壱思想at PHILO
壱思想 - 暇つぶし2ch279:考える名無しさん
07/09/10 20:41:24 0
>ちなみにニーチェは確か晩年
>キリストも仏陀も私である
>そればかりでなく歴史上のあらゆる人物は私である
>みたいな事を言った

このあたりの意味も全くわからない
ダメダコリャ orz
どういう意味?
一が今まで色々と類推して至ったというその類推を披露してくらさい。


280:一
07/09/11 03:54:54 0
>>279
昔は私も人格をもってそれを私と認識して特に疑問を持つ事などなかった
最初のステップは前にも書いたけど動物的本能を自分の中に発見したことだ
それは>>247にも書いた
つまり言語を持ち人格をもつ自分だけで私が構成されてるわけじゃない
ということに気づいた

例えば君が腹が減ったと思ったとしよう
普通ならそのとき君の身体の動物的本能も
生存のために何か栄養が必要だというふうに感じているだろう
それで脳に指令を出して腹が減ったと思わせ何か食べ物を探させる
さてこの時どこからどこまでが自分なのだろう?

281:一
07/09/11 04:09:07 0
デカルト的自我観でいえば
肉体はあくまでも他者ということになるだろう
腹が減ったと思う私だけが私
私に腹減ったと思わす存在は何であれ他者

でもそれって何か変じゃね?
私は肉体も精神もいっしょになって腹減ったと思っている
そう考えた方が自然だと思わん?
私にはそう考えた方がしっくり来た
言語をもって思考する自分以外に言語を持たない野生の自分もいる

282:一
07/09/11 04:20:45 0
これでまず自意識は人格の範囲より広くなったわけだ
動物としての本能もひっくるめて自分と認識するんだから

言語や理性や思考を持たない動物的本能としての私は
とにかく生命を維持しようとして24時間ずっと働いている
呼吸をして酸素を取り込み心臓を動かして血液を循環させる
子孫を残すため精子を作り裸の女を見るとチャンスとばかりに勃起する

まずはそんな自分を自分として認識できるかどうかだ

283:一
07/09/11 04:43:22 0
ところで
動物的本能としての君はどこからやってきたのだろう?
君はかつて母親の胎内に眠る一つの受精卵であった
しかしその受精卵は無からポッと生まれたわけじゃない
それは君の父さんの精子が母さんの卵子に突入してできたものだ
つまり動物的本能としての君は親父とお袋の細胞から発生した
ところで動物的本能それ自体も無から発生するものではない
ということは動物的本能としての君は父さん母さんの動物的本能を
受け継いでいるのだ
もともとが君は君の父さん母さんの細胞なのだから
父さん母さんの細胞には父さん母さんの動物的本能が宿っている
つまり動物的本能としての君は君が肉体として発生する以前
君の両親の動物的本能であったのだ
両者は全然異なるものではなく同一なものだ

284:一
07/09/11 04:52:57 0
これで動物的本能としての君は君の肉体という個体性を超越する
ということは君が君と認める範囲は自我の範囲を超え個体の範囲を超えた
親父お袋の動物的本能も含めて君なのだから
ここまで来るとなかなか想像しにくいとは思うけど
何回も読み直してよーく考えてみればそんなにおかしな話じゃないと思うよ

285:一
07/09/11 04:58:41 0
そしたら君の両親の動物的本能はどこから来たのか?
それは君のじいちゃんばあちゃんから受け継がれたものだ
ほらまた君の自意識の範囲は広がった
動物的本能としての君はじいちゃんばあちゃんの頃から生きていたのだ
そしたら君のじいちゃんばあちゃんの動物的本能はどこから来たのか?
こうしてどんどんどんどん遡っていけば
君は地球で最初に生まれた人類まで辿り着く
つまり動物的本能としての君は地球上に最初の人類が生まれたころから
既に存在していたのだ

286:一
07/09/11 05:23:12 0
そしたら今度は時間をまた逆に流してみる
地球で最初の人間がもっていた動物的本能は
その子に受け継がれその孫たちに受け継がれまたその子や孫へ
現在では60億人の全人類に受け継がれている
ということは動物的本能としての君は動物的本能としての私でもあるし
両者に全然違いはなく同一だということになる
だって全く同じものが受け継がれているんだから
だから私や君は歴史上の全ての人と動物的本能としては同一なのだ
そしてそういう動物的本能の存在の巨大さに比較すると
我々の人格や個性などははるかに小さく一瞬のもので誤差の範囲内だ
よって私や君はキリストや仏陀とおんなじだ

ちょっと終盤めんどくさくなってはしょったけど
まあこんなあたりが私の類推の経緯
ニーチェと同じ推論ではないだろうけど
行き着いたところは同じでそれは自我や個体性や時間を超えた自意識の感覚だ
まあ壱思想はさらにその先まで行くけど
まだ壱は出て来ない

287:考える名無しさん
07/09/11 09:50:11 0
>地球で最初の人間がもっていた動物的本能は
>その子に受け継がれその孫たちに受け継がれまたその子や孫へ
>現在では60億人の全人類に受け継がれている

えーーーっ、「地球で最初の人間」って誰々?

>そしてそういう動物的本能の存在の巨大さに比較すると
>我々の人格や個性などははるかに小さく一瞬のもので誤差の範囲内だ

えーーーっ、巨大って誰が決めてるの?どんな風に巨大なの? 「個性など
這かに小さく」って、何らかの測定したりして結果のことだよね?

「誤差の範囲」って何々?あるデータが抽出され、何らかの統計的処理を
施して、それが「誤差に収まる」と認識されたんだよね?

結果、「人間の意識?なんつーもんは~、巨大な動物的本能に比べたら所詮誤差、
アタシも仏陀もキリストもマキエも、エイジ(←多少語気が変わったように感じ
たのは思い過ごしか・・・)もみんな(誤差範囲内つながりで)一緒~」と
言う結論が生じたんだよね?

と、最近知恵が付いてきて、小うるさいJK(=女子高生)のサエコが携帯片手に申
しておりました。ダラダラ長いメール止めとけって言ってるのになぁ。

288:考える名無しさん
07/09/11 13:12:04 0
一の説明、よくわかりました。
ありがとうございます。

続きを宜しくです。

289:考える名無しさん
07/09/11 19:08:50 0
質問があります。
人格や自我がでてくる前・・・赤子や胎児の頃の純粋な自分というのは
そもそも認識できるのか?一はそれを認識できたのか?それとも~こんな
感じという妄想に近いような感覚なのか?


次の質問
壱思想によって淡々としない?


次の質問
俺は野球をするんだが、すこぶる調子がいい時ってまわり全体が見えて
なんの雑念もないようで頭で考えずとも勝手に体がベストなプレーをしてくれ、
球だろうがまわりだろうがスローモーションのように見えてお茶の子さいさい状態に
なったりするんだけど、これは壱と関係あり?


最後の質問
壱からしたら世の中には説明できない現象は一切なし?

290:考える名無しさん
07/09/12 01:30:02 0
>>281
デカルトは悩んでたね
考える自分と考えない他者である肉体がなぜ対応してつながってるのか?と
肉体(他者)と精神(自分)の二元論から
他者である肉体は消滅しても自分(精神、魂)は残るという発想が生まれたのかな?
考えてみれば考えない非言語の肉体がなければ言語も考える自分もなかったわけだから
肉体だけを他者として軽視する理由も確かにないな。
つ~ことは考える自分も自分だが、考えない肉体も同じく自分と考えても何も問題ないわけだ。
考える言語的自分と考えない非言語的自分、両者はなぜか対応しつつ同じ自分を構成する。
なるほどね。


291:一
07/09/12 11:40:02 0
>>287
サエコちゃんの突っ込みももっともだから
また考えてからそのうち答えるねって伝えといて
>>288
あいよ

292:一
07/09/12 11:50:17 0
>>289

質問1

赤子や胎児の頃の純粋な自分をそのまま認識できたわけじゃないすね
ただ言語や思考を持たない自分はやっぱ
どうしようもなく腹減ったり眠くなったり勃起したりとか
そういうときに認識することができる
そういうような思考以前の生命維持のための衝動は
赤ちゃんや胎児のころにもあっただろうと思う
だからそれは認識というより推論でありまあ妄想と言われれば妄想だな

293:一
07/09/12 11:53:21 0
>>289

質問2

そうだね比較的淡々とするようになったかな
熱くなることもあるけど冷めるのが早くなったかな
でも昔からそうな気もするから
あまり変わってないような気もする

294:一
07/09/12 12:00:55 0
>>289

質問3

美しさと壱は何かしら関係しているという気がしている
アスリートが最高のパフォーマンスをするとき
その姿を見て美しいと私は思う
その感動は動物や魚の動く姿を見て美しいと思うのと似ている
両者の共通点は無心でいることにあるのではないか
無心でいることとは壱と一体になっていることではないか
まあざっとだけどそんな感じ

そのうち「美しさ」や「感動」と壱の関係についても
書いてみたいと思ってます

295:一
07/09/12 12:09:53 0
>>289

質問4

それはわかんないな
説明できることはたくさんあるとは思うけど

>>290
どうして二元論みたいな不自然な主張が
何百年もまかり通ったのかが逆に不思議だわ

296:考える名無しさん
07/09/12 20:41:02 0
>美しさと壱は何かしら関係しているという気がしている
>アスリートが最高のパフォーマンスをするとき
>その姿を見て美しいと私は思う

防波堤で寝転びながら、カモメやウミネコの飛んでる姿をただ受け入れてる時がある。
だけど、あの子らにも個体差はある。威嚇しながら、餌も奪い合う。そんな時に我に返る。
可愛そうに思うときは、釣針ついたままの魚を、何の疑いもなく飲み込んじゃう時だなぁ。


297:考える名無しさん
07/09/12 22:45:42 0
ある日、母が勤め先のスーパーから鳥取のホテル宿泊券を2枚もらってきた
「店長さんが『休みなしのお勤めご苦労様。たまには坊やと一緒に行っといで』って」

       J('∀`)し
        (ヽロロ   ヽ('∀`)/ワーイワーイ
        ||      (_ _)
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

生れて初めての旅行に興奮する俺に母は
「鳥取には砂丘があるらしいよ」「きれいな風紋が見れるといいね」と
お出掛け用に新しい洋服を用意してくれた

   J('∀`)し ♪
t─┐ノ( ノ)        ヾ('∀`)ノロロ
  │■| |       .  (_ _)
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

そして旅行当日 電車やバスを何本も乗り継ぎやっと鳥取砂丘に着いた

        J( 'ー`)し
.         ( ) \('∀`)/
          | |   (_ _)
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄


              ,,..,,..,,..,,..,,..,,..,,..,,..,,
-─-‐―-─-‐''"´ ::::::::::.....::... ::::''"´ ̄ ̄~ ̄ ̄
::::::::...|:::: :::::: | | :::: ::: :/  / ̄ ̄` :::::: /~ / ::::::::
:::::::::::::|____.| | ::::.. ./  ( :::::::.....   / /:::::: ::::::::
..:::::::::|   | ゝ_.ノ:::::.......ヽ_::::::::::::::| ̄\ ::::::::: :::::

298:考える名無しさん
07/09/13 00:51:57 0
>>295
でも、普通の感覚だとやっぱ肉体と精神は別物と考えるのが逆に自然だと思うよ。
じゃないと他人の死を見て肉体は無くなったけど心はどうなったか?なんて発想が浮かばないだろうね。
そう考えるってことは肉体消滅後の心=自分の行方が気になるという心理が働いてるんだろうし。
精神が肉体を認識するという時、認識する精神は主体である自分だが認識される肉体は対象である他者とみなしてるんじゃないかな?
それが常識的な捉え方だと思う。
で、ここがやっぱ壱思想理解のポイントであり難点なんだと思うな。
言語で思考し認識する自分と言語で思考し認識される言語を持たず思考も認識もしない物質(肉体、生存本能)としての自分。
認識においては主体と対象に分かれる両者は元を正せば同じ自分であり自分を構成する二つの側面である。
それは自我、自意識、言語によって自(精神)と他(肉体)に分裂した結果にすぎない。
ここら辺りで大抵はつまずくんだと思うなあ。
289氏の最初の質問もやっぱ自我による認識重視で自分が認識できない対象は他者扱いしてる感じあるし。

299:一
07/09/13 12:11:37 0
>>296
今度釣り行こうぜ
>>297
あれは鳥取出身の私としては断じて許せません

300:一
07/09/13 12:33:03 0
>>298
そうか確かに
デカルトや西洋思想を知らなかった昔の日本人でも
魂が肉体に宿るとかお盆に魂が帰ってくるとか考えてた訳だし
肉体と精神は別物と考えてたんだろうな

そこまでは同意するけど
考える私のみを主体と捉え自分の本能や肉体は客体と捉える考え方は
やっぱ不自然だと思う
哲学的な問題など考えた事もない人は自分の身体と自分の意識と
全部ひっくるめて一個の自分って捉えてないかなあ

例えば誰か友達にこう聞いたとしよう
「ねえ君って誰?」
「え、俺?俺って、別に、いやこれが俺だけど・・・」
多分そんな感じで答えるんじゃないかな

そのときの「俺」って意味には身体も精神も入ってると思うけどどうかな?

