壱思想at PHILO
壱思想 - 暇つぶし2ch195:考える名無しさん
07/09/03 19:41:35 0
自分の手足は自分の意志で自由に動かすことができるが他人の手足は動かせない。
なるほど、物体の目に見える区別だけでなくこういう目に見えない身体の運動条件からも
自他の分裂と区別が生まれるのかもね。

でも、改めて考えてみると自分の意志や意識で手足が動かせるのも不思議なことだね。
その方法を誰からも(神様からも)教わった記憶はないのに
いつの間にか自分で自由に手足が動かせるようになっている。
でも、自分の意志や意識では心臓ひとつ動かせない、毛一本生やせない、ウンコ一つ生産できない。
その意味で身体はあなたが言う壱の意志と自分の意志の二つの意志で動く二重の構造になってると言えるね。

196:考える名無しさん
07/09/03 20:01:57 0
ああ、でもよく考えたら、自分の意志とか意識があるって普通に言うけど
それにしたってどうやって持てたのか不思議だ。
意志や意識(自意識)を持つ方法を誰からも(神様からも)教わった記憶はないのに
いつの間にか自分の意志や意識がある。今ではそれが当たり前のことになってる。
変な言い方すれば、自分は自分になる方法を知らないのにいつの間にか自分になってる。
自分になろうと意志したつもりも意識したつもりもないのに気がついたら自分になってる。
その意味で自分にとって自分の意志や意識(自意識)はちっぽけなもので
自分は自分を超えたもの(それも壱かな?)によって自分であるとも言えそうだ。

197:考える名無しさん
07/09/03 20:08:31 0
蛇足ですが「自分らしく」というメッセージは
「自分をなくせ」と裏解釈すればいいんだね。
それを世の人は「自分の個性を発揮する」ことと履き違えてるんだろう。
確かに何かに集中してそれに没頭すれば自分は消えて「無我」「無私」の境地だろうし。

198:考える名無しさん
07/09/03 20:22:08 O
>>195
草食動物なんかもっとすごいぞ。産まれたらすぐ立ち上がっておっぱい飲むんだから。
ま、それができなかったやつは死んでるわけだが。

199:考える名無しさん
07/09/03 21:12:03 0
>>187
>以上より自意識の形成には記憶とその想起が不可欠であると思われる

記憶はさておき、想起は、
自我がなければ、不可能。

現在と過去をつなぐには、
過去と現在の意識の同一性(自我)が必要(かもよ?)

200:考える名無しさん
07/09/04 01:55:24 0
話を蒸し返すようで悪いですが
その記憶にしても想起にしてもやはり誰からもその方法を教わった記憶はないのに
いつの間にか何かを記憶してて何かを想起してる。今ではそれを当たり前のようにしてる。
でも、どうやって記憶し想起してるのか分からない。
となると自分の記憶や想起や意識を超えた何ものかを想定せざるをえない。
それを西洋では神と呼び一さんは壱と呼ぶのかな?
万物の中心の不変不動の壱によって物質からなる身体が現象し
そこにまた非身体の精神が現象し、この身体とこの精神のみがなぜか対応していて自分となる。
でも全物理現象、全精神現象は生成変化消滅を繰り返すが万物の中心である壱は不変不動。
そう考えると壱からなる全存在においては自分などというものは
浮かんでは消える泡、吹けば飛ぶような塵という喩えにもうなずけるね。

201:一
07/09/04 09:24:53 0
>>194
あれこれ考えてしまうのもまた
記憶と想起という能力を与えられた人類の性
特に問題ないと思うよ
よしんば人生で何一つ集中することができなくて
何一つ生きた証や生きた意味を残すことができなくても
何の問題もない
なぜならあなたの主体は壱であって
壱は常に完璧だから
あなたの人生がどうであっても
壱には何の影響もないから

202:一
07/09/04 09:31:23 0
>>195
そうだね我々の身体は壱と自我の二重構造によって操られるとも言えるね
私は壱の方がはるかに巨大で自我はほんのおまけのおまけだと思う
脳科学でも意識上のことに使われている脳はほんの一部だと言うし

203:一
07/09/04 09:36:13 0
>>196
そうだねそれを言い換えるとするなら
自分は自分によって自分になったわけじゃない
君を存在たらしめたのは君じゃない
君じゃないそれとは壱

204:一
07/09/04 09:42:05 0
>>197
無我や無私を尊ぶのは古来からの日本人の美点だと思う
個性や私を尊ぶ浅はかな社会に今なりつつあるのは残念だ

205:一
07/09/04 10:03:18 0
>>199
難しい問題だね
もし自我がなければ想起することが不可能だとすると
人間は最初に想起をする前から自我を持ってなければならない
自我とは君の言うように意識の同一性の認識だ
では人間は想起なしに意識の同一性を認識できるだろうか?
同一性を認識するというのはあれもこれも同じだと認識することであって
それは記憶と想起なしにはあり得ないのではないか

だから多分より正確には
現在と過去をつないだまさにその瞬間に自我が形成されるんじゃないかな
私の説明にあったように想起したあと自我が形成されるのではなく
想起行動と自我形成は完全に同時に行われるのかも
というか両者は全く同じものなのかもしれない

206:一
07/09/04 10:21:01 0
>>200
まあ大体そんな感じ
ただキリスト教由来の思想ではほとんど出て来ないのが
神とは実は私自身のことであるという発想
彼らにとっては自我を超えた存在は常に他者だったわけだ

東洋では自我を超えた存在が本当の自分であるという考え方が
結構あちこちに昔っからある
壱思想もどちらかといえばこっちに分類されるものであろう

だから壱からなる全存在においては自分など塵にすぎない
などと言うと少し西洋的な感じがする
壱思想では壱は他者ではなく君の主体ことでそれはつまり君自身だから
だからより正確に言うなら
壱という私の全存在性においては私の自我など塵にすぎない
って感じかな


207:考える名無しさん
07/09/04 17:28:04 0
脳死になったら自分はあるんだろうか?
物質的なものではなく。

208:考える名無しさん
07/09/04 19:16:14 0
壱に全てをまかせるとどうなるんだろう?


209:考える名無しさん
07/09/04 20:24:26 0
原因と結果について壱と一から説明してください。

210:考える名無しさん
07/09/04 21:15:35 O
>>207
それは死んだときのお楽しみだな。そのうち寿命が来て死んだら分かるだろう。

211:考える名無しさん
07/09/05 00:49:48 0
天職って本当にあるんだろうか?

