる
あくまでも一つの可能性として読んでね

まずその子供は前もって見知らぬ土地の地図を見ていたのだ
ただ余りにも何の気なしにちらっと見ただけだったので覚えていないだけ
しかし意識下では一瞬見ただけの地図情報からものすごい解析が行われ
Google Mapの実写版ばりの鳥瞰図を作成するにまで至っていた
その作業は普通意識上に上がることは無いのだが
ふと気が弛んだ瞬間に意識上に現れてしまったんじゃないかな

686:一
07/10/30 09:30:36 O
同じような事は楽器を練習している時も感じたことがある
どうしても弾けないと思ってたフレーズがある日急に弾けちゃったりする
あー何だよ俺わかってたんじゃん!
意識がむしろ邪魔してたんだ!

687:一
07/10/30 09:39:33 O
作曲なんかしてる人はよく天から降って来るというような言い方をする
俺は逆にそれは意識下から上がってくるもののような気がする
何かしら恍惚とするような体験は神様が外側から与えてくれるわけじゃなく
自分の内側の意識の奥にその恍惚感の源があると思う

んーうまく説明できないけどニュアンスが伝わるといいな

688:一
07/10/30 09:50:52 O
大体この書き込み自体が
さっき起きたときフッと頭に浮かんだもので
多分私は寝ながら考えていたのだ
昔からよい発想は夜より朝生まれると言われるのも
就寝中は意識があまり邪魔をしないからじゃないか

人間の脳は超優秀なスーパーコンピュータを積んでいるが
それは何故か普段は意識されたり利用されることはない
何でなんだろね
気が狂うからかな
危機的状況に陥ったときの為の保険みたいな感じかな

689:一
07/10/30 10:05:58 O
だから多分人間の意識下の創造力や情報解析能力は想像を絶するほど凄まじい
子供は意識がまだあまりはっきり形成されてないのでそれが表に出やすいのだろう
やつらの描く絵はほんとヤバいし
天才的な人は子供のような人が多いのもそのあたりに鍵がありそうな気がする

690:一
07/10/30 10:31:24 O
まあそういうことから見ましても
言語的人格としての私は
私の存在のごく一部であり
決して私の主人公ではないと思われるわけであります

691:考える名無しさん
07/10/30 16:57:28 0
>>685
いや、前もって地図なんて見てないんだな。
当日当然連れて行かれた所でおきたことだったら。
夢でもなさそうだなと。

ところで人間の脳。
数パーセントしか使われてないらしいけど本当なのかな?

692:考える名無しさん
07/10/31 13:38:08 0
因果。
何事にも必ず因果はあるのだろうか?

あるとすれば、必ず我にとってまた皆にとってよい結果にたどり着くような
そして無駄のない考えや動きってあるんだろうか?

そんなことは壱からすると移り変わる部分だから
そんなのかんけーねー!そんなのかんけーねー!
となるんだろうか?

693:考える名無しさん
07/10/31 13:40:12 0
キリストは何を知り何を伝えたかったのだろうか。

仏陀は何を知り何を伝えたかったのだろうか。

老子は何を知り何を伝えたかったのだろうか。

694:考える名無しさん
07/10/31 21:14:36 0
人間として生まれてきた俺や君達。
思うに仕事をしていても日常生活をしていても
人間関係がうまくいっていればストレスも少なく
日々楽しく充実して楽しい人生が送れそうだけど
これって青臭い考え?


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