301:一
07/09/13 12:45:19 O
ねえ君が思う君って誰?
って聞いた方がいいかも

302:考える名無しさん
07/09/13 13:24:58 0
これと似たようなものに行き着く人って結構いるもんだな
壱思想についてではないことで聞きたいんだが
壱思想の状態になってからアルツハイマーっぽくならなかったか
聞きたい。

俺も友人もそうなったんだw
ただ、日常生活や学校生活に支障をきたすことは
ほとんどなくて、例えて言えば興味がないことについて
確かに見て聞いているのに記憶にとどまらない・それについて
アレコレと思考しないことで、その部分がカッポリ抜けてんの。

みんなどう?

303:一
07/09/13 13:46:32 O
んー俺は特に忘れっぽくなったとは思わんな
まあ思わないのが一番ヤバいのかもしんないけどw

壱思想的な世界観を持つ人が実は案外多いというのは俺もそう思う
天然な奴とか
俺も若い頃よりは確実に天然になったとは思う
他人にどう見られたいとかいう意識が今はほとんどないからな

304:一
07/09/13 14:04:07 O
高田純次とかも壱思想的だと思うなー
あーいう自由で適当でゆるゆるな感じが

305:302
07/09/13 17:05:26 0
高田純次ね。実際どうなんだろうな。
芸として計算して一貫してそう見せているのかもしれないし実際は
俺はわからない。そんな感じもするような気もするけど。
所ジョージなんか囚われない独特の世界観があるようで俺は好き。

なんにしても囚われず自分がやりたいように生きてる人って素直に
なんかいいなーと感覚で思うよ。

306:一
07/09/13 23:51:03 0
所さんも飄々としてていいね
タモさんとかも
でも二人にはまだいろいろ趣味などにこだわりがありそうで
飲み屋のねえちゃんとかに講釈たれてそうな感じがするけど
純ちゃんはそれさえも想像することができない適当ぶりw
ま、勝手なイメージだろうけどさ

流れにまかせてふわーっと生きる

307:一
07/09/14 00:12:32 0
壱思想では言語をもって思考する自我を軽視するので
その人の世界からどんどん自我の割合が減ってくる

自意識過剰なんて言葉があるけど
俺にもかつて自己陶酔と自己嫌悪を延々繰り返すような
そんな青臭い時代があった
その頃俺の世界では思考する俺こそ絶対的な主人公であり暴君であった
何をするにもそいつは顔を出してきていろいろ注文をつけてくる

しかし今俺はそいつにほとんど興味がない
そしたらそいつもあんま何も言って来なくなった
俺の世界でそいつはどんどん小さくなってきて
ほとんどその存在を忘れることもある
それは非常に快適で楽な状態だ

308:一
07/09/14 00:26:25 0
何にもとらわれないでいる自由人を見てなんかいいなーと思う
そういう感覚は興味深い現象だ
それは多分暇そうに空を飛んでる鳥とか見ていいなーと思うのに似てる
みんな自我なんてない状態を心の奥で望んでいる
全部がオートマチックになるような状態を

こんな不条理な世界を不条理な人格でマニュアル運転しようと試みる方が狂気だ

309:一
07/09/14 16:34:06 O
金銭や時間に恵まれた人だけが自由人になれるわけじゃない
困難な生活を強いられてる人でもその人が自由だったら自由人
ではその自由とは何からの自由なのか?
自由じゃない人は何に束縛されてるんだろうか?

310:一
07/09/14 18:15:09 O
壱思想はそれを自意識だと考える
君を束縛しているのは君の自意識

自由人はとらえどころがない
それは自意識が薄く縛る力が弱いのでまとまりがつかないから

311:一
07/09/14 18:39:52 O
日本人は自分を持ってないとかよく言うけど
それでいーじゃねえか
いやむしろそこがいーんじゃんか

自己主張強いやつだらけの社会なんて鬱陶しくてかなわん
そんなんで社会がいい方向に進むとは到底考えられないし

312:考える名無しさん
07/09/14 19:35:37 0
わかっちゃいるけどやめられねー=わかっちゃいないことを理解していない
ことで悩む人々も多いのでは?

313:考える名無しさん
07/09/14 22:22:29 0
自然は美しい

314:考える名無しさん
07/09/15 02:54:09 0
>>300
ああ、言われてみればそうですね。
普段、哲学や思想とは無縁で行きてるような人は
心と体で自分だと漠然と思ってるか、確かに。
そこに哲学思想宗教が絡んでくると厄介なことになる。

でも、「君は誰?」と問うとそれは人称的問いになるから普通に名前を答えるんじゃないの?
または普通に自己紹介したり履歴書に書いてあるようなこと答えたり。
こういう自分の属性をそのまま自分と考えてる人も結構いそうな気がする。

これを「君は何?」と問うと本質的問いになって
答えに窮するかそもそも問いの意味が理解できないんだろうけど。

ま、でも心と体にしても自分の属性にしても
その総体としての自分という現象は現象しない非物質であり非言語の壱による現象でしょ?
つ~ことは二元論も三元論も壱によって一元化される。


315:一
07/09/15 08:26:45 0
>>312
まあ人は普通何かにすがりついてないと不安を感じるしね
それもまた人間の悲しい性だし別に悪い事じゃないと思う

316:一
07/09/15 08:36:33 0
>>313
自然という言葉も考えてみればおもしろい

例えば自然な優しさは美しい
自然に溢れ出る笑顔は美しい
作為的な優しさは醜い
無理に作った笑顔は醜い

どうも我々の美醜の感覚には
それが自然なものか作為的なものかという判断が深く関わってるように思える
そこに思考する私がいればその行為は作為的で醜く
そこに思考する私がいなければその行為は自然であり美しい

こういう感覚は非常に興味深い
またそのうち美醜と自我と壱の関係については述べる事になるだろう

317:一
07/09/15 08:44:12 0
>>314
そうだね「君は誰?」より「君は何?」の方がいいかもね
さらに言えば「君はどれ?」もいいかもしれない

A「君は誰?」
B「いや俺は佐藤ですけど」
A「君は何?」
B「いや何って・・・まあ人間かな」
A「君はどれ?」
B「はぁ?どれって・・・まあこれが俺だけど」

318:考える名無しさん
07/09/16 00:44:31 0
俺なら
君は何?
って聞かれたら
愉快に動く肉の塊。もしくはうんこ製造マシーン
ってとっさに答えちゃうだろうな

319:一
07/09/16 01:29:28 0
宇宙人が俺らを見たらそう思うかもねw

320:考える名無しさん
07/09/16 11:09:11 0
まぁ
俺も宇宙人だしな
お前もだけどな

321:一
07/09/16 13:12:49 O
なら宇宙人オフでもしよか
暇なんだ俺正直

322:一
07/09/17 02:05:40 0
私はかつて宇宙の塵であった
(まあ今でもある意味宇宙の塵だけど)
(だから宇宙人というより宇宙塵だね)
壱思想はその頃の存在の仕方を現在の理性から懐かしむ
それは自我の無かったころに回帰しようとするかのようだ
なぜ自我が自我の無い状態を望むような矛盾が起こるのか
それにはあらゆる生物に備わる先祖帰りの本能が影響してるのかも
最近はバイオテクノロジーが発達し
微生物に紫外線を照射したりして新種の微生物を誕生させている
しかしその新種の微生物は何世代か交配を続けると
元の微生物に戻ってしまうという
異常な進化を遂げた生命体はその前の状態に戻ろうと欲求する本能がある
人類の理性もまた異常な進化なのかもしれない

323:考える名無しさん
07/09/17 10:23:58 0
カッパ セイジンガ チキウ セイフクノタメ フキョウ カツドウヲ ヲコナッテ オリマス
ビショウネンハ シリコダマヲ ヌカレマセヌヨウ ウレタマダムハ イクトヨロシイ カモシレナイ

324:一
07/09/17 17:42:39 O
音楽が魅力的なのも何かしらそういう先祖帰りの本能と関係してるように思える
言語以前、思考以前の自分への回帰が音楽によってもたらされてるんじゃないか

325:考える名無しさん
07/09/17 21:49:02 0
タチモドッテミマショウ=タチモドッテハジメマショウ デワナイノカモシレナイ

326:考える名無しさん
07/09/17 22:49:05 0
【プロファイル】
ここに貼ってあったスレも読んできた。すっげー長すぎw
しかも半分位からはグダグダで後半は何とかスレを残そうとする動き見え見え状態だったぞw
んまあ、どうでもいいが。

壱にしろ、あっちでいう原則にしろ、それ自体ではなくある共通点があるかもな。

・1人で考える時間空間が十分にあった。
・社会適応能力、人間関係力が世間で言うところの「欠けている」人々。
・現在も世間で言うところの、、、同上。
・原則については物理等を当てはめ、その原理をあらゆることに適応させれば
 スムーズに且効果がある動きと結果につながる的なことを言っている模様。
・壱については、そんなことすらもある意味自我がからんでくるから純粋な
 まま漂えばいいだけさ~的なことを言っている模様。

、、、かもな。

327:一
07/09/17 23:50:07 O
ははw
確かに我輩は今ニートであるがずっとそうだったわけじゃないあるよ
次は職人を目指してるので今勉強中なのだ
今は社会に適応してないかもしれないけど適応さすことは何でもない
なぜなら私は私にこだわりがないから

328:考える名無しさん
07/09/17 23:55:21 0
かもめ

329:考える名無しさん
07/09/18 00:05:40 0
すんばらす

330:一
07/09/18 00:07:09 O
原則のことはよくわからんが
壱思想は人生に役立ったり世の中を良くしたりするものじゃない
単なる一つの世界観だーね
その世界観に基づくと、思考する自我や人生は軽視されることになる
だからその結果としてふわーっと漂うことにならざるを得ない

331:考える名無しさん
07/09/18 00:14:12 0
だよ

332:考える名無しさん
07/09/18 00:15:21 0
何回も言ってるけど、気がつかないのかな

333:考える名無しさん
07/09/18 00:17:08 0
んで、つぎよね?つぎはむずいよ。

334:一
07/09/18 00:21:10 O
ふわーっと漂うことと職人を目指して勉強することは矛盾してるように聞こえるかもね
確かに漂うっていうとだらーっと何もしない感じがするしな
でも俺ん中では全然矛盾してなくすごく自然なんだ
要はその行為が自然かどうか、無理があるかないかが大事
無理のない生き方を私は人生を漂うと表現してるわけなのれす

335:考える名無しさん
07/09/18 00:23:02 0
つぎない だよ

336:考える名無しさん
07/09/18 00:24:45 0
一が誘導なんてできないよ。残念、甘いよ。

337:考える名無しさん
07/09/18 00:26:44 0
えと、えと。

338:考える名無しさん
07/09/18 00:26:50 0
「・・・なのです!」
「ふーん。で?」
「いや、べつに」

というやり取りを楽しむスレ

339:一
07/09/18 00:29:46 O
なんか禅問答みたいのが多いすね
俺なぞなぞとかめちゃ不得意だぜ?

340:一
07/09/18 00:43:54 O
>>338
まあそんなやりとりは今後もちょくちょくあるだろね
こんなんでも楽しんでもらえるならわしゃ嬉しいよ

341:考える名無しさん
07/09/18 01:01:28 0
楽しんでますので、壱&一続けてどぞ。
自分の中に沿って=漂うってことは読んでいる人々はわかってるような
気ガス。たぶん。

あげとくよん。

342:考える名無しさん
07/09/18 02:04:20 0
んで、「主体性」述べればよろしいのでしょうか?


343:考える名無しさん
07/09/18 02:07:34 0
もうこねーーーYO

344:一
07/09/18 03:07:51 0
>>341
thx
>>342
述べてみて
>>343
さいなら

345:考える名無しさん
07/09/18 03:16:25 0
まけた・・・・・

346:考える名無しさん
07/09/18 03:19:15 0
2敗1分って自分でおもってるんだけど、どこまでなの?

347:考える名無しさん
07/09/18 03:43:50 0
おせてくださいな・・・くらいしかいえないんだろな

348:考える名無しさん
07/09/19 00:35:44 0
>>327
言っとくが、別に批難したわけでも否定したわけでもなんでもなく
ただ単にそう感じたから書いただけだからな。

んまあ、俺は壱思想に興味があるから今後の展開も見るだろう。

それにしてもアレだな。必ず俺みたいな奴もいれば、荒らす奴もいるもんだ。
んまあ、この荒しは君に嫉妬してんのかもな

349:考える名無しさん
07/09/20 02:41:33 0
荒らしによって、壱は磨かれてさらなる次元へと昇華するのだ!!