212:考える名無しさん
07/09/05 02:15:30 0
>>206
なるほど、神が自分を超越して存在する主体なら
壱は自分に内在する主体であるというわけですね。
全てをロゴス(言葉、論理)で認識できるとして
ロゴスのみで考えようとする西洋思想にはない発想なんだろうな。
論理で認識できない神は超越的に存在するから自分ではない他者になる。
となると自分に内在する主体である壱からなる自分においては
壱は常に不変不動だが変動する自我、自意識、人格は泡、塵に等しいと言うべきだね。
となると結局、身体のみならず、精神も壱による現象と解釈して問題ないわけですか?
この点だけなぜか腑に落ちないもので。




213:一
07/09/05 03:16:31 0
>>207
脳が死んだら記憶と想起は行われなくなるので
君の自意識は無くなるだろう
だがそれで君自身がなくなるわけじゃない
動物としては生きているので
君のうちの生存本能は存在している
あまつさえ肉体が死んだとしても壱としての君は存在し続ける

214:一
07/09/05 03:20:11 0
>>208
壱は純粋な力であって目的を持たず万物を転変生滅させる
壱に全てを任せるといろんな偶然事によって君はいろいろに変化し
まあそのうち死ぬだろう
つまり壱に任せようが任せまいがあんま変わらない

215:一
07/09/05 03:25:00 0
>>209
えらくむつかしいお題だ
原因と結果を説明することがそもそもむつかしい

結果Aの原因はBだというとき
我々はそもそも何を言わんとしてるのだろう

ちょっとやそっとじゃ答えられそうにないので
また後から考えてみるね

216:一
07/09/05 03:31:51 0
>>211
天職という言葉のニュアンスには
その人の個性が十分に発揮できる仕事がどこかに必ずある
という主張を感じるけど
人の個性も仕事を生む社会も常に流動的で変化し続けるカオスだから
それぞれがピタっとマッチするなんてあり得ないと思う

217:一
07/09/05 03:55:32 0
>>212
んーまあ今の私の見解としては
前にも書いたように
・精神は記憶と想起行動から副産物的に形成される
・記憶と想起という能力は生存本能の一形態として人類に与えられた
・生存本能は壱による現象である
以上により精神は壱による現象と言える
ってな感じかな

218:一
07/09/05 04:26:07 0
んーでも
生存本能や精神は壱による現象というよりも
壱から連なる力の一つの様態であると言う方が理解しやすいかもね

身体は物体であって
宇宙のあらゆる物体は壱によって転変生滅させられているので
身体は壱という力によって生成した一つの現象である

一方壱は純粋な力でありあらゆる力の元の力であるが
力にもいろいろ様態がある
太陽を燃焼させる力もあればゴキブリを動かす力もある
生命としての人間の肉体を動かす力は生存本能の力であり精神の力である

そんな風にも言えるかも

219:一
07/09/05 04:28:39 0
身体は壱によって生成された物質的な現象であり
生存本能や精神は壱によって生成された非物質的な力的現象である

とも言えるかな

220:一
07/09/05 04:31:03 0
例えば万有引力なんかも
壱によって引き起こされた非物質的な力的現象である

221:一
07/09/05 05:10:20 O
>>215に戻る

ところで万有引力というのはボールが落下する原因である
ボールに万有引力という力が働きボールが落下する
ということは結果とは現象であり原因とは力のことだと言えそうだ

原因とは現象を引き起こす力のことであり
それは壱と一の関係でいえば壱を指す
結果とは力によって引き起こされた現象であり
それは壱と一の関係でいえば一を指す

こんなんでどーですか?>>209

222:一
07/09/05 05:31:42 O
となると壱はあらゆる物事の原因の原因の原因であるとも言えるだろう
なぜなら壱は物質的非物質的を問わずあらゆる現象を引き起こす力だから
老子も道についてそんなような事言ってた気もする

223:考える名無しさん
07/09/05 16:54:41 0
君はここで何がしたいんだ?

なんでその思想にとりつかれたの?

224:考える名無しさん
07/09/05 20:24:36 0
>>214
でも、どう思おうが結果的には壱に全て任せてることになるんですよね?
万物は不変不動の壱によって変化してるんだから。変化してるのは我々の方なんだから。

にしても、自分の意志とか意識なんて無力なものですね。
自分の意志で身体を動かしたり、目的を持って生きたり、因果関係を決めたりしてるのに
壱はそれとは関係なく何の目的もなく万物を偶然に変化させてるのなら。

例えば「我思うゆえに我あり」だと
思うから思う我がいて我に思われた世界がある、みたいな観念論、独我論に陥るのだと思うけど
そんな自分の観念も壱による万物の偶然による変化の中のひとつに過ぎないから結局おまけみたいなもんなんでしょ?

よく、念ずれば叶うとか、気の持ちようとか、病は気からなんて言うけど
ああいうのって結局迷信ですか?ストレスから病気になるなんて言うけど。
でも、壱においては全ては偶然事の積み重ねなんですよね?



225:考える名無しさん
07/09/06 00:07:32 0
ああ、でも自分の意志で手足動かせたりリンゴつかめたり
仕事したり遊んだりできるから無力は言い過ぎか。
自分の意志でうまくいくこともいかないこともあるけど
自分の意志通りにいったと思えることも結局は壱による偶然と解釈すべきか?
気の持ちようで病気が治ったとしてもそれは壱による偶然の結果であるという風に。

まぁ、どんだけ自分が生きたいと意志してもそれとは関係なく死ぬ時は死ぬんだから
自分の意志もそれを超えた壱の意志の前では微力なものと言うべきですか?

226:考える名無しさん
07/09/06 13:34:21 0
壱は物質(生命体含む)に対しての動きっぽくね?

227:考える名無しさん
07/09/06 16:05:27 0
【闇】虚無主義者・ニヒリストスレ2【無】に「タゲ」を探しに行く壱。

>465 :壱:2007/08/14(火) 02:27:58 0
> 虚無を感じて鬱になったりヤケになったり自殺したりするのは
> 絶望が中途半端だから
> 人生や世界はもっと意味があるものなはずだという
> 「望み」が残っているから虚無が苦しい
> 字義道り本当に絶望したなら虚無だからといってどうってことない
> むしろ笑える
> こっちへ来いよ
> スレリンク(philo板)


私(壱)は「ニヒリズムを超克した(≒悟った?)」と言わんばかりの、
(さほど根拠があるとは思えないが)確信に満ちた上から目線でのほのめかし。

> まあゆっくり説明していく
> そのうちわかる人はわかる
> わからない人も死ねばわかる

> 俺はもうあがったよ
> こっちへおいでよ
> みんなでなごもうぜ


228:考える名無しさん
07/09/06 16:14:16 0
名無しさんから「このスレの目的」問われる壱。

>48 :考える名無しさん:2007/08/18(土) 21:24:44 O
> で
> このスレの目的は

>49 :壱:2007/08/18(土) 23:10:41 O
> 特にないっすよ
> 似たような人がいたら雑談したいなとか
> 一人か二人くらいこれを読んで楽になる人がいたらいいなとか
> まあそんな程度かな強いていえば


>50 :考える名無しさん:2007/08/19(日) 01:04:08 0
> そうかい

> 人生最大の発見★12
> スレリンク(philo板)


>51 :壱:2007/08/19(日) 03:19:08 0
> ざっと読んでみたけどおらあんまわがんねぇだ
> とりあえずこっち来れば?
> 俺と遊んだ方が楽しいよ多分

> 「原則」は老子の「道」に近いみたいだけど
> 「壱」も「道」と似てる
> まあおいおい説明していく

229:考える名無しさん
07/09/06 21:49:01 0
>>222
一さんによれば壱は目的を持たない万物の不変不動の中心だから
壱は盲目的な偶然によって万物を変化させてるだけで
そこには何の必然性もなく、ただ人間が因果律や法則性でそれを解釈してることになるんじゃないの?
例えば生まれたことが人生の原因なら死はその結果であるという因果関係があるとしても
壱による万物の盲目的な変化においては人の誕生も死も因果ではなく1つの過程、1コマ、一場面に過ぎないのでは?
でも、世界も自分も単なる偶然とか意味も理由もないじゃ理性が納得しないから、ある因果、ある法則を当てはめるんだろけど。



230:考える名無しさん
07/09/06 22:37:05 0
>>129によれば
「壱」は自我も人格もなく言語を持たない自分で
「一」は自我、人格を持って言語で語る自分と言ってるから
一(自我、人格)は言語を持ってしまったから
その言語でもって必然的に万物に意味、理由、原因、目的、法則などを
当てはめて考え、解釈してしまうような存在だが
壱は言語を持たないから何も考えず語らず
ただ盲目的に、無意味に万物の中心にある存在になると思う。
でも、自分の主体は一ではなくあくまで壱だから
万物は意味も理由もなく盲目的に変化するだけ、となるんですかね、やっぱり?
どうも壱と一の関係を考えるとややこしいですが
壱思想ではこの辺はどうなってるんですか?
(と問うと、また関係性で解釈することになるなるけど)

例えば西洋思想の神だと
創造主である神は完全だから意味も理由もなく世界を創造しない。
よって世界には意味があり、理由があり、目的があり、原因があり、法則がある、となるはずだけど。

231:考える名無しさん
07/09/06 22:43:16 0
>>229
意志や 想いや こういったことをしたい! これが好きだ!モロモロ、、、
そういったことも全く意味ないと?
そんな意志や想いはアホクサ~ってな感じっすか?


壱はミクロも含むんだろうけど、なんつーかマクロの大枠みたいなもんっぽいなw
つまんね。

232:一
07/09/07 02:22:10 0
>>224
>>225
だいたいそんな感じだと思うよ

ただ壱を他者としてとらえると
それに対する自分の意志が微力であることに
何か空しいような感じがすると思うけど
壱とは実はあなた自身のことなのであるという事が分かれば
そこには無力感は生じてこない

自分の中での主人公が人格や自意識ではないと気づく事がまずスタート

233:一
07/09/07 02:24:30 0
>>226
壱はあらゆる変化の原動力であり原因
その現象として物質や生命体の動きが現れる

234:考える名無しさん
07/09/07 02:30:33 0
>>231
もちろん意志や思いがなければ生活が成り立たないわけだから
その意味で、自分の思いにも意味はあるよ。
ただ万物の主体であり自分の主体である壱からすればそれはおまけだと一さんは言ってるから
自分の全てではない自我や観念にこだわらないほうがいいってことだと思うよ、一さんの見解は。

>>230の補足
聖書によれば神は言葉であり、言葉は価値であると言われてるけど
壱は言葉を持たないからその意味で
壱は非論理的で無意味無価値な盲目的主体と言えますかね?
で、言葉を持ってしまった自我としての一が壱による盲目的な万物の生成消滅に
言葉による論理で意味価値目的因果などを当てはめて認識する。
でも、言葉を持たない非論理の壱は「んなことわしゃ知らん」てな感じですかね?



235:一
07/09/07 02:31:33 0
>>223
何がしたいか?
まあいろんなことを壱にからめて考えたりしたいかな
なぜとりつかれたか?
いろんな偶然が私の思想をいろいろに影響し勝手にこうなった感じっす

236:一
07/09/07 02:48:47 0
>>229
壱は万物を変化させる原動力なので
人の生や死の原因は壱であると言っても問題ないと思う
ただ壱には西洋の神と違って目的がないので
人間の存在は壱の意志であって必然的なのだとか言うと変かなとは思うけど

ただのカオスじゃ理性が納得しないから因果律を当てはめて考えざるを得ない
というのは私もそうだと思う
人間が思考する限りそういう思考パターンからは逃れられない
もちろん壱思想もその例外ではない

237:一
07/09/07 02:58:12 0
>>234
まったくもってそんな感じっす

238:一
07/09/07 03:15:39 0
>>230
壱と自意識としての一の関係については確かにややこしいですね
なかなかスパッと説明ができないので思うつくまま書いてみる

壱は宇宙が誕生したときから常に変わらず存在していて
一は人間として生まれてしばらくたってから記憶想起行動によって誕生し
脳死に至れば存在しなくなる
つまり壱は時間を超越しているが一は時間に束縛されている

壱はあらゆる物質や非物質を変化させる力であるが
一はその力によって生成された現象である
これを因果関係に当てはめれば壱は原因であり一は結果である

壱は力であり一は現象である

239:一
07/09/07 03:28:22 0
キリスト教の世界観の元になっているのは
自我が自分の手足を思うように動かせるという体験や
思考の働きによってものを作ることができるという体験にあるのかな
となると自我は主であり肉体や物質は従であるということになる
また、ものを自分が意志を持って作ることができるなら
自分の存在を作った存在も必ずいるはずだ
それが神で神は何らかの意志を持って自分を存在させたのだろう
まあそんなとこじゃないかな

つまり神と自我の関係は意志をもって創造するものと創造されるもの
壱と一の関係は何の意志や目的も持たない力とそれによって起こる現象

240:一
07/09/07 03:35:06 0
一は非物質的な力的現象としての人間の存在のうちの
意識行動の主体である
壱は物質的非物質的に関わらず私の全存在性の主体である

とりあえずそんなとこすかね

241:考える名無しさん
07/09/07 08:03:01 0
>「原則」は老子の「道」に近いみたいだけど
>「壱」も「道」と似てる

おでさぁ バガだから 老子も 「道」も よめねんだ
壱思想って なんかすごそだから 「カンケイネェ音頭」とかで 
表現してみてぐんねが?