350:考える名無しさん
07/09/20 04:26:25 0
磨くっていうのは、顕微鏡でやっと観察できるくらいの
細かい細かい傷を付けて行くことでしょ。
深い荒い傷なら破壊されて磨くことにはならない。
それは醜い傷だ。

351:一
07/09/20 18:22:59 O
まあ何であれ反応があると
自分じゃ思いもよらない視点を持つきっかけになったりしておもろいわ
荒らしでも何でも自由にやっちゃってくれい
あとはそのうち暇で頭いいまとめ人みたいのが現れると最高なんだがな
俺にはそういう気力がねーし
まあとりあえず引き続き流れにまかせて適当に垂れ流してみる

352:考える名無しさん
07/09/21 17:15:47 0
この世に産まれたからには
影響を受けず生きることは不可能
また影響を与えず生きることは不可能

全く影響を受けず与えず生きたいもんだなー

353:考える名無しさん
07/09/22 00:22:10 0
>>352
山に篭れ。

354:一
07/09/22 03:37:49 O
確かに君の人格は日々誰かに影響され変化し続けるし
君の接触する人の人格に何らかの影響を及ぼし続ける
でも別にいーんじゃない?
だって君の人格なんて君の存在のうちのほんの薄皮一枚なんだから
どうなろうと関係ないさ
オッパッピーだ

355:一
07/09/22 03:48:03 O
そもそも私は私の人格をもって私の一部と認識することにすら抵抗がある
なぜなら私の人格形成は全て外発的に為されてきたからだ
私の人格は私の出会ってきた様々な出来事や人々の反映である
全く違う環境で生まれ育ったなら全く違う人格になっただろうし
もしオオカミに森で育てられたなら人格をそもそも持たなかっただろう

356:一
07/09/22 04:37:48 O
また私は人格と他者の境界線は全然きっちり引かれてないとも思う
自分が思った事として人に話してたらふと
あ、これあいつに聞いた話だった、なんて事あるでしょ
他人は私の中に簡単に入り込むし私もまた他人に入り込む
集団ヒステリーなんかもそのいい例だ
人間は集団で興奮すると個々の人格の垣根など一瞬にして取っ払われる
そういうのから見ても人格と他者ははっきり区別できるようなもんじゃない

人格は蜃気楼みたいだ
それはゆらゆらと頼りなげに浮かびながら変化し続ける
その実体は単なる光の反射が作り出す虚像でしかない

357:一
07/09/22 04:46:56 O
また君と私は肉体こそちゃんと区別できるものの
精神は既にある部分溶け合っていてきちんと区別できない
それだけ人格というのは無定形でぐっちょぐちょで互いに独立してないのだ

358:一
07/09/22 04:56:44 O
なので私はそんなものを私として認める気には全然ならないし
真剣に向き合う気にもならない
流れのままに勝手に変化さしてあとは死ぬまで笑ってやり過ごすのみ

359:一
07/09/22 05:03:56 O
そして虚像でない実体としての君や私とは壱なのである

360:考える名無しさん
07/09/22 07:10:44 0
思春期の若者の全能感と
さして変わらない勘違いじゃん

考えたらずとも言えるね

361:一
07/09/22 14:15:23 O
んー君の思春期がどんなだったかわからんけど
ま俺の場合思春期は最も自意識過剰な時期だった
壱思想はその自意識をとことん軽視する
また壱思想は俺は神だ、何でもできるぜ的な感じじゃないな
むしろどっちかといえば巨大な自然災害を目の当たりにした時のような
どうしようもなくて笑うしかない突き抜けた無力感に似ている

362:武陽陰士 ◆ATDF4vFZys
07/09/22 18:15:08 O
セックスのときは相手と一体化して自分なんかないよ。

363:考える名無しさん
07/09/22 18:38:12 0
君が高らかに歌い上げている一思想には決定的にかけている部分がある。
それは現実的な実効力が無いばかりか、むしろ阻害してしまうという点だ。
山に篭って自然と一体化し、野の山菜を糧として孤独に暮らす老子や、
イナゴを食べて伝道するヨハネ等を模範とし、そういう生き方に満足するのなら
それでもいいが、現代社会に暮らす君は
一思想で本当に満足した生活を送れるのか?覚悟があるのか、と問いたい。
おそらく否だろう。
きみだってセックスはしたい、おいしいものは食べたい、良い車にのりたいし
良い音楽聴きたいし、良い家に住みたいと思うだろう?
その際、きみの神秘がかった現実的なアクチュアリティをほとんどもっておらず、
単に逍遥的な知的遊戯としてしか機能しない。家に閉じこもって掲示板に
同語反復的な説教を書き連ねている君は、おそらく一見自由な思想に不自由を感じているんだろう?
言っておくが、壱を地で行って稼げる商売はそうはない。
それなりの自意識を構築し、環境に適応していくことが求められるのだからな。

364:考える名無しさん
07/09/22 18:40:58 0
神秘がかった現実的な→神秘がかった壱思想は、現実的

365:考える名無しさん
07/09/22 20:50:44 O
>>363
そのままじゃ稼ぐのは無理だろう。宗教と同じだ。教義通りにしたら
たいていの宗教は稼げない。稼げてる宗教は本来の教義を曲げて
現世利益を唄ってバカを騙して大量に釣り上げた所だけだ。

366:考える名無しさん
07/09/23 12:49:29 0
古今の偉人といわれる宗教者、哲学者の到達点は、まさにここにある思想。
この思想を出発点として、豊かに発展させていくことを期待する。


367:考える名無しさん
07/09/23 15:32:22 0
時間ってなに?
空間ってなに?
ただの概念?

368:一
07/09/23 21:59:24 0
>>362
いいセックスしてんだな
うらやましいわ

369:一
07/09/23 22:19:17 0
>>363
んー別に俺は世捨て人になれとは言ってないよ
セックスしたかったらセックスしたらいい
自然に湧き上がる欲求に素直に従ったらいい
流れに任せて漂えばいいってのはそーゆーこと
自然に世捨て人になりたいと思ったんなら世捨て人になったらいい

自意識や人生や社会についても
そんなもん全部否定して捨て去れって言ってる訳じゃなくて
あんま深刻に考えたり真剣になったりしないで
軽ーく考えて遊んじゃえって感じかな

370:一
07/09/23 22:32:24 0
>>367
難しいお題だねいろんな意味で
まあ時間とか空間は人間が世界を把握するときの尺度じゃないかな
それ自体で存在しているようなものじゃなく
人間の思考にいつも付随してる枠組みたいなものじゃん?


371:考える名無しさん
07/09/23 23:12:00 0
欲求に素直に従ってたらハチャメチャになんね?

372:一
07/09/23 23:43:10 O
痴漢をしたいと思ってそのまま痴漢しちゃったら確かにはちゃめちゃになるわな
まあ普通そういう時自分を抑制するのは社会的制裁は受けたくないという欲求だろう
それもまたごく当たり前の自然な欲求だ
それでも痴漢したい人はすればいいさ
はちゃめちゃにしかなれないような人もたまにはいるし
社会的制裁は受けるべきだと思うけどね

373:一
07/09/24 03:14:50 O
ところで現代社会における満足いく生活ってどんな生活なんだろ
自分の適性や能力を生かした仕事に就いて世の中の役に立って
好きな子と結婚して幸せな家族を作るって感じ?
それができたら勝ち組でできなきゃ負け犬?
みんなそれを目指さなあかんのか?
そんな価値観の方が非現実的で神秘的な妄想だわ俺にしたら

374:考える名無しさん
07/09/24 03:21:44 0
自分のサイトつくろうよ。ね。

375:考える名無しさん
07/09/24 03:35:48 0
>>371
負の欲求ならなるだろうな。
でも負の欲求はストレス溜まらないと出てこないんじゃないかなあ?

たとえば腹が減るでしょう。無茶苦茶減ったとするでしょう。すると人間は
(というかたいていの動物は)食料を求めるために鬼のようになるよな。
殺してでも食う、というような鬼気迫った感じになるよな。でもそこまで腹が
減らなきゃそうはならないわけで、日頃から適度に普通の欲求を満たす
ことを怠らなければ破壊的欲求は起きないような気がする。


376:考える名無しさん
07/09/24 04:07:52 0
自演なんかしてないで。な。

377:考える名無しさん
07/09/24 04:19:34 0
>>376
どこどこ? どれとどれが自演なんだ?

378:一
07/09/24 15:48:29 O
>>375
なるほどそういうもんかもしれないな
普段から何か我慢し続けてる人は酒飲んだとき急に荒れたりするし
我慢しなくちゃいけないときもあるけどしなくてもいい我慢はしない方がいい

379:一
07/09/24 15:57:16 O
2ちゃんみたいに予測不能なノイズが入ってくる方が頭の体操にいいんだわ
自分のサイトはある程度話題が一回りしたら考えてみるよ

380:考える名無しさん
07/09/24 17:44:51 0
智恵子抄

381:考える名無しさん
07/09/25 00:44:05 0
シンプル程 長持ち。
まざりもんがない。
だな。


日々充実してれば満足だよな。
さて、充実や満足とはなんじゃ?

382:考える名無しさん
07/09/25 01:47:00 0
「頭」の「体操」はおかしい
「体」を操るから「体操」
「頭」を操るなら「頭操」

383:考える名無しさん
07/09/25 01:52:19 0
この板には
同じようなことを
もっと突き詰めて話してるところがいくつかある
サイトもある

っていうか似たようなもんなんだから『道』でいいだろ
わざわざ分けるほど需要ないし
こんな程度の低いスレのサイトなんか作るだけ無駄

終了

384:高村光太郎
07/09/25 02:41:02 0
元素智恵子

智恵子はすでに元素にかへった
わたくしは心霊独存の理を信じない。
智恵子はしかも実存する。
智恵子はわたくしの肉に居る。
智恵子はわたくしに密着し、
わたくしの細胞に燐火を燃やし、
わたくしと戯れ、
わたくしをたたき、
わたくしを老いぼれの餌食にさせない。
精神とは肉体の別の名だ、
わたくしの肉に居る智恵子は、
そのままわたくしの精神の極北。
智恵子はこよなき審判者であり、
うちに智恵子の睡る時わたくしは過ち、
耳に智恵子の声をきくときわたくしは正しい。
智恵子はただ嬉々としてとびはね、
わたくしの全存在をかけめぐる。
元素智恵子は今でもなほ
わたくしの肉に居てわたくしに笑ふ。

385:一
07/09/25 02:48:29 0
>>380
ぐぐってざっと読んでみたよ
この詩の元素を壱と読みかえれば
壱思想そのものと言ってもいいと思う
大体おんなしようなことを彼も感じていたんだな

386:一
07/09/25 02:53:10 0
>>381
充実感や満足感は不足感や不満感が解消されたときの感じだろね
腹減ったとき飯食って空腹感が解消されたら満足感を得られる

387:一
07/09/25 02:59:10 0
>>382
じゃ頭操もおかしいな
頭動かしてるわけじゃないもんね
>>383
哲学や思想の歴史全てが壮大な無駄だしな
壱思想が無駄でも仕方ないさ

388:考える名無しさん
07/09/25 15:25:59 0
我が頭操

389:考える名無しさん
07/09/25 17:40:16 0
だろ。智恵子抄読んだ時、おんなじようなことやっぱ感じるんだなと。
このスレが無駄だろうが壱思想が無駄だろうが一が暇つぶしでやって
いようが人助けでやってようが見てる俺、書き込む誰かが存在して
流れてる~。いいんじゃね?




390:考える名無しさん
07/09/25 17:42:31 0
少子化について
毒男・女が増えてること
地球温暖化
について一、壱から説明どぞ

391:考える名無しさん
07/09/25 18:35:51 0
脳内の電気信号を操ってるから



















電操

392:考える名無しさん
07/09/25 18:52:03 0
時間について壱はどう説明するのだろうか。
世界が変化している。しかし時間は実在していない。
実在しているのはただ壱のみ。
壱の時間論を展開すれば道とは違ったものになるかもしれない。
時間が流れていく理由も。

393:考える名無しさん
07/09/25 18:58:26 0
無駄は言い過ぎだろ
みんな悩んで思考をあれこれと巡らせて
一周回ってやっと無駄に辿り着くんだから
せめて無用の用とでも言ってくれよ
過程がなきゃ結果もないんだし

394:考える名無しさん
07/09/26 19:14:33 0
般若心経

395:考える名無しさん
07/09/27 22:12:19 0
あれ?もう終了ってことはないよなw

人間が思想の存在や物質の存在を考える以前から実在している現実の世界
ってなんでつか?