242:考える名無しさん
07/09/07 12:33:59 0
壱と自分がイコールなのがどうしてそうなのか全く理解できません。
理解できるようになる方法はある?

243:一
07/09/07 23:01:13 0
>>241
ははw
なら俺とバンドでもやるべい

244:一
07/09/07 23:13:33 0
>>242
方法についてはあまり考えた事無いな
まあまずは自意識の範囲が
いわゆる自我や人格の範囲より大きくなるかどうか

言語化不能な動物的本能や衝動を感じることは誰でもあるだろう
それを自分の一部として認めることがスタートかな

245:241
07/09/08 01:20:54 0
んだばおで シーケンサ担当 譜面 くででズラシ
適当に入れれば それなりの「ノリ」は 表現 でぎっがらさ

246:一
07/09/08 04:27:53 0
したらメールくらさいな
ichi_zen_trance@hotmail.com
譜面はないけどね

247:一
07/09/08 04:59:21 0
>>244続き
まあ言語化可能な衝動でもいいや
例えばめちゃめちゃ眠くなってつい寝ちゃうことってあるよね
人格や自我を持つ君は寝るつもりはなかったのに

この場合君を寝させたのは無意識の力だ
君の脳の意識下の部分では君の身体が疲れていることを把握していて
身体にもう寝ようと命令を出したんだろう

そしたらその君の脳の意識下の部分って誰なんだろう?
壱思想ではそれもまた君に他ならないと考える
言葉や論理を全く気にしないワイルドな君がそこにいる

248:一
07/09/08 05:16:20 0
そういう名も無い動物としての自分を認識することが第一歩だ

ところで
日本で団塊の世代がやたら人口が多いのは
彼らが生まれた終戦前後に日本が非常な困難に直面していたからだ
アメリカでも911以降出生率が上がった
これらは人類の集合的無意識によるもので
身近な人の大量死を目の当たりにすると人類は本能的に子孫を残そうとする
つまり我々の無意識には個体の生存本能を超えたものも存在している
人類として、種として生命を残していきたいという欲求がある

さてではそういう風に欲求しているのは一体誰だろう?
壱思想ではそれもまた君に他ならないと考える
言葉も論理も個体性さえも全く気にしない超ワイルドで巨大な君がそこにいる

249:一
07/09/08 05:33:44 0
まああとは同様に類推していくと壱にたどりつき
壱もまた君に他ならない、となる
壱に至っては君は
言葉も論理も個体性も生命性も物質性も何もかも全く気にすることなく
全くの無言で何の感情も意志も理由も持たず
宇宙全体をただただ転変生滅させる
そういう純粋な力となる

250:241
07/09/08 10:24:56 0
そが おでさ 譜面ねば なんも でげん
いぢさんど バンド なんで おごがますがっだな
てづがぐに すごし ぎょうみもっだがら そしーる
でもよんでみる

251:一
07/09/08 13:06:15 O
そっか
おこがましいことないけどな

でもこういうこと表現するには言葉よりも音楽の方が時に雄弁だ
音楽は意識下に直に語りかけることができるから

252:一
07/09/08 18:14:49 O
でも音楽って無意識のどういう部分に働きかけてるんだろか
考えてみれば不思議なもんだ
セックスが気持ちいいのはわかる
それは子孫を残したい本能が我々の意識にそう思わすんだろう
でも音楽を聴いたからって特に本能にとって得になることなさそうだよね

253:考える名無しさん
07/09/08 18:22:03 0
体感的に大きな音から波形的な音と身体の相互性とか

254:一
07/09/08 18:48:30 O
1/fゆらぎとかそういうこと?
んーまあそういうのもあるかもな
また後で考えてみる

ところで
例えば雄蝉が鳴くと雌は興奮して寄ってくるんだよね
音楽を聞くと興奮するのはそういうのの名残なのかな

255:一
07/09/08 19:29:14 O
生物が耳を持つようになったのは何らかの生存に役立つ情報を得る為だろう
危険を察知したりラブコールを聞いたりとか
最初はそういう役割しかなかったんじゃないか

256:一
07/09/08 19:39:46 O
それがだんだん犬猫くらいになると伝達する情報が増えてくる
威嚇や服従を音声から判断できるようになる
人間も最初はショッカーみたいに一言しか言えなかったんじゃないかな

257:一
07/09/08 19:52:25 O
やがて伝達する情報の量は飛躍的に増えて鳴き声だけでは足りなくなり
言語が生まれた
その一方である種の音声を聞くと
興奮したりロマンチックな気分になる習性はそのまま残った

258:考える名無しさん
07/09/08 21:37:29 0
僕が以下に与えるイメージ映像と、数式を矛盾(違和感)無く重ね合わせてください。
この時はロジックを使ってください。それができた時、あなたは期せずしてレトリック
を読んでしまった事になります。「理解する前→理解した後」この道中に垣間見える
モノこそが、老子がいう「道」です。


259:考える名無しさん
07/09/09 01:12:20 0
>>236
壱が万物の原因てことは
万物のあらゆる変化はその結果にすぎないってことでしょ?
てことは

壱(原因)→生(結果)→老(結果)→病(結果)→死(結果)

となるよね。
てことは死の原因は病気だからとか、病気の原因は老いたからだとか言えなくなって
死も病気も老いも生も万物の変化の中の1つの過程、1つの場面、1つの断面でしかないんだけど
それじゃ誰も納得できないから
結局今現在の各々の立場でそれを都合よく因果関係で解釈してることになるんじゃないのかな~なんて思ったりしたわけです。
つまり万物は因果もなく相互に平等にただ関連し合ってるだけだし
1個の物も因果もなくただ偶然変化していくだけになるんじゃないのかな?
で、その原因は目的のない壱にしかないということでしょ?結局。

260:考える名無しさん
07/09/09 02:00:43 0
>>247
その逆もあるよね。
自分は寝たいと意識してるのに身体は寝てくれない、身体には寝る気が全くない。
そう考えるとこの寝るってのも不思議な現象だよね、寝てるのは自我なのか身体なのか?