396:一
07/09/27 23:20:39 O
>>392
少し前にも書いたけど
時間とは人間の思考に常に伴われる枠組みたいなものだと思う
人間は時間という枠組を度外視して思考することはできない
なぜなら前にも少し書いたけど
過去を想起できなければ自意識を持つことすらできないから
そして自意識なしに思考することは不可能だから

時間や空間という概念と他の一般的な概念はその存在の仕方が異なる
時間や空間は自意識の思考の仕方の中に枠組として常に存在する
その他の一般的な概念は自意識の思考の対象としてのみ存在する

397:一
07/09/27 23:23:51 O
時間はなぜ流れるのか?と問うのは
空間はなぜあるのか?と問うのと同じような問いだと思う
人間は空間という思考の枠組を獲得してしまっている以上
意識上においては世界を空間があるものとして認識せざるを得ない
それ以外の選択肢はない
時間についても同じ
人間は時間という思考の枠組を獲得してしまっている以上
意識上においては世界を時間が流れるものとして認識せざるを得ない

398:一
07/09/27 23:26:24 O
上のレスですげー疲れたので続きはまた後で

399:一
07/09/28 02:56:50 O
ところで壱としての私は時間にも空間にも我関せずってな感じで存在している
時間や空間なんてのは意識とか身体の事情でしょ
俺にはそんなのカンケーねえし

400:一
07/09/28 03:05:34 O
>>390
小子化についてはいろいろ原因があると思うけど
社会がそこそこ平和でまわりでどんどん人が死ぬわけでもないし
子供をたくさん生む必要を人々が意識下であまり感じてない
ってのがひとつにはあるんじゃないかな

温暖化については特に関心ありまへん

401:一
07/09/28 10:33:22 0
カンジーザイさんはある日
肉体や精神は壱による現象にすぎないことに気付いて何か楽な気分になった
肉体や物質は壱による物質的な現象で
思考や感覚や意志は壱による非物質的な現象だ
万物は壱による現象であり常に転変生滅を繰り返すが
壱は不生不滅、不垢不浄、不増不減
そして壱としての私には肉体も意識も感覚もない
だから迷ったり老いて死んだりすることはないし
修行したり勉強したりもしない
そういう壱としての私が自分の本体だと気付いたら
何かにこだわったり何かを怖がったりするのがバカバカしくなっちゃった
そんな彼のお気に入りの呪文を紹介しよう
でもそんなのカンケーねえ、、あーそんなのカンケーねえ
ハイ、オッパッピー
チントンシャンテントン、チントンシャンテントン

まあこんなのが般若心経の壱思想的解釈かな

402:一
07/09/28 10:37:24 0
>>393
無駄かどうかは何をもって有用とするかで変わるわな
ひまつぶしとしてなら無駄じゃないさ

403:一
07/09/28 10:41:08 0
>>395
それは君が生まれたばっかの赤ん坊のときに見ていた世界だろね

404:一
07/09/28 15:48:27 O
例えば昆虫とか魚にとっての世界は
今俺らが見てる世界とは全然違うものだろう
世界は見られるものによってその姿を変えるが
そのうちどれが正しくてどれが間違いだということはない

405:一
07/09/28 16:02:45 O
そして
誰も見ることのない世界はどんな感じなんだろう?
っていう問いには答えることができない
問いが論理矛盾を起こしてるからね
何かを答えたらそれはもう誰も見てない世界じゃなくなっちゃうじゃん
だからそれは想定不可能だ

406:考える名無しさん
07/09/28 22:42:17 0
一は書籍や情報等から学習し至った経緯があるように見えるんだな。

407:一
07/09/28 23:43:14 0
そりゃ俺も人生経験だけからこの思想を持つに至った訳じゃない
いろいろ本も読んだしネットとかで得た情報にも影響されてるよ

408:考える名無しさん
07/09/29 11:00:35 0
見識の代わりに知識を持ち出し過ぎる自称インテリゲンチャ達の打たれ弱さを生暖かく見守る休日いと楽し。

409:一
07/09/29 12:00:16 O
俺もそういう感じの理知的な女がふと見せる弱さとか好きだよ

410:考える名無しさん
07/09/29 18:55:43 0
URLリンク(4d4u.net)

411:一
07/09/30 03:15:01 0
おもろいスレだね
頭がこんがらがってくるけどな
でもそのスレの1が気づいたことってのは何となくわかる気もする
ちょっと長くてややこしくなると思うけど何とか説明してみるね

まずこないだも書いたけど
俺らは時間と空間という世界を把握するための枠組を持っている
そしてその枠組を度外視して思考することは普通できない
世界には縦横高さの広がりのある空間があり
且つ時間が流れているようにしか認識できない

でも昆虫とか魚にとっては
同じ世界が俺らとは全く違う枠組でもって把握されているだろう
アメーバとか単細胞生物にとっての世界はもっと違うだろう
もし宇宙人がいたら彼らにはまた全然違う世界が広がっているだろう

でもそれぞれの世界のうちで
どれが正しくてどれが間違っているということはない
人間の見てるこの世界や宇宙がデフォルトなんてことはない
それぞれがそれぞれの枠組でもって宇宙を把握している

412:一
07/09/30 03:16:15 0
さてここで誰も見ていない宇宙というものがあると仮定して
それを壱による純粋現象Xと名付けてみる
すると人間の見てる宇宙や世界というのは
純粋現象Xの一つの側面ということになる

純粋現象Xを空間と時間という四次元で把握したものが
今俺らの見ている宇宙であり世界である
だからそれは決して純粋現象X自体を把握しているわけじゃない
その一つの相とでもいうべきものを把握している
例えば宇宙人が十次元把握できる枠組を持ってたとしたら
彼らには世界は十の次元を持つものとして現れてるだろう
それがどんなものかはわからんが

413:一
07/09/30 03:35:18 0
で、その四次元スレの初代1が発見したものをとりあえずYと呼ぶ
以下に1の述べるYの特徴を並べてみる
・Yは言葉で説明できない
・Yは1と0で説明できることではない
・Yを把握するには1だけあればいい
・Yは一歳くらいの頃には誰にでも見えていたが今は普通見えない
・Yは五感で認識するというより直感するもの

414:一
07/09/30 03:45:39 0
以上を要約すると
Yとは普通の人間の思考の枠組で認識できたり記述できたりするものではない
つまりYは時間と空間という思考の枠組で規定することができない

ところでYは一歳くらいの子には普通に見えるという
それはちょうど時間や空間の枠組がまだしっかりと獲得できない時期だ

つまり私の予想では
Yとは時間や空間という思考の枠組ができる前に見えてた世界なのだと思う

415:一
07/09/30 03:51:00 0
なぜ年をとるとYが見えなくなるかというと
時間と空間という枠組が強化され
そのようにしか世界を認識できなくなるからだ
しかしその枠組を獲得する前に持っていた枠組は消えたわけじゃない
ただ普段は意識下に押し込められているだけ
だからふとした瞬間に時空という枠組が外れると
より原始的な枠組によって世界が立ち現れることになり
結果としてYが直感される

416:一
07/09/30 03:55:00 0
んーまだちょっとうまく説明できた気がしないし
興味深いテーマでもあるので
また明日考えてみる

417:一
07/09/30 17:38:44 0
この例に限らず世間でいうオカルト体験なんかも
>>415のような仕組みで体験されてるのかもね

俺らは受精卵から胎児になるまでに魚みたいな形になったりする
これは進化の仮定を辿り直してるように見える
受精卵は受精卵なりの世界を把握する枠組があっただろうし
魚みたいだった頃はそれなりの枠組があっただろう
そしてそれらの枠組は成長に応じて意識下に畳み込まれていく

壱思想では我々の意識上の部分は存在の一部分にすぎないとする
意識化の部分には言葉を持たず思考もしないワイルドな君がいる
意識下には進化の過程における君の歴史全てが畳み込まれてる
魚だった頃の君もいるし猿だった頃の君もいる
そしてそれらは死んだわけじゃなく常に生きている
ただ意識下に押し込められてるだけ
というか意識からは普通は気づかないだけ
君の意識や人格とは君という巨大な氷山のほんの一角にすぎない

418:一
07/09/30 17:56:57 O
考えてみれば音楽を聞いて心が揺さぶられるのも不思議なオカルト体験だ
あれも言語を獲得したことによって不要となり意識下に畳み込まれた感覚の発露なのかもしれない

419:考える名無しさん
07/09/30 19:33:04 0
面白くなってまいりました

URLリンク(aurasoul.vis.ne.jp)

これはどう?

420:一
07/09/30 20:18:31 O
んー特に気になるとこはなかったけど
二元論てことでいえば壱思想は力と物質の二元論といえるかな

421:考える名無しさん
07/10/01 01:08:15 0
>君の意識や人格とは君という巨大な氷山のほんの一角にすぎない

キャハハ フッル www

422:一
07/10/01 01:52:06 O
まあ当たり前といえば当たり前だわな
これからもとんでもない新発見なんかは出てこないよ多分

ちなみに老子はこんなこと言ってる
人は道のことを聞くとたいがい笑う
しかし笑われなけりゃそれは道じゃない

423:考える名無しさん
07/10/01 02:55:17 0
一の表出を笑った覚えはあっても、「道」を笑ったおぼえはないyo。

424:一
07/10/01 03:42:05 O
笑うってのも不思議な行動だよね
当たり前のことをさも俺が発見したみたいに言いやがってちゃんちゃらおかしいぜ
そう思ったとき何で人は笑うんだろう?
態度と内容が不釣り合いだからかな?
不調和とかズレとかは確かに笑いを誘うことがある
しかし不調和が不快感をもたらすこともある
じゃ笑いと不快感を分ける要素ってなんだろう?

425:一
07/10/01 16:02:00 O
壱思想では生は笑うべきものとされる
なぜなら生は真剣に取り組むに値しないと考えるから
真剣に生と向き合う人にとっては生は笑えないし笑えと言われるのは不快だろう
何かしら自分がこだわって大事に思ってるものの秩序や調和が乱されると人は不快を感じる
でもそのズレが突拍子もなかったりして
何かに真剣になったりこだわることそのものがバカバカしくなると人は笑い出す
こだわりから解放されると人は笑う
それはとても気持ちのいい爽快な笑いだ
でも笑いにもいろいろあるね
気持ち悪い笑いもある
それを分ける要素ってなんだろう?

426:一
07/10/01 16:56:18 O
愛想笑いとか鼻で笑うとかは
自分がバカバカしくなるというよりは相手をバカにする笑いだわな
いじめたり悪だくみしてるときの笑いもそうだろう
気持ち悪い笑いは他者を馬鹿にするから起こり
気持ちいい笑いは自分を馬鹿にするから起こる
馬鹿にするベクトルの違いが気持ちいいか悪いかを決めてるんじゃないか

427:一
07/10/01 17:02:06 O
でもじゃあ赤ん坊はなんで笑うんだろね
ただ単純に目が合っただけで笑っちゃうこととかもある
ああいう笑いはなんなんだろう?

428:考える名無しさん
07/10/01 18:51:31 0
>壱思想では生は笑うべきものとされる
美しいものを見たときの言葉にできない畏怖
異性を好きになったときの神秘的な感情
失恋したときの救われざる永遠の悲しみ
聖なるものに対する根源的な好奇心
自分が命をもっているということにたいする恐怖
生きている大自然に対する絶大な驚嘆
こういうものを感じているとき、もしくは感じたけいけんがあるなら以後ずっと、
決して、生は笑うべきもじゃなくなると思いますよ。生は驚くべき畏怖の対象になる。
生自体が笑うべきというより、一般的な範疇での生の営みが笑うべきといったほうがよくはなくて?
笑い笑いばっかで、命に関するものまで笑うくらいなら、べつに哲学する必要もないんじゃなくて?
宇宙や命に対する形而上的な畏敬の念こそが、哲学を動かしているものだと思われます。
そういうものを知らない人が、壱を悟って、生が笑うべき対象だとかいって、いろいろと自分の思想を公開されたところで、
別に他人からみれば何の魅力もないです。
哲学者も神秘主義者も、命の本質に対して真剣に洞察をいれているからこそ、本当の一なるものに対する形而上的認識に届くのだと思われますよ。
苦脳こそが人を神聖にすると説いた偉大な哲人は、生きることそのものが盲目的なものだという諦念に辿りつきましたが、
スレの最初から意味もない鬱や苦しみは愚かなことだとか言って、生は笑うべきで真剣に取り組むべきものでもないとか言われても、
本当に真剣に苦しみながら哲学的に生を洞察した偉人と比べたら、まるで茶番でしかないんです。
とくに深い思想にたどり着いたわけでもないのに、勝手に生一般を笑ってしまってるようでしたら、
本当に意味のない思想だと思いますよ。ただ過去の思想の同語反復のようにしか思われません。魅力は感じません。
命に対する畏怖や生きなければならないという苦痛を忘れてしまったら、思想は過去の偉人の言説の同語反復かただの言葉の羅列になるでしょう

429:一
07/10/01 19:49:14 O
何か予想もしてなかったようなことに出くわすと人間は笑ってしまう
赤ん坊にとっては毎日が想定外だろうしそれで笑っちゃうのかもね
それは頭脳が劇的に変化するのを和らげるクッションのようは機能なのかもしれない
俺が人生を笑っちゃうのも笑わないと気が狂うからかもな
忘れる機能と笑う機能は脳を正常に維持するためにもともと備わってるものなのかもね

430:一
07/10/02 04:54:03 0
>>428
んーまあ気になるとこを要約さしてもらうと
・形而上的な存在に畏怖や驚嘆を感じると生は驚くべき畏怖の対象になる
・驚くべき畏怖の対象は笑うべき対象ではない
・命に関するものまで笑うくらいなら哲学する必要はない
・形而上的な畏敬の念が哲学の原動力である
・苦悩こそが人を神聖にすると偉大な哲人は説いた
・苦悩のない思想は茶番である
そんなとこかな

431:一
07/10/02 05:21:55 0
まず哲学についてだけど
哲学とは何かというのはまあ人それぞれいろんな定義があるんだろうけど
そもそもphilosophyっていう言葉はギリシャ語で
「知を愛する」とか「知の友達」みたいな意味で
対話なんかしながらいろんなことを考えることを愛するってこと
それが哲学だと私は思ってます

確かに近代の西洋の哲学者は苦悩した人が多いだろうけど
苦悩する哲学だけが本物であとは茶番だってのは違うと思うな
近代の西洋の哲学者がみんな苦悩したのはキリスト教と哲学が
どうしても相反するからだと思うよ

ちなみにプラトンは「国家」でこんなこと言ってる
人生には真剣になるべきことは何一つない

432:一
07/10/02 05:41:14 0
哲学の原動力についてはそんなに異論はないな
君の言うように
言葉にできないような感動や驚嘆や畏怖の情から
形而上的な思考は生まれるし、それは思考の原動力ともなる
そこまではわかるけど
だから生は畏怖すべきで笑うべきでないってのはちと飛躍があるんでない?

まあ要は尺度が違うんだな多分
俺は生を軽く感じるけど君にとっては生は軽くない
俺にとってこの生や人格は全俺のうちのごくごく一部だから軽い
けど君にとってはそうじゃないから軽くないんだろう
そうじゃない人に無理に生を笑えとは言わないよ
苦悩したきゃ苦悩したらいいさ

433:一
07/10/02 05:49:34 0
だから壱思想的にはどんな人生を送っても偉大も卑小もない
苦悩して真剣に真理を追求しようが
一生遊び呆けて人に迷惑かけ続けようが
そんなの俺らの存在の巨大さに比べたら誤差の範囲だから

434:一
07/10/02 15:40:23 O
だから壱思想的には
苦悩し真剣に真理を追求した人を人々が偉人だといって称賛するその光景こそが茶番で
その彼のしかめっ面が実に笑えるということになる

これは俺が正しくて君が間違ってるというような問題じゃない
ただ単に視点が違うだけ
この視点に立つことが正しいとも思わない
人生いろいろ
視点もいろいろ

435:一
07/10/02 16:49:53 O
だからこのスレも茶番
書き込んでる俺も茶番
壱思想がそもそも茶番
俺は俺も世界も笑う
壱思想は壱思想自体を笑う

436:考える名無しさん
07/10/02 19:43:18 0
インド哲学でオススメ書籍おせーて。

437:一
07/10/02 20:54:00 O
Osho「存在の詩」かな
わかりやすいよ

438:考える名無しさん
07/10/02 21:29:18 0
あれ、おわっちゃうの?

439:考える名無しさん
07/10/02 21:36:09 0
>>430->>434
苦悩、真剣さ、命にたいする畏敬、が欠けてるから茶番だ、
と言いたかったわけじゃなくて。
貴方、独断的にいろいろと笑いの対象にしたり、
自分の立脚している思想体系のもとにいろいろ判断したりしているだけで、
ていうかそうだから、
全然、深みまで潜れていないのよ。
だから、そう簡単に決め付けてしまわないで、たとえばもっと苦の煉獄や笑えない恐ろしいものを直視してみた方が、
いろいろと認識も深まるでしょう、そうしたらいいのに、て思ってみたので御座居升た。
認識の深さなんて、人間の心に底がないのと同じで、いくらでも突き詰めれば深まるはずなのに。
別に当たり前のことを言っているだけしか思えなくて、スレ丸ごと思想を語るつもりなんだったらってちょっと期待してたもんだから。
体験的にも理性的にも深く哲学をやってるていうのは、とても感じましたが。
生命感に満ち溢れる認識、個性的な斬新な認識、というのがあまり感じられなくて、哲学史の同語反復のように思われました。
>>262に非言語的な領域を自分として見る、というのがありますが、たとえばそこで言及されているユングにとっては子供のころから感じていた当たり前のことですよ。
一なるものへの認識は、完全に内向的、求心的な認識だから、外へ、つまり新しい認識へ向かわない。だから外の人がどういう認識をもっていたかということに関して盲目になる。
著名な哲学者や神主義者は、自分なんかよりもはるかに凄いことを認識している、それを自分も認識したい、そういう畏敬に近い構えがないと何も進まないと思われます。
貴方が、壱という一なるものを悟ったところで、それをもっと広く生に対する認識へつなげなければもったいない。
それで壱へ求心しているあいだは、自分の理念に基づいてしかものを見れない。だから、関係ない、意味ない、笑うべき、とかで簡単に片付けてしまう。
知識はたくさんお持ちみたいですが、何かしらその知識の可能性を無駄にしてしまっている。
壱思想という思想によって簡単にその知識の意義が決定されてしまっているから。


440:考える名無しさん
07/10/02 21:36:42 0
ヨガの僧になりたい、ここに書かれていることとは比較にならないほどの恐ろしく内向的で体験的体感的な認識へ将来達したいつもりなら、
別に壱に今以上に憑かれたままでいいと思いますが。
壱思想を豊かにしたかったら、一度、壱、一なるもの、根源的一者、ショーペンハウアーの意志、そういう全体であり一である類のものに憑かれないで、思考をもっと外向させ、
新しい認識、新しい感覚、新しい直観を求めた方がいいように思われ升。
形而上的なもの一なるものを形而下的に体感的に認識するのも大事だと思うけど、
たとえばニーチェが芸術に触れて感性を豊かにしていったように、一度哲学以外のものに深く触れては?など勝手に思いました。
なにか足りないといえば、やはり感性が足りない。哲学好きの男性であれば仕方ないことですが。
でもせっかくいろいろ考えてるのに、そのせいで認識の視野が壱点に絞られてしまっているみたいでもったいない。
感性がもっと深まれば、思春期の青臭い自意識の葛藤のような何処の教養小説にも書いてあるようなことを遥かに超えた、
美、苦悩、聖なるもの領域を体験できると思われます。
自分のもう完結してしまっている思想体系だけが、ほとんど貴方の思考の基準を決めてしまっていて、
あらゆる感じうる認識しうる感覚や概念が鉄も金も石も何でも混ざってる砂だとしたら、
きっと貴方の理念が磁石になっていて、鉄しか感じられていない認識できていない、
せっかくいろいろなこと知ってるし考えているのにただ笑って済ませてしまうのはもったいない、
このスレたまに見てたけど、そういう印象がしました。勝手な批評、横槍長文失礼。

441:考える名無しさん
07/10/02 22:05:42 0
>>439
自分信じすぎ

442:考える名無しさん
07/10/02 22:46:43 0
441がそもそも、うんこやな

443:考える名無しさん
07/10/02 22:51:28 0
あほか

444:一
07/10/02 22:58:42 0
>>439-440
ははw
俺の人生の心配してくれてるわけね
そりゃご親切なこってす
ありがとさん

芸術や美については今まであまり書かなかったけど
そのうち流れが来たら書こうと思うのでお楽しみに

ちなみに君が尊敬してるかはわかんないけどデカルトさんは
森で迷子になったときはとりあえず一方向に進むべきだと言った
どういう意味だと思う?
私は壱という極星を目指してひたすら歩くのみ

445:一
07/10/03 00:01:55 O
ちなみに私は哲学や思想よりも音楽が一番好きでね
音楽にかけてる時間の方がはるかに多いよ

446:考える名無しさん
07/10/03 00:33:41 0
>哲学や思想よりも音楽が一番好きでね
いわゆる体験的に哲学をする人にとっては、音こそが最高の意識の媒体だと感じる人が多いですね。
脳内をサイケデリックにさせる感覚は、聴覚の次は、五感の中では視覚ではなく意外に嗅覚だということを、香水マニアからきいたことがあります。

>俺の人生の心配してくれてるわけね
>そりゃご親切なこってす
>ありがとさん

いえそういうわけではなくて
現時点で当スレにある言葉からわかる範囲での思考を辿ってみると、
なんとなくそういう気がした、それでどうしようもなく胸が騒いでしまった、というだけのことです。
貴方の対象に対する接し方は、対象のうちの自分が立脚している壱思想という理念が感知した部分・本質的だと思った部分だけ
抜き出して対象のその他の面には触れる前からその対象がそういうものだと決めている、だから、
対象の、拡張するとこの世界の、生(なま)の姿は、ひどく求心的な理念によってあらかじめ姿が変えられている、
そういうふうに感じました。壱思想を優先しすぎて対象にはごく一部しか触れていないというような。
生を笑うというのであれば、生のもっとぎりぎりの生の姿を見てから笑う方が、いい笑いではないかと。
そういう種類の疑問があったわけでして。
笑い、というのはうまく利用すればいわば真実と現実の妥協弁のようになると思われますが、
下手に笑うと、下品になったり、苦々しくなったり、自嘲染みてきたりして、ただ笑われるだけの道化を演じてしまうという危険もあると思います。
まあどういう思想をもつかは人それぞれですか何も口出しする権利はないのですが、
ただ、そのデカルトのお話のような星として空にあるものではなくて、地下のしかも地球の中心に壱が居そうな気がします、変なところに迷い込まないよう、お気をつけて。

447:一
07/10/03 04:22:57 0
>聴覚が最高で次が嗅覚
俺は聴覚より鬼頭の触覚の方が脳内麻薬が出やすいかな

>壱思想は生そのもののごく一部にしか触れていない
>もっと生に深く接してからでなくては生を笑うべきではない
俺さ、高校生の頃さ、何かっつーとすぐ先生に突っかかるような
すげー生意気で嫌な生徒だったんだけど
特に漢文の先生が気に入らなくてさ、期末テストのとき一個も解答しないで
漢文の勉強なんて意味ないと思いますとかもっと他に教えることあるだろとか
そういう文句ばっか書いて提出したことがあんだけど
返ってきたテストには赤ペンで0点て書いてあってその下に
「やることやってから言いなさい」って書いてあったんだよね
何かそんなこと思い出しちゃったなw

448:一
07/10/03 05:13:28 0
まあその先生と君の言ってることは一緒だと言いたい訳じゃないけどさ
まあ言いたい事はわかる気がするよ
確かにこのスレを俺が他人として読んだら
いろんな過去の思想を適当につぎはぎにして作った理念とやらで
勝手に都合良く世界を理解してるようにしか見えないかもしれない

でもさあ・・・
そんなもんなんじゃないかなあ所詮人間の思想なんて
君の尊敬する人だって結局は自分の都合いいように世界を理解してるのさ
世界そのものをあらゆる角度から理解できる人なんていないよ
そりゃ程度の差は多少あるかもしれないけどそんなのドングリの背比べだろ

449:一
07/10/03 06:05:20 O
ちなみに私の思想形成には両親の死を看取ったことが大きく関わっている
それが君に生のぎりぎりの姿を見たと認めてもらえるかわかんないけどさ
そんなのもそのうちそんな流れになれば書くことがあるだろうからお楽しみに

450:考える名無しさん
07/10/03 17:12:53 0
両親亡くしてるのか。大変だったな、、、。

451:一
07/10/03 19:01:08 O
また私の母は統合失調症であった
彼女と向き合った日々ほど私の思想を影響し決定づけたものはない

そういえば智恵子抄の智恵子も分裂症だ
ま、たまたまかな

452:考える名無しさん
07/10/03 20:22:44 0
あれ、おわり?

453:考える名無しさん
07/10/04 02:06:55 0
>>447
そういう青春真っ盛りな意気込みだけははそのままで、
そういう青春真っ盛りな思いつきは
大人になっても引きずったりしないように、
思想を創っていくことができたら、それは素晴らしいことですね。
>>448
もちろん誰でも自分の都合のいいように世界を解釈するもんで、
哲学史は解釈相互間の闘争の場のようなものなのだともいえるし、
影響力のある哲学者ほど自分の理念のもとにあらゆる物を解釈しているものですが、
その解釈作用をする理念が、強度があったり、創造的であったり、深く生を認識していたりしてこそ、
他の解釈を押しのけて新しい哲学として影響力をもつわけであって、
そうでもない状態の自分の哲学的な基盤を疑わずに信用しすぎて、
その基盤のもとにしかあらゆるものを解釈できない、何もかもを壱思想的にしか吸収できない傾向が強くなってしまえば、
哲学的基盤、自分の思想は豊かにならない、他の人の哲学から大事なものを吸収できない、
自分が認識しているだけのことしか自分は認識していないのであって自分が認識していないことを哲学者はたくさん認識しているということを忘れてしまう、
そういうことになってしまいそうだから、その壱思想というものに憑かれたままでは
よくないのではないかな、という感想があったわけです。
同じ壱という一なるものに関する思想をあらゆる考えを抽象していって抽象化論理化していくにしても、
いろいろな多くの認識を手に入れた上でしたほうが、ずっとその思想は豊かになるでしょう。
勝手な批評、気を悪くされていたら申し訳ないです。
自分の思想という内側にあるものへの内向と、他の哲学者やその他世界に存在するいろいろな思想や芸術への外向の、
呼吸のようなリズムが、思想を豊かにしていくように思われます。

454:一
07/10/04 17:17:46 O
まあこれまでもそうだったように私の思想は今後も微妙に変化していくだろう
私は思想が完成したとは思ってないし、それにしがみつく気もないから
ただ
いろんな家具や調度品や芸術品の置かれた洋間のような豊満な思想よりも
畳と襖しかないガランとした空間に掛軸が掛かってるだけの和室のような思想に近付いていく気がする
まあこれはどっちが正しいかじゃなく趣味の問題だわな

455:考える名無しさん
07/10/05 19:04:22 0
age

456:一
07/10/05 19:05:26 O
まあでも例えば
料理の道を極めようと思ったら旨さとはこういうもんだとかいう思い込みを捨てて
初心に帰ってあれこれ食べてみるべきだろうし
俺もそんな風にして日々起こる事に接していきたいと思うよ
それが、こだわらない自由人なんであって壱思想的生き方なのさ

457:考える名無しさん
07/10/05 21:04:26 0
易や風水にもつながりそうだな

458:一
07/10/05 23:06:07 O
そういうのは全然詳しくないけど「気」というのは壱に近い気はするな
元気って言葉が俺は好きでね
いろんな気のもともとの気
元気は無邪気で無尽蔵であり疲れを知らない
そういうものが私の本体
そう思うと辛いときでもほんとに元気が出て来るのは不思議だ