>壱思想ではそれもまた君に他ならないと考える
>言葉や論理を全く気にしないワイルドな君がそこにいる

ここが重要なポイントだと思うよ。(一さんの見解はわかんないけど)
正統的な西洋思想だと
神は言葉で語る主体だろうしデカルトの考える私も言葉で考える主体主観だろうし
どっちにしろ正統的な西洋思想はガチガチの論理主義、まず初めに言葉ありき主義で
非論理、非言語なものは排除の対象になり、それは神秘主義とか極端だとオカルト扱いだけど
壱思想は非論理非言語の壱を万物並びに自分の主体としてる点が斬新だね。
別にどっちがどうという話じゃなくて
西洋思想とは全く逆の視点から見てるのが面白いと思うよ。
つっても仏教関係では普通かもしれないし西洋にも類似した思想はあるけど疎いだけかもしれないけど。


261:一
07/09/09 06:15:48 0
>>259
んーなるほど
なんとなく言いたいことはわかった
原因や因果という言葉で意味してることが私と君じゃズレがあるんだな多分

私の解釈でいう因果関係とは
現象Aが力Bによって現れた
よって結果Aの原因はBである
という単純なもの

君の言う原因とは多分
私の言い方でいえば根本原因に相当すると思われる
確かにあらゆる現象の根本原因は壱という力しか無いんだけど
でも死は実際病気という力によってもたらされた現象なので
私的には死の原因は病気であると言う事ができる
じゃ病気の原因は何か?その原因の原因は?とどんどん問うていって
その原因の原因の原因のもっとも根本にある根本原因が壱

262:一
07/09/09 06:40:40 0
>>260
でへへ
斬新だなんて言われると照れちゃうな
確かにデカルト以降カントくらいまでの西洋哲学は
自我=理性としてそれ以外をテーマにしなかった
種明かしってわけじゃないが
近代西洋の哲学者で初めて自我の無意識の部分に光を当てたのは
インド哲学にも傾倒していたショーペンハウアーだ
彼は世界の主体は非言語的な「生きようとする盲目な意志」だとした
あまり当時は評価されなかったが後世になって
フロイトやユングが無意識をテーマにいろいろ考えるきっかけになった
だからまあ西洋に全くなかった発想というわけでもないっす
でも彼らも非言語の部分はやはり他者として見ている感じがあるし
それを自分の主体なんだとするのは東洋的な発想だろうね

263:一
07/09/09 06:51:19 0
自分で言うのもなんだけど
私が壱思想を斬新だと思うのは
インド思想や禅などでは自分が宇宙の主体と合一する為には
ヨガとか座禅とか瞑想によらなければならないとするのに対して
何もしなくたって始めっから私は宇宙の主体と同一だと主張するとこにある
まあこれだけ書くといかにもオカルトっぽいけども
私は別に霊感があったりしてこういうこと言ってる訳じゃなく
いろいろ類推してこういう思想に至ったわけなので
これからもまあ懲りずに説明していこうと思う

264:考える名無しさん
07/09/09 17:30:31 0
かなり前のレスから

>それゆえ私は昨今巷で大流行の自分らしくという言葉が大嫌いである
>ミュージシャンやアスリートが自分らしいプレーができればいいと思います
>とか言うの聞くと虫酸が走る
>理想のプレーを本気で夢中になって求めたらそこに自分なんていないはず

「自分らしいプレーが出来ればいい」という言葉を発するミュージシャンやアスリート
達がいたとして、それらの人々全員が「理想のプレイ」とあなたが呼ぶ、フロー状態のよ
うななものを伴ったプレイしていないとは、いえないのでは?むしろある瞬間、あるプレイ
でフロー状態を経験していたら、それを「自分らしい」と表現する場合が多いのでは?

265:考える名無しさん
07/09/09 19:14:37 0
>何もしなくたって始めっから私は宇宙の主体と同一だと主張するとこにある

壱から発生した万物(俺含む)なんだから全て同一だろうということを指している
 のか?

266:考える名無しさん
07/09/09 22:17:05 0
どんだけーー

267:考える名無しさん
07/09/09 23:13:29 0
>>261
あ~なるほど
万物の変化のうちにも因果はあるが
その総体としての万物の根本の原因は壱にしかないということね。
病気だから死んだとか眠くなったから寝たとか腹減ったから飯食ったとか
そう解釈するのが普通か、そりゃそうだね。

あ、でも壱思想では壱のみが万物の主体であり根本原因だから
病気によって死ぬという因果関係に固執して
病気になったことをくよくよ悩むより
病気も死も結局は壱による偶然の結果に過ぎないと解釈したほうが
病気も死もスッキリと納得できるような気がしないでもないけど。

268:考える名無しさん
07/09/09 23:45:59 0
>>262
やっぱ西洋人には神という超越的存在が基本にあるだろうから
原因は神の如く自分を超えてあるという発想になっちゃうんじゃないすかね?
もしくは思っててもおいそれと顰蹙買うようなことは言えなかったとか、ニーチェみたく。
増してや「自分を超えたものも自分である」なんて字義通りとれば矛盾だしね。

269:考える名無しさん
07/09/10 00:10:29 0
>>263
なんか壱思想って頭で考えて認識するっていうよりも
体感する、実感する思想って感じがするんだよね。
精神性より身体性を重視するっていう感じかな?
「考えるな、肌で感じろ」みたいな。
だから>>242みたいな疑問が生じるんじゃないすかね?
だからそういう人が修行や瞑想で自我を超えたものを直観しようと試みるんすよね?
インド思想とか禅とか全くの無知で完全なる推測ですけど。

270:一
07/09/10 03:56:41 0
>>264
んーそうかそういう意味で言ってるのか
そういう意味で言ってるなら文句はないや
けど無心で最高のパフォーマンスをしてる状態を
自分らしいと表現するのにはまだ抵抗を感じるけどね
まだ、自分が自分じゃないみたいでした
みたいなコメントの方が好感が持てる

271:一
07/09/10 04:17:07 0
>>265
万物は壱の力で現れた現象である
だから万物はその根本原因においては同一
それは確かにそう

けど私の言おうとしてることはそういうことじゃない
簡単に言い換えれば
私は壱によって現れた現象なのだけど
壱は私の他者として私の外側から私を現象させたのではなく
私の存在性の内側から私を現象させているので
壱は私の主体であり
つまり私の主体は宇宙の主体と同一なのだ
てな感じかな