459:一
07/10/05 23:16:55 O
何かしら元気を阻害するものはできるだけ捨てていくべきだし
ちゃんとしたメシを食ってちゃんと寝ることが何よりも大事だと思う今日この頃です

460:一
07/10/05 23:28:10 O
だから猪木さんが
元気ですか~っ!と叫び
馬鹿になれ
とことん馬鹿になればほんとの自分が見えてくると語るのも
深いな~と思うな
ほんとの自分とは元気そのものなのだ

461:考える名無しさん
07/10/06 01:31:47 0
>いろいろと認識も深まるでしょう、そうしたらいいのに、て思ってみたので御座居升た。
>新しい認識、新しい感覚、新しい直観を求めた方がいいように思われ升。

↑に萌えてる僕は負け組みですね・・・

462:一
07/10/06 02:35:39 0
その元気が私の心臓を動かし肺を動かしている
私の細胞一つ一つを動かしているのも元気である
元気こそ私の主人公であり私自身なのだ
元気としての私は宇宙ができたころから存在していて
未来永劫存在しなくなることはない
そして常にあらゆる空間に元気としての私は満ちている
だからその元気があなたの心臓も動かしている
ということは結局私とはあなたでありあなたとは私である

463:一
07/10/06 02:38:41 0
>>461
大丈夫だよ俺も少し萌えてたしw

464:一
07/10/06 13:11:02 O
精神も肉体もぐにゃぐにゃにやらかくしとくのが元気をスムーズに流すのにいい
硬さ、凝り、こだわり、わだかまりは元気の流れを阻害する
ヨガや気功も元気を滞りなく流すために身体を整える努力といえる

465:考える名無しさん
07/10/06 15:00:04 0
壱とは生命そのものという感じかな

466:一
07/10/06 16:38:21 O
んーそうだね近いかな
より正確に言うと壱とは生命そのものの原動力みたいなもの
ありとあらゆる現象の原動力が壱
だから天体の運行の原動力も壱
だから壱は生命にその対象を限定していない

467:考える名無しさん
07/10/06 17:32:22 0
原動力かぁ。
原動力の原理ってどんなん
かな?

468:一
07/10/06 17:48:06 O
宇宙が超巨大なドミノ倒しだとしたら
その最初の一個を倒した力のことを私は原動力と呼ぶ

469:考える名無しさん
07/10/06 18:38:02 0
だからー、その原動力に原理はないの?と聞いたんだけど

470:一
07/10/06 19:03:25 O
そら失礼しますた
原理って言葉で君が意味したいことがまだつかめないけど
宇宙の最初のドミノを倒すってのは一回限りのことで再現することはできない
原理とは普通何回もある現象を観察して見出だすことのできる、
こうなったら必ずこうなるというような法則のようなものだと思うけど
そういう意味でいえば壱に原理があるかはわからないな
壱に原理を見出だすには宇宙を何回か一番最初から始めさせて観察する必要があるだろうから

471:考える名無しさん
07/10/06 21:42:34 0
そだね。
すんまそんw

壱からあらゆる原理が発生しているということか。


ついでに、前に君が紹介してくれたOSHOって本探した
んだけど、これ書店に置いてなかった。図書館にもなかった。
アマゾンで注文中。読んでみようと思う。
図書館にI AM THATという題名のインドの本があった
んだけど、これも同じ部類かな?

仏教哲学は、どういった本?

472:考える名無しさん
07/10/06 21:45:48 0
もの こと の理を説明してみてくらさい
イデアについて説明してみてくらさい
老子の道について説明してみてくらさい

473:一
07/10/07 00:36:47 0
>>471
I AM THATは読んだこと無いけどざっとググって読んでみた感じでは
壱思想とある部分似たようなこと言ってるっぽいね
よかったら読んでみてよ
仏教思想は俺もよく知らんけど
禅だったらOshoの「究極の旅」はおもしろかったかな
でも彼の本はほんとにインド思想や仏教思想を勉強したいならおすすめしない
一般的な教養として読みたいならその専門スレの人に聞いてみるがよろし
Oshoの本は勉強になるというよりはおもしろくて何か癒されるって感じかな

474:一
07/10/07 00:42:28 0
>>472
ものの理ってのはいわゆる物理のことかな
物体のふるまいにおける法則といったところか
ことの理ってのはなんだろね
形而上的なことにおける法則とか原理原則みたいな感じかね

イデアや道に関してはその専用スレで聞いてみるとよろし

475:一
07/10/07 01:10:34 0
ただ原理だとか法則とかいうのも
人間が四次元の思考の枠組を持つからその帰結として存在し発見されるのであって
宇宙人が十次元の枠組を持ってたらまた全然違う法則があるだろうし
魚や昆虫にはまた全然違った法則があるだろうし
我々の発見した法則というのが宇宙のデフォルトということはない
だから極言すれば人間がいなければ我々に知られてるどんな物理法則も存在しない
なぜなら人間がいなくなればこの世界をこのように把握する存在はいなくなるから
我々の見ている世界は純粋現象Xの一つの相にすぎない
我々の発見した原理や法則はその一つの相における原理や法則にすぎない

476:一
07/10/07 09:45:42 O
だから人間の意識下においてはどんな物理法則もカンケーない
なのでUFOや幽霊のような物理法則を無視した現象が時々知覚されるのだ
それもまた宇宙の一つの相

477:一
07/10/07 13:13:17 O
いろんな芸術のインスピレーションの源泉も
意識下での宇宙把握にあるのかもね
天才と狂気は紙一重だと言われるのも

478:考える名無しさん
07/10/07 20:46:18 0
一は(和風)ポストユンギアンなのかい?

479:考える名無しさん
07/10/07 21:53:57 0
本紹介してもらったもんだけど、
早速読んでみるわ。

それと、また間違えたw
仏教哲学じゃなくて、禅関係でおすすめ本なんかある?
と書いたつもりが、、、、

480:考える名無しさん
07/10/08 00:07:41 0
人の認識の枠を超えた話は全部戯言

遊びとしては楽しいね
かわいいね

481:一
07/10/08 01:04:30 0
>>478
なんなんだろうね
好きなようにレッテル付けてくれたらいいよ
俺は何だとも思ってない
酔っぱらいの戯言でも結構
実際そんなもんさ
>>480
照れるじゃないかw

482:一
07/10/08 03:40:41 O
私は認識できないことでもそれを想定して仮説を立てることができる
それができてしまう限り私はそれをやめるわけにいかない
なぜなら私は認識できる枠内の材料だけで自分の存在のあり様を
自分に納得させることがどうしてもできないから

483:考える名無しさん
07/10/08 06:48:32 0
認識できる枠内の材料だけで自分の存在のあり様を
自分に納得させることがどうしてもできないから
それを想定して仮説を立てることができる

↑って書き方はおかしいのかな?

484:考える名無しさん
07/10/08 08:23:32 0
自分に納得させることができない・・・

能力不足を補うための想像に頼った考え
それが思想なのかもしれないな

思想を持つのは弱さの現われ、か

485:一
07/10/08 09:43:41 O
どんな科学者でもまず直感から仮説を立てる
そしてそれが既知のものと整合性を持つかどうかを検証していく
なぜ仮説を立てるかというと既知のものではどうしても納得できないから

486:一
07/10/08 14:50:38 O
既知のものから未知のものを類推することが思考するということで
絶対に答えの出ないような問題を粘り強く考えることを愛することこそ本来の哲学
だから簡単に納得したり諦めたりしない人、
人がさっさと通り過ぎるとこでつまずき続けるような人が思想を持つ

487:考える名無しさん
07/10/08 18:36:07 0
あんこう鍋、美味しうございます

488:一
07/10/08 19:39:57 O
そりゃようござんした
もうそんな季節なんですなあ
肝は召し上がられました?

489:考える名無しさん
07/10/08 19:44:21 0
肝は油分多いから少ししかたべてないよ

490:一
07/10/08 19:53:58 O
そりゃヘルシーでますます結構なこってす

491:考える名無しさん
07/10/08 20:02:17 0
「壱」と「一」の中の人って一人なの?

492:一
07/10/08 20:28:20 O
一人だよ

493:考える名無しさん
07/10/08 20:33:30 0
別で「釣り(および指示)」とかしてないの?

494:一
07/10/08 20:40:13 O
してないよ

495:考える名無しさん
07/10/08 21:10:33 0
自然界はアートだな~

色もそう
形もそう
配置もそう

すんばらし


鍋の季節か~おいらはキムチ鍋が一番好きさ~

496:考える名無しさん
07/10/08 21:18:59 0
はにゃー

497:考える名無しさん
07/10/08 22:45:02 0
不安や心配ってなんだろう?

498:考える名無しさん
07/10/08 22:55:13 0
>>497

おせてくらさいな

499:一
07/10/09 01:48:01 0
>>495
最近美しいと思った自然って何?
それの何がどう美しかった?
>>497
最近不安や心配を感じたことって何?
それの何がどう心配だった?

500:一
07/10/09 02:42:45 O
一口に美しいと言ってもいろいろあるわな
俺の場合だったらこないだ釣ったソウダガツオが美しかったなー
ソウダって鱗があんまなくて表面がツルツルの銀色の魚なんだけど
釣り上げたとき朝日が反射してキラキラ輝いてほんとキレイだった

人間は基本的にキラキラ輝くものを美しく感じ有り難がる習性がある
古代の人が鏡に神秘的な魅力を感じていたのも同じ習性からだろう
この習性の源泉は太陽崇拝にあると思う
古代の人にとっては雨や嵐のあとの日光は実に有り難く神聖なものだっただろう
その名残として光るものを好む習性が残ってるんじゃないかな

501:一
07/10/09 02:58:19 O
不安や心配は期待感やワクワク感と表裏一体なものだと思う
未知の未来に対して何かしら期待すると同時に不安や心配が生まれる
期待がなければ不安も心配もない
逆に言えば不安や心配があるところには必ず何かしらの期待がある

502:一
07/10/09 16:40:28 O
また人間は
形や色はどうでも
とりあえず馬鹿でかいものを見ると美しいと感じるようにできている
高い山や深い谷、でかい滝や川、広い海や空
こういうものは世界中で信仰や崇拝の対象となってきた

じゃなんで俺たちはでかいもん見るとそんな風に感じちゃうんだろね

503:一
07/10/09 16:55:27 O
でっかい木が俺は好きだなあ
何かでっかい木見ると「うっ」てなる
気で負けるっていうかな
かなわねえっていうような気分になる
すいませんでしたと謝りたくなる

504:一
07/10/09 17:00:38 O
キレイな海潜って魚がたくさんいるのを見たときも同じような感じがしたなー
何か自分が入っちゃいけないような聖域に踏み込んだような感じ
申し訳ありません すぐ出ますんで みたいな気持ち

505:一
07/10/09 19:14:14 O
満天の星空のような巨大な情景を目の当たりにすると我々は
あー俺ってほんとちっぽけな存在だなーと感じる
時にはそれを超えてすっかり時間や自分を忘れることもある
言い換えれば巨大な情景を目の当たりにすると
自分の世界における意識上の自意識の範囲が狭まっていき
時にはその存在が無くなることさえある

506:一
07/10/09 19:29:12 O
さらに言い換えれば
巨大な情景を目の当たりにすると人格の意識や時間の意識は弱くなり
時には空間の意識さえ消えかかる
その辺に美しいと感じる情動の源泉がある気がする
もう少し考えてみよう

507:一
07/10/09 21:30:36 O
多分古代の人たちにとっては美しさと神聖さは一緒の感情だったんじゃないかな
「うっ」となって言葉を失って立ち尽くすそういう対象を崇拝するのは自然な感情だろう

508:考える名無しさん
07/10/09 22:16:22 0
自然の壮大さを目の当たりにすると一瞬思考がなくなる
我がなくなるような
純粋に純粋な自然に対しての反応が美なのかもな。

圧倒されて こりゃかなわねー的感覚も持ち上がってきて崇拝したり
したのかもな。

老子が無為自然を薦めているのは、それが本来個々の自然美だし
無理なく自然に進むからかもな。
葛藤もストレスもなく。

509:考える名無しさん
07/10/09 23:23:00 0
ゆうだいなしぜんにあっとうされる

それが先入観だとは、思わない
疑わない
疑いという意識を向ける対象としてみることができない

普通人たちの限界が垣間見れる事例のひとつだな

510:一
07/10/10 14:38:58 O
そういや射精するときも「うっ」てなるよね
古代では男根女陰も崇拝の対象であった
セックスの時も盛り上がると人格や時間や空間の意識が弱くなる

511:一
07/10/10 15:02:48 O
美を感じ感動するとき人間は「うっ」となり言葉を失う
次いで歓喜とも安らぎともつかぬような感情が静かに溢れだす
一方そのとき同時に人間は人格や時空の意識が薄れている
ここから
人間には人格や時空の意識が薄まると何かしらの快感を覚える習性がある
と一応推測できる
ではなぜ人間は人格や時空の意識が薄まると何かしらの快感を覚えるのだろう?

512:一
07/10/10 15:09:27 O
その理由にこそ
美が美たる所以
人間を感動させる力の源泉
つまりは美の正体が隠されている

と一応推測できる

513:一
07/10/10 23:24:22 O
私のとりあえずの仮説はこないだもちらっと書いたが
先祖帰りの本能が人格や時空の意識の弱まった人間に快感を感じさせる原因
というものだ

人間は常日頃帰りたいなーと無意識のうちで思っている
何の問題もなく存在していたあの頃に帰りたい
巨大な情景や偉大な芸術に出会うと人間は一時的にあの頃の存在の仕方に帰れる
だからその時欲求が叶うので快感を感じる

514:一
07/10/10 23:31:28 O
海辺でぼーっとして波の音に身を任せてると不思議と
我が家に帰ってきたかのような安堵感に包まれるものだ
海は我々の故郷
我々は心の奥の方でいつも海に帰りたがってる

515:一
07/10/11 00:30:30 O
じゃなぜ人間は帰りたがってるのか
それは本能が猿から人間への進化をやべっなんかまずいぞと気付いてるからじゃないか

前にもちらっと書いたが微生物は異常な進化を遂げると何世代かかけて元に戻ろうとする
人間の意識下にそういう意志があったとしても不思議ではない
何よりもこの何千年かの人類の体たらくを見れば
人類が地球にふさわしい生物じゃなく
いなくなった方が地球にとってはよっぽどいい存在であることを証明してるようなもんだw

516:一
07/10/11 00:34:53 O
だから多分自然に対してすいませんっていう気持ちが生まれる
自然に対する畏敬の念の源泉もここにあるのではないだろうか

517:一
07/10/11 12:03:43 O
老子やルソーが自然に帰りたがるのもその回帰衝動の現れ
セックスしたがるのもその回帰衝動の現れ
何か気疲れしたとき海とか川に行きたくなるのも

518:一
07/10/11 12:45:37 O
だから色や形がすばらしいから自然が美しいというより
自然そのものが既に美しい

美しい海とは自然そのままの海のこと
醜い海とは人の手の加わった海のこと

519:考える名無しさん
07/10/11 13:47:31 0
やばい方向に走り始めたな

韋駄天二号の誕生か?

520:考える名無しさん
07/10/11 17:08:28 0
人間だって死ねば自然に自然と還るだろ。
動物だろうが植物だろうがそうだろ。

人間も自然界の1部なんだからその自然界の1部が手を加えたからといって
不自然(醜い)となるだろうか。
ある意味、それも自然だと思うんだが。

521:一
07/10/12 04:48:36 O
まあ言いたいニュアンスはわからんでもないけどさ
より大きな視点から見れば人間の所業もなるほど全て自然
まあそれはそれとしても人間は通常の目線においては自然不自然や美醜を感じてしまう
それは何故かと今考えているわけなんでがす

522:一
07/10/12 06:40:22 O
なので人間の深層意識には
自分たち人間の子孫繁栄を望む意志と
人間以前に回帰しようとする意志とが
微妙なジレンマをかかえながら混在していると考えられる

523:一
07/10/12 06:50:32 O
その辺が人間が自分がやりたくてやったことを
不自然で醜いと感じてしまうという矛盾の原因なんじゃないかな

524:考える名無しさん
07/10/12 11:30:16 0
自分の思想に酔い始めてるぞ

もう少し冷静になってよく考えろ

525:一
07/10/12 15:27:55 O
あいすみません
じゃちょっと慎重に考えてみようかな

自然が美しいのはいいとしても
人間が作ったものでも我々は美しいとか醜いとか日々判断している
その判断の違いはどこから来るんだろう?

526:一
07/10/12 17:00:20 O
例えば美しい字と汚い字を我々は何をもって判断しているのだろうか
お手本に近いかどうか?
ではなぜお手本の字は美しいとされるのだろう?

527:一
07/10/12 17:30:38 O
お手本の字はたいがい均整がとれている
字の外側をなぞると円や三角形などの幾何学模様になることが多い
じゃなぜ人間は均整のとれたものを美しいと感じるのだろう?

528:考える名無しさん
07/10/12 17:32:23 0
DNAに記憶されてんじゃね?w

529:一
07/10/12 19:04:56 O
もしそうだとしたらどういう意図をもってそれは書き込まれたんだろ?

音楽からいえば我々は不協和音より和音を美しいと感じる
それは和音の方が周波数の均整がとれているからである
何故均整がとれている方がいいんだろう?

530:一
07/10/12 19:10:09 O
野の花もまたたいがい均整のとれた形をしている
円曲線や放物線や等辺三角形の組み合わせで形が構成されている

531:一
07/10/12 19:18:06 O
何かしら我々には整ったものを好む習性がある
またごちゃごちゃしたものをキレイに整頓すると快感を感じる習性がある

532:一
07/10/12 19:31:02 O
花は何故美しいのだろう?
まさか人間に愛でてもらうためにおしゃれをしてるわけじゃあるまい
やつらは虫をひきよせたいんだろう
だから甘い香りを出し蜜を用意しカラフルに装う
それは花粉を運んでもらって受粉させ子孫を作りたいが為だろう

533:一
07/10/12 20:04:48 O
回遊魚の流線形の美しいフォルムは
長距離を省エネで泳ぐ為に試行錯誤した結果ああいう形となるに至ったのだろう

534:考える名無しさん
07/10/12 20:06:35 0
そうしたい為というより、たまたまそうした状態があって
それだと種が続いたからってだけじゃ?

種が滅しそうになったら勝手にたまたま進化して種を残す形となったってだけ。

例えば、タンポポなんかは鳥が食べるような実をつけず種が色んな所に落ちない。
そこでたまたま遠くまで勝手に飛びあらゆる所に種が飛ぶ綿毛というシステム(?)
で残っている。

種の保存はあらゆる生物の本能、、、というよりもっと深い部分で組込まれて
いるんじゃ?

自然界のアートについては、その形(均衡のとれた)だと、たまたま崩れにくく
バランスがよかった(残りやすい)。
こういったことに対して人が美を感じるのも、人間自体自然の1部なんだから
(人間も大体対に割れて均衡がある)、自然界DNAが続いていく上で便利
だから、たまたまそうなってんじゃね?

そして自然界DNAを持っている人間が美を感じるのも元々あるものと
一致するため、『快』のような感覚があるんじゃ?

、、、と主観で言ってみたw

535:考える名無しさん
07/10/12 20:11:28 0
こういった思想を持つと、日常生活で支障きたさない?
こういった思想をまだよく理解できていないので
詳しくつっこめないけど、、、

それと、一は喜怒哀楽はある?
あっても、それにとらわれることはないとすれば
人からものすごく理不尽なことをされたとしても
なんともないの?

幼稚な質問ですまそ、、、

536:一
07/10/12 23:52:34 O
生命には多分周りの環境においてより効率良く生きていきたいという欲求がある
効率の良いフォルムを求めていくとそれはたいがい均整のとれた形に行き着く
一流アスリートのフォームもまたそういう努力の結晶であり
それらは大抵均整がとれており無駄がなく美しい

537:一
07/10/12 23:57:00 O
より効率よくなりたいという本能的欲求があるので
均整のとれた無駄のないものを見ると「快」を感じ
バランスが悪く余計なものでごちゃごちゃしたものを見ると「不快」を感じるのかもね

538:一
07/10/13 00:01:54 O
だから多分富士山見ると感動するんだろうなー
抜群に均整がとれていてさらに巨大でありかつ自然だからね
美の三連コンボ
相当つえーぜ

539:一
07/10/13 00:16:53 O
>>534
種の保存の欲求は個体の生存本能よりさらに深いとこにあると私も思う
じゃあその種の保存を欲求している主体は一体誰なんだろう?
壱思想はそれもまた君に他ならないと考える

540:一
07/10/13 00:26:48 O
>>535
特に支障はないし喜怒哀楽はあるし嫌なことされたら腹立つよ
何でそう思ったの?

541:一
07/10/13 00:36:30 0
まあとらわれないっていうのは
怒りを感じてもそれを感じないようにするって意味じゃなく
本来なら時間がたてば怒りの情は自然と減少していくところを
いつまでもこだわって怒ろう怒ろうとしようとしない
怒りの情にしがみつかない
って感じかな
万物の本性は変化にあり、それは感情も例外ではない
どんな感情も継続することはなくそれは瞬間瞬間に変化している
その流れに身を任すのがとらわれないという表現で俺が言いたかったこと

542:考える名無しさん
07/10/13 17:09:45 0
535です。
インド系の書籍を読んでいたら
聖者という者が解いている文があって、そこに
「感情も性格も人格もないのだ。それを超越している。そこには
感情性格人格感覚さえもないのだ。」と書いてあって、それを読んだ
時、理解できず、これって人間か?と思い、もしや一もそうなのか?
と思い聞いてみただけです。

543:一
07/10/13 18:32:02 O
一としての私には喜怒哀楽があるけど
壱としての私には人格も思考も感情も感覚もない
私は重層的に構成されている
人格としての私
動物としての私
種としての私
生命としての私
壱としての私
どれも私

544:一
07/10/13 18:35:29 O
そして壱としての私が私の存在の核心で
一としての私は私の存在のほんの表層を形成してるに過ぎない

545:一
07/10/13 18:50:04 O
一としての私や動物としての私は私の肉体が死ねばいなくなる
種としての私は人類が滅びればいなくなる
生命としての私は地球上の生命が絶滅すればいなくなる
でも壱としての私は宇宙がどんなことになろうとも不滅
そういうものが私の核心

546:一
07/10/13 19:01:02 O
だから言って見りゃ誰だって聖者であり悟達者なんだよ
誰だって存在の核は壱なんだから
誰だって壱としては人格も感情も感覚も超越してるんだから
それをさも稀有なことのように語るのがインド人や禅僧の悪い癖だね

547:考える名無しさん
07/10/13 23:45:19 0
>稀有なことのように語るのがインド人や禅僧の悪い癖

一ちゃん、すごいな。

548:考える名無しさん
07/10/14 01:22:12 0
均衡のとれた人生とはどんな人生だろうか?

549:考える名無しさん
07/10/14 01:51:20 0
表層にあるものこそがその存在の核心となる、とする考え方も在り得る

そもそも、何にとっての核心なのかを、はっきりさせもせず、よく語るものだな

本質的な核心だとでも言うのだろうか?
だとしたら本質的な核心などに、どれほどの実効的意味があるというのか

軍隊で所属を言うように言われて地球と言う様な奴は首だ

550:考える名無しさん
07/10/14 03:06:40 0
私は地球市民。

551:一
07/10/14 03:27:40 0
>>547
一休さんもこんなこと言ってるよ

釈迦といふいたづらものが世にいでておほくの人をまよはすかな

552:一
07/10/14 03:29:27 0
>>548
どんなんだろね
バランス良く無駄のない人生ってことだから
自給自足生活みたいな感じの人生かな

553:一
07/10/14 03:47:19 0
>>549
どっかでも書いたけど
なぜ私が人格としての自分を表層にすぎないと表現するかというと
人格が私の存在の絶対条件ではないと考えるからである
人格なしでも私は存在し得る
例えば何かに夢中になって自分をすっかり忘れてたときでも私は存在している
また寝てても気絶していても生存本能としての私は常に活動している
ここから
生存本能としての私の存在の仕方は
人格としての私の存在の仕方よりも
私の存在性のうちで主要な役割を果たしていると推測できる

まずここまでで異論があればどぞ

554:一
07/10/14 04:16:25 0
ものごとの本質や核心を考えることを愛することが哲学
実効的意味とやらがあろうがなかろうが

555:一
07/10/14 11:51:31 O
また私の人格は片時も一定せず常に変化し移ろいゆくが
私の生存本能は意識がどうなろうと常に同様に働いている
ところでものごとを観察するとき人間は普通
しょっちゅう変わる性質よりもいつ観察しても変わらない性質の方を重要視する

556:考える名無しさん
07/10/14 15:06:36 0
>しょっちゅう変わる性質よりもいつ観察しても変わらない性質の方を重要視する

同意。普遍的なものに吸い寄せられるように。
重力みたいなもんかな。
そしてそれは元々備わっている生物の資質みたいなもんかも。
と思ったことが俺もある。

557:一
07/10/14 17:00:15 O
そのもともと備わっている資質が私の根であり
人格は私の葉
その木全体が私

558:一
07/10/14 17:11:22 O
君も私も生命という大木の一枚一枚の葉っぱ
葉っぱが散れば我々の人格は消えてなくなるけど根は残る
だから根っこにおいては君も私も一緒で区別できない
壱とはその生命という大木をつき動かすエネルギーそのもの

559:考える名無しさん
07/10/14 17:21:21 0
そして木はいつか枯れる。

560:一
07/10/14 17:34:19 O
そう
そして木が枯れても壱は残る

561:考える名無しさん
07/10/14 18:52:01 O
何がいいたい?

562:考える名無しさん
07/10/14 19:13:04 0
ちんこは勃起したりしおれたりを繰り返すものであるということだ。
しおれたからといってちんこがなくなったわけではない。
ちんこは永遠だ。

563:一
07/10/14 19:56:16 O
>>561
>>543-545

564:一
07/10/14 20:09:06 O
>>562
ちんこが勃起したりしおれたりするのは現象であり
壱はその現象を引き起こす力そのもの
だからちんこが永遠なのではなく壱こそが永遠

565:考える名無しさん
07/10/14 21:04:38 0
何をしたらよいのかわからず職を転々と変え新しいことは慣れるまで
大変なエネルギーを要すから いつも落ち着かず疲れている人。

親や世間の目を気にして親や世間的によさげと思われる職に就き、自分で
好きでとかやりたいからという動機で選択しなかった職のため、やる気もなく
つまらない・苦しいと感じる仕事をただただしている人。

どちらがいい?または、どっちもどっち?