272:一
07/09/10 04:26:51 0
>>267
んー因果って言葉でもちょっと解釈のズレがありそだね

私の言う意味での因果ってのは
単に原因と結果という意味なんだけど

君の言う因果という言葉には「必然的な運命」「宿命」みたいな
意味合いもありそうだ
まあ実際そういう意味でも使われてる言葉だしね
だから両者を分けて説明したらいいのかな

つまり
あらゆる現象には原因と結果の関係は存在するが
必然的な運命や宿命のような関係は存在しない

273:一
07/09/10 04:34:57 0
>>268
そうだろね
ちなみにニーチェは確か晩年
キリストも仏陀も私である
そればかりでなく歴史上のあらゆる人物は私である
みたいな事を言った
まあ普通の人からしたら単なる気違いだろうけど
私はああニーチェもそこまでは来てたんだなーと思うな
つまりニーチェは自我や個体性や時間さえも超越した自意識を感じていた
感じていたけど西洋的自我観との矛盾に耐えられなかったんじゃないかな

274:一
07/09/10 04:41:57 0
>>269
なるほどね
そういう感じがするのも不思議じゃないわな
まあそれをあえて言葉で説明してみようというのがこのスレの趣旨かな
どこまでできるのかはまだ自分でもわからないけど
でもまあまだまだ語り得ることはあると思う

275:考える名無しさん
07/09/10 14:43:23 0
壱の一者的な思想には共感するが。
文体やものごとの思考過程を見る限り、
壱のみている「壱」という一者的なものは、
まだまだ現象にすぎないように、思えてくる。
と微妙な批評をしてみる。
ユングを読んでいててくるような麻薬的な感覚が全然ないから。

276:一
07/09/10 17:37:32 O
若いときに狂気とか麻薬とか憧れる気持ちはわからんでもないけど
それと哲学や思想の深さは全然カンケーないと思うよ
ギリシャ哲学や老子なんかすごく健康的だけど2000年以上読まれる力を持ってるし

277:考える名無しさん
07/09/10 18:04:09 0
ここに貼ってあった「人生最大の~」を読んでいる。
っつか、すっげーーーー長すぎて読む気失せるw
やっとパート1を読み終えたところ。
なんで読んだかっつーと、関係あんのか?と思ったから。
同じことを言ってそうだが、どうなんだろうな~的な感想。


ついでに俺は禅もインド哲学も知らん。


読み終わったらまたここのぞいてみるが、これまでのやり取りを読んでいる限り
誰かも言うように、なんつ~か深みがない感覚を持っている。
奥深く広くないってな感じ。
文章表現で伝えることを意図したなら、まっさらなわからん俺みたいなヤシにも
わかるような表現して味噌。余計なお世話だろうが単純にそう思うよ。


278:一
07/09/10 19:38:38 O
んーまあどこがわからないのか聞いてくれればできる限りは説明するよ
深さうんぬんについてもどこがそうか言ってくれれば面白いんだけどな

279:考える名無しさん
07/09/10 20:41:24 0
>ちなみにニーチェは確か晩年
>キリストも仏陀も私である
>そればかりでなく歴史上のあらゆる人物は私である
>みたいな事を言った

このあたりの意味も全くわからない
ダメダコリャ orz
どういう意味?
一が今まで色々と類推して至ったというその類推を披露してくらさい。


280:一
07/09/11 03:54:54 0
>>279
昔は私も人格をもってそれを私と認識して特に疑問を持つ事などなかった
最初のステップは前にも書いたけど動物的本能を自分の中に発見したことだ
それは>>247にも書いた
つまり言語を持ち人格をもつ自分だけで私が構成されてるわけじゃない
ということに気づいた

例えば君が腹が減ったと思ったとしよう
普通ならそのとき君の身体の動物的本能も
生存のために何か栄養が必要だというふうに感じているだろう
それで脳に指令を出して腹が減ったと思わせ何か食べ物を探させる
さてこの時どこからどこまでが自分なのだろう?

281:一
07/09/11 04:09:07 0
デカルト的自我観でいえば
肉体はあくまでも他者ということになるだろう
腹が減ったと思う私だけが私
私に腹減ったと思わす存在は何であれ他者

でもそれって何か変じゃね?
私は肉体も精神もいっしょになって腹減ったと思っている
そう考えた方が自然だと思わん?
私にはそう考えた方がしっくり来た
言語をもって思考する自分以外に言語を持たない野生の自分もいる

282:一
07/09/11 04:20:45 0
これでまず自意識は人格の範囲より広くなったわけだ
動物としての本能もひっくるめて自分と認識するんだから

言語や理性や思考を持たない動物的本能としての私は
とにかく生命を維持しようとして24時間ずっと働いている
呼吸をして酸素を取り込み心臓を動かして血液を循環させる
子孫を残すため精子を作り裸の女を見るとチャンスとばかりに勃起する

まずはそんな自分を自分として認識できるかどうかだ

283:一
07/09/11 04:43:22 0
ところで
動物的本能としての君はどこからやってきたのだろう?
君はかつて母親の胎内に眠る一つの受精卵であった
しかしその受精卵は無からポッと生まれたわけじゃない
それは君の父さんの精子が母さんの卵子に突入してできたものだ
つまり動物的本能としての君は親父とお袋の細胞から発生した
ところで動物的本能それ自体も無から発生するものではない
ということは動物的本能としての君は父さん母さんの動物的本能を
受け継いでいるのだ
もともとが君は君の父さん母さんの細胞なのだから
父さん母さんの細胞には父さん母さんの動物的本能が宿っている
つまり動物的本能としての君は君が肉体として発生する以前
君の両親の動物的本能であったのだ
両者は全然異なるものではなく同一なものだ

284:一
07/09/11 04:52:57 0
これで動物的本能としての君は君の肉体という個体性を超越する
ということは君が君と認める範囲は自我の範囲を超え個体の範囲を超えた
親父お袋の動物的本能も含めて君なのだから
ここまで来るとなかなか想像しにくいとは思うけど
何回も読み直してよーく考えてみればそんなにおかしな話じゃないと思うよ