世間を見渡すと、こういった人々が多い気がする。

566:一
07/10/14 21:25:58 O
どっちか選べといわれたら俺は最初のやつの方がいいな
同じ辛い生活でもまだ変化があった方が気が紛れるし
そのうちいい職場に巡りあうかもしんないし

567:一
07/10/14 21:40:59 O
新しい環境に慣れるのにすごい疲れる人と何ともない人といるよね
何が違うんだと思う?

568:一
07/10/14 23:29:31 O
大体一番疲れるのは人間関係だわな
俺も小四のときに転校したときとか疲れたなー
周りの空気を読まなきゃいけないし
でもナメられないようにしないといけないし
でも思えば小三のときも転校したけど悩んだ記憶は全くない

569:一
07/10/14 23:35:01 O
多分それはまだ小三のときは自意識がほとんどなかったからだろう
自分がどういう人間であるかとか
人からどう見られたいかとか
そういう意識が気疲れを生む

570:考える名無しさん
07/10/14 23:41:39 0
>>564
海綿体に流れ込む血流ですな。

571:一
07/10/14 23:42:33 O
だから自分を大切にすればするほど気疲れは増える
自分を守る最高の手段は外部との接触を絶つことだ
自分を大切にしろっていう今の世の中のスローガンがニートを作り出したのかもよ

572:一
07/10/14 23:54:11 O
自分なんて忘れちまった方が何かといい
こだわらずに何でもあれこれやってみればいい
個性は守るものでも探すものでもない
ふと振り返ったときに来た道があなたの個性でありそれ以上でも以下でもない
そんな風にわたくし思います

573:考える名無しさん
07/10/15 00:24:20 0
くだらねぇ
本質や核心考えることを愛するとかいいながら
本質や核心の定義を考えたことがないだろ
お前

いつ観測しても変わらない部分を重視する、ってのも
きちんと理由を考えた上でのことなのか怪しいね

思考が浅いぜ

574:考える名無しさん
07/10/15 00:40:48 0
くだらねぇと言いつつ、見てるアホもいるんだなw

ところで、生物について調べていたんだが、
今まで生物植物には雄と雌が必ずいると思っていたが
そうでもないらしい。
雄なしで雌のみが卵を産む例もあるし、雄なしで実がなる
植物もある。
遠い昔は、雄も雌もなかったのかもな。
とスレ違いな余談ですた。

575:一
07/10/15 01:37:43 O
多分最初はアメーバみたいに自分を分裂させて種の保存を図ってたんだろうね
ところがある時偶然二つの生命体がミックスされた次世代が誕生し
そいつがすげー強かったんじゃないかな
二つの生命体で遺伝子情報を補完しあった方がより優秀な次世代を生めることに気付いた
それで雄雌に分かれるようになったのかもね
何万年後かには第三の性が現れ3Pがデフォルトになったりしてw

576:一
07/10/15 01:46:31 O
>>573
>>553

577:一
07/10/15 03:44:24 O
>>570
そうだね勃起の原因は海綿体における血液の充満だ
その充満の原因は脳からの指令
その指令の原因は・・・とどんどん辿っていって最後に辿り着くのが壱

578:早 ◆yxoSe0qFeA
07/10/15 10:45:54 0
>>574
>遠い昔は、雄も雌もなかったのかもな。
あえてその部分をこのスレの壱的なものに少しは関係させるとしたら、
ヘルメス学やグノーシス主義では、至高神とか一者とか呼ばれる存在は、
両性具有だと考えられていました。あるいはグノーシス主義の神話では、
天上界プレローマというのがあって、そこに住む神的な存在アイオーン達は、
男女一組になっていたのだけど、この神話は根源的存在の両性具有性を象徴していると思います。
プラトンも根源的な存在は両性具有であり、それが理想だと「饗宴」でいってた。
あまり壱思想とは関係なかったような気がしますが。
通りすがりにすこしこのスレちょっと見て、
横からレスいれてみたくなっちゃったのでありました。
それではさようなら♪

579:考える名無しさん
07/10/15 17:47:53 0
壱と一は同時進行の状態でいるの?
それとも、壱と一を行ったり来たりする状態なの?

580:考える名無しさん
07/10/15 20:20:20 0
禅僧とインド人の一揆がはじまりました

581:考える名無しさん
07/10/16 13:01:14 0
オートポイエーシス万歳

582:一
07/10/16 17:23:00 O
>>578
自分が両性具有ないし一性だった頃の記憶がDNAに書き込まれてるのかもね
神話の時代の人々は今の人と全然違う思考経路でそのことに気付きそれを表現した

583:一
07/10/16 17:28:37 O
>>579
同時進行といえば同時進行だね
一は熟睡してるときや気絶したときや夢中になったり圧倒されたりすると消えるけど
壱としての私は常に存在する

584:考える名無しさん
07/10/16 20:12:10 0
電波伝播

585:早 ◆yxoSe0qFeA
07/10/16 21:10:05 0
失礼します。
>>579>>583
私見では、一と壱は、同時進行とか、そういう生理的な現象で計れる区別というよりも、
「同じ存在の別の様態」という感じがしっくりくるのですがどうでしょうか。
一は、時間や空間の中で表現された壱(のなかの一さんという部分)。
壱は、時間や空間の中で表現される以前の宇宙。
この場合、以前、というのは、時間的な意味での以前ではなく(なぜなら時間以前にある状態だから以前には過去的な意味は含まれない)
もっと根本的な意味の以前であって、つまり時間も空間もない永遠の状態という意味で。
それで、時間や空間の中で表現されていないのだから、空間的に他の何かと分かれてはいないし、
時間的な変化の中にもおかれていない。
分かれていないし変化もないから、壱は一だけでなく宇宙全体を含んでいて永遠に壱は壱のまま。
同時進行といえば同時進行でも、その場合の同時にも時間的な意味での同時ではない。
だから同時進行ともいえるけど、なんとなく同じものの別の(永遠的/時間的)様態というような表現の方が個人的にはいいかなと。
この宇宙の、永遠的な姿が壱であって、時間以後にある姿のなかの一さんという部分が一であるというような。
意味不明でごめんなさい;

586:一
07/10/17 04:27:26 0
そうだね
壱と一は別の視点からとらえた同じ存在(=私)とも言えるかな
一は時間や空間の枠組からなる理性から見た
時間や空間の枠組からなる理性を持つ私で
壱は時間や空間の枠組からなる理性から推測するところの
時間や空間の枠組を超えた思考も身体も個別性も持たない私
その壱としての私はこの宇宙のあらゆる現象を引き起こす



587:一
07/10/17 04:31:04 0
あと暇だったんでサイト作っちゃいました
URLリンク(www41.atwiki.jp)
アドバイス等あったらよろ

588:考える名無しさん
07/10/17 17:27:53 0
壱思想に似た書籍紹介

壱思想に至った経緯

何故、壱思想を表に出そうと思ったのか

サイトに載せるといいかもしれない。

589:早 ◆yxoSe0qFeA
07/10/17 17:58:38 0
個人的には、ある程度主題ごとにまとめてみて、
まとまった長さの文章を載せていくのもいいと思われます。

590:一
07/10/17 18:47:52 O
>>588
そういうのよく聞かれるしFAQとしてまとめよっかな
>>589
そーねもう少ししたら各テーマの頭のとこにまとめの文章を入れとくわ

591:考える名無しさん
07/10/17 18:57:20 0
おぉ!サイト作ったんだ!
早速見てみるわ

592:考える名無しさん
07/10/17 19:01:28 0
つ他の人はこんなん作ってまつ。どぞ。

URLリンク(chida442g.12.dtiblog.com) とか

URLリンク(rararasama.fc2web.com)

593:一
07/10/18 01:58:10 0
>>591
作ったっつーかちょっと整理しただけだけどね
まあまた気が向いたら充実させてこうかなと思います
>>592
thx

594:一
07/10/18 17:24:30 O
調べたら日本神話の最初の方の神々も性別がないらしい
何か興味でてきたので古事記の文庫を買ってきた
壱思想的解釈を披露することになるかもしれないのでお楽しみに

595:考える名無しさん
07/10/18 20:46:25 0
楽しみに待ってまっせー

596:一
07/10/20 05:02:23 O
日本人は何となく
あらゆるモノに神が宿っていると考えている
それが自然のモノであれ人間であれ人工物であれ
まあ西洋にもずっと汎神論はあったわけだけど
じゃあそのカミってなんなんだろう?

597:一
07/10/20 05:14:04 O
キリスト教で神といえばこの宇宙を創った主体のことをいう
本居宣長は何か尋常じゃない徳を持つ恐れ多いものをカミと言うのだと言った

598:一
07/10/20 05:31:19 O
ところで壱思想では万物に壱が宿るとされる
万物は常に変化しその変化の原因は壱だから

599:考える名無しさん
07/10/20 06:27:31 0
>>597
本当は世界の全てが尋常じゃない徳を持っているのだが、世界全体がそうなので
中々気がつけないのだよ。

日本には水が沢山あるから水の有り難味が分からないというのと同じこと。
砂漠に住んでいる人はこんなに水をバンバン使って垂れ流すことはないだろう。


600:考える名無しさん
07/10/20 17:07:07 0
風邪ひいて寝込んだw
見てないうちに結構進んだんだな。

ところで、効率的効果的な人生とはどういった人生なんだろうか?
効率的効果的な生き方とはどういった生き方なんだろうか?

これ考えると色んな視点があるんだけどさ、
一からすれば自己満足がキーワードとなり
壱からすれば無為自然がキーワードとなるんだろうか。


601:一
07/10/20 20:08:34 O
>>599
赤ん坊にとっては世界は尋常じゃなくヤバいだろうね

尋常じゃない徳というと話がちょっとややこしくなるので
私はとりあえず日本語のカミをこう定義したい
カミとは人間業を超えた現象を引き起こす力を持つ者の呼び名である

602:一
07/10/20 20:15:15 O
古代の人にとっては暴風や雷(神鳴り)は恐ろしいものだったろう
こういうものを引き起こすのは人間業を遥かに超えた力であり
その力を持っている者がいるはずだということでそれをカミと名付け
それが風神雷神信仰となったのだろう

603:一
07/10/20 20:25:49 O
>>600
何をもって効率的とするかは何をもって人生の目的とするかで変わるだろね
子供作っていい子に育てるのが人生の目的と考えるなら
それにふさわしい生き方があるだろうし
とにかく稼いで財を成すのを目的と考えればまた全然違う生き方があるだろう
また何にも目的がなけりゃあ効率も無駄もない

604:一
07/10/20 20:48:20 O
>>602続き
だから日本では人並み外れたことをすれば人間でもカミと呼ばれる
2ちゃんでもたまにネ申を見かけるしw
これはキリスト教徒にはない発想だろう

605:一
07/10/20 21:21:40 O
なので日本の神道はキリスト教や仏教のように人々を救う為にあるのではなく
ただ神々をおマツりするためにある
そこら辺はもう日本人にもよくわからなくなってきてる
本来日本のカミはお願い事したり見守ってくれたりする対象ではない
恐れ多いのでおマツりしてあんまり暴れたりしないでくださいと祈る対象なのだ

606:一
07/10/20 21:58:11 O
本来神社は神々を讃えるために建てられるわけではなく
神々に清浄な社に住んでもらって気分よくなってもらって
機嫌悪くして人間に祟ったりしないようにというので建てられる

607:一
07/10/20 22:17:50 O
よく人が悲惨な目に合うとこの世に神や仏はいないのか!などと言うが
そこには神=善という一方的な希望的信念がある
神道のようにカミは善悪にカンケーなく存在してると考えた方が
まだこの人生や世界の実情に則しているように私には思える

608:考える名無しさん
07/10/20 22:37:23 0
宗教スレと化してきましたw

609:一
07/10/20 23:02:55 O
またそのうち壱に戻るから御安心を
カミと壱はGODと壱よりは概念として近い

610:一
07/10/21 02:41:13 O
大体全知全能の創造主であるところの神様が
私達を何らかの使命を与えてこの世に誕生させ
常に見守ってくれているし辛いときは助けてくださる
みたいな幼稚なおとぎ話が西洋において2000年近くも信じられてたのが驚きで
そういう存在がいないとわかっただけで神は死んだなどと騒ぎたて苦悩する様を見ると
こちらとしてはお気の毒さまですとしか言い様がないわな

611:一
07/10/21 02:55:13 O
まあ日本人も昔は悪いことするとお天道さまが見てますよなどと言ったものだが
それは子供向けの方便とでも言うべきもので
実際に社会の道徳の規範になってたのは
人に迷惑になるようなことはしちゃいけないという至極真っ当でリアルな知恵
まあそれも崩壊しかけてる感じもするけど

612:一
07/10/21 03:02:25 O
日本の思想家でお天道さまは死んだ!お天道さまなんてほんとはいなかったんだ!
などと苦悩した人などいないw
いても笑われただけだろう
それだけ考えても我々の方がリアリティある世界観を持ってたといえる


次ページ
最新レス表示
レスジャンプ
類似スレ一覧
スレッドの検索
話題のニュース
おまかせリスト
オプション
しおりを挟む
スレッドに書込
スレッドの一覧
暇つぶし2ch