285:一
07/09/11 04:58:41 0
そしたら君の両親の動物的本能はどこから来たのか?
それは君のじいちゃんばあちゃんから受け継がれたものだ
ほらまた君の自意識の範囲は広がった
動物的本能としての君はじいちゃんばあちゃんの頃から生きていたのだ
そしたら君のじいちゃんばあちゃんの動物的本能はどこから来たのか?
こうしてどんどんどんどん遡っていけば
君は地球で最初に生まれた人類まで辿り着く
つまり動物的本能としての君は地球上に最初の人類が生まれたころから
既に存在していたのだ

286:一
07/09/11 05:23:12 0
そしたら今度は時間をまた逆に流してみる
地球で最初の人間がもっていた動物的本能は
その子に受け継がれその孫たちに受け継がれまたその子や孫へ
現在では60億人の全人類に受け継がれている
ということは動物的本能としての君は動物的本能としての私でもあるし
両者に全然違いはなく同一だということになる
だって全く同じものが受け継がれているんだから
だから私や君は歴史上の全ての人と動物的本能としては同一なのだ
そしてそういう動物的本能の存在の巨大さに比較すると
我々の人格や個性などははるかに小さく一瞬のもので誤差の範囲内だ
よって私や君はキリストや仏陀とおんなじだ

ちょっと終盤めんどくさくなってはしょったけど
まあこんなあたりが私の類推の経緯
ニーチェと同じ推論ではないだろうけど
行き着いたところは同じでそれは自我や個体性や時間を超えた自意識の感覚だ
まあ壱思想はさらにその先まで行くけど
まだ壱は出て来ない

287:考える名無しさん
07/09/11 09:50:11 0
>地球で最初の人間がもっていた動物的本能は
>その子に受け継がれその孫たちに受け継がれまたその子や孫へ
>現在では60億人の全人類に受け継がれている

えーーーっ、「地球で最初の人間」って誰々?

>そしてそういう動物的本能の存在の巨大さに比較すると
>我々の人格や個性などははるかに小さく一瞬のもので誤差の範囲内だ

えーーーっ、巨大って誰が決めてるの?どんな風に巨大なの? 「個性など
這かに小さく」って、何らかの測定したりして結果のことだよね?

「誤差の範囲」って何々?あるデータが抽出され、何らかの統計的処理を
施して、それが「誤差に収まる」と認識されたんだよね?

結果、「人間の意識?なんつーもんは~、巨大な動物的本能に比べたら所詮誤差、
アタシも仏陀もキリストもマキエも、エイジ(←多少語気が変わったように感じ
たのは思い過ごしか・・・)もみんな(誤差範囲内つながりで)一緒~」と
言う結論が生じたんだよね?

と、最近知恵が付いてきて、小うるさいJK(=女子高生)のサエコが携帯片手に申
しておりました。ダラダラ長いメール止めとけって言ってるのになぁ。

288:考える名無しさん
07/09/11 13:12:04 0
一の説明、よくわかりました。
ありがとうございます。

続きを宜しくです。

289:考える名無しさん
07/09/11 19:08:50 0
質問があります。
人格や自我がでてくる前・・・赤子や胎児の頃の純粋な自分というのは
そもそも認識できるのか?一はそれを認識できたのか?それとも~こんな
感じという妄想に近いような感覚なのか?


次の質問
壱思想によって淡々としない?


次の質問
俺は野球をするんだが、すこぶる調子がいい時ってまわり全体が見えて
なんの雑念もないようで頭で考えずとも勝手に体がベストなプレーをしてくれ、
球だろうがまわりだろうがスローモーションのように見えてお茶の子さいさい状態に
なったりするんだけど、これは壱と関係あり?


最後の質問
壱からしたら世の中には説明できない現象は一切なし?

290:考える名無しさん
07/09/12 01:30:02 0
>>281
デカルトは悩んでたね
考える自分と考えない他者である肉体がなぜ対応してつながってるのか?と
肉体(他者)と精神(自分)の二元論から
他者である肉体は消滅しても自分(精神、魂)は残るという発想が生まれたのかな?
考えてみれば考えない非言語の肉体がなければ言語も考える自分もなかったわけだから
肉体だけを他者として軽視する理由も確かにないな。
つ~ことは考える自分も自分だが、考えない肉体も同じく自分と考えても何も問題ないわけだ。
考える言語的自分と考えない非言語的自分、両者はなぜか対応しつつ同じ自分を構成する。
なるほどね。


291:一
07/09/12 11:40:02 0
>>287
サエコちゃんの突っ込みももっともだから
また考えてからそのうち答えるねって伝えといて
>>288
あいよ

292:一
07/09/12 11:50:17 0
>>289

質問1

赤子や胎児の頃の純粋な自分をそのまま認識できたわけじゃないすね
ただ言語や思考を持たない自分はやっぱ
どうしようもなく腹減ったり眠くなったり勃起したりとか
そういうときに認識することができる
そういうような思考以前の生命維持のための衝動は
赤ちゃんや胎児のころにもあっただろうと思う
だからそれは認識というより推論でありまあ妄想と言われれば妄想だな

293:一
07/09/12 11:53:21 0
>>289

質問2

そうだね比較的淡々とするようになったかな
熱くなることもあるけど冷めるのが早くなったかな
でも昔からそうな気もするから
あまり変わってないような気もする

294:一
07/09/12 12:00:55 0
>>289

質問3

美しさと壱は何かしら関係しているという気がしている
アスリートが最高のパフォーマンスをするとき
その姿を見て美しいと私は思う
その感動は動物や魚の動く姿を見て美しいと思うのと似ている
両者の共通点は無心でいることにあるのではないか
無心でいることとは壱と一体になっていることではないか
まあざっとだけどそんな感じ

そのうち「美しさ」や「感動」と壱の関係についても
書いてみたいと思ってます

295:一
07/09/12 12:09:53 0
>>289

質問4

それはわかんないな
説明できることはたくさんあるとは思うけど

>>290
どうして二元論みたいな不自然な主張が
何百年もまかり通ったのかが逆に不思議だわ

296:考える名無しさん
07/09/12 20:41:02 0
>美しさと壱は何かしら関係しているという気がしている
>アスリートが最高のパフォーマンスをするとき
>その姿を見て美しいと私は思う

防波堤で寝転びながら、カモメやウミネコの飛んでる姿をただ受け入れてる時がある。
だけど、あの子らにも個体差はある。威嚇しながら、餌も奪い合う。そんな時に我に返る。
可愛そうに思うときは、釣針ついたままの魚を、何の疑いもなく飲み込んじゃう時だなぁ。


297:考える名無しさん
07/09/12 22:45:42 0
ある日、母が勤め先のスーパーから鳥取のホテル宿泊券を2枚もらってきた
「店長さんが『休みなしのお勤めご苦労様。たまには坊やと一緒に行っといで』って」

       J('∀`)し
        (ヽロロ   ヽ('∀`)/ワーイワーイ
        ||      (_ _)
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

生れて初めての旅行に興奮する俺に母は
「鳥取には砂丘があるらしいよ」「きれいな風紋が見れるといいね」と
お出掛け用に新しい洋服を用意してくれた

   J('∀`)し ♪
t─┐ノ( ノ)        ヾ('∀`)ノロロ
  │■| |       .  (_ _)
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

そして旅行当日 電車やバスを何本も乗り継ぎやっと鳥取砂丘に着いた

        J( 'ー`)し
.         ( ) \('∀`)/
          | |   (_ _)
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄


              ,,..,,..,,..,,..,,..,,..,,..,,..,,
-─-‐―-─-‐''"´ ::::::::::.....::... ::::''"´ ̄ ̄~ ̄ ̄
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298:考える名無しさん
07/09/13 00:51:57 0
>>295
でも、普通の感覚だとやっぱ肉体と精神は別物と考えるのが逆に自然だと思うよ。
じゃないと他人の死を見て肉体は無くなったけど心はどうなったか?なんて発想が浮かばないだろうね。
そう考えるってことは肉体消滅後の心=自分の行方が気になるという心理が働いてるんだろうし。
精神が肉体を認識するという時、認識する精神は主体である自分だが認識される肉体は対象である他者とみなしてるんじゃないかな?
それが常識的な捉え方だと思う。
で、ここがやっぱ壱思想理解のポイントであり難点なんだと思うな。
言語で思考し認識する自分と言語で思考し認識される言語を持たず思考も認識もしない物質(肉体、生存本能)としての自分。
認識においては主体と対象に分かれる両者は元を正せば同じ自分であり自分を構成する二つの側面である。
それは自我、自意識、言語によって自(精神)と他(肉体)に分裂した結果にすぎない。
ここら辺りで大抵はつまずくんだと思うなあ。
289氏の最初の質問もやっぱ自我による認識重視で自分が認識できない対象は他者扱いしてる感じあるし。

299:一
07/09/13 12:11:37 0
>>296
今度釣り行こうぜ
>>297
あれは鳥取出身の私としては断じて許せません

300:一
07/09/13 12:33:03 0
>>298
そうか確かに
デカルトや西洋思想を知らなかった昔の日本人でも
魂が肉体に宿るとかお盆に魂が帰ってくるとか考えてた訳だし
肉体と精神は別物と考えてたんだろうな

そこまでは同意するけど
考える私のみを主体と捉え自分の本能や肉体は客体と捉える考え方は
やっぱ不自然だと思う
哲学的な問題など考えた事もない人は自分の身体と自分の意識と
全部ひっくるめて一個の自分って捉えてないかなあ

例えば誰か友達にこう聞いたとしよう
「ねえ君って誰?」
「え、俺?俺って、別に、いやこれが俺だけど・・・」
多分そんな感じで答えるんじゃないかな

そのときの「俺」って意味には身体も精神も入ってると思うけどどうかな?

301:一
07/09/13 12:45:19 O
ねえ君が思う君って誰?
って聞いた方がいいかも

302:考える名無しさん
07/09/13 13:24:58 0
これと似たようなものに行き着く人って結構いるもんだな
壱思想についてではないことで聞きたいんだが
壱思想の状態になってからアルツハイマーっぽくならなかったか
聞きたい。

俺も友人もそうなったんだw
ただ、日常生活や学校生活に支障をきたすことは
ほとんどなくて、例えて言えば興味がないことについて
確かに見て聞いているのに記憶にとどまらない・それについて
アレコレと思考しないことで、その部分がカッポリ抜けてんの。

みんなどう?

303:一
07/09/13 13:46:32 O
んー俺は特に忘れっぽくなったとは思わんな
まあ思わないのが一番ヤバいのかもしんないけどw

壱思想的な世界観を持つ人が実は案外多いというのは俺もそう思う
天然な奴とか
俺も若い頃よりは確実に天然になったとは思う
他人にどう見られたいとかいう意識が今はほとんどないからな

304:一
07/09/13 14:04:07 O
高田純次とかも壱思想的だと思うなー
あーいう自由で適当でゆるゆるな感じが

305:302
07/09/13 17:05:26 0
高田純次ね。実際どうなんだろうな。
芸として計算して一貫してそう見せているのかもしれないし実際は
俺はわからない。そんな感じもするような気もするけど。
所ジョージなんか囚われない独特の世界観があるようで俺は好き。

なんにしても囚われず自分がやりたいように生きてる人って素直に
なんかいいなーと感覚で思うよ。

306:一
07/09/13 23:51:03 0
所さんも飄々としてていいね
タモさんとかも
でも二人にはまだいろいろ趣味などにこだわりがありそうで
飲み屋のねえちゃんとかに講釈たれてそうな感じがするけど
純ちゃんはそれさえも想像することができない適当ぶりw
ま、勝手なイメージだろうけどさ

流れにまかせてふわーっと生きる

307:一
07/09/14 00:12:32 0
壱思想では言語をもって思考する自我を軽視するので
その人の世界からどんどん自我の割合が減ってくる

自意識過剰なんて言葉があるけど
俺にもかつて自己陶酔と自己嫌悪を延々繰り返すような
そんな青臭い時代があった
その頃俺の世界では思考する俺こそ絶対的な主人公であり暴君であった
何をするにもそいつは顔を出してきていろいろ注文をつけてくる

しかし今俺はそいつにほとんど興味がない
そしたらそいつもあんま何も言って来なくなった
俺の世界でそいつはどんどん小さくなってきて
ほとんどその存在を忘れることもある
それは非常に快適で楽な状態だ

308:一
07/09/14 00:26:25 0
何にもとらわれないでいる自由人を見てなんかいいなーと思う
そういう感覚は興味深い現象だ
それは多分暇そうに空を飛んでる鳥とか見ていいなーと思うのに似てる
みんな自我なんてない状態を心の奥で望んでいる
全部がオートマチックになるような状態を

こんな不条理な世界を不条理な人格でマニュアル運転しようと試みる方が狂気だ

309:一
07/09/14 16:34:06 O
金銭や時間に恵まれた人だけが自由人になれるわけじゃない
困難な生活を強いられてる人でもその人が自由だったら自由人
ではその自由とは何からの自由なのか?
自由じゃない人は何に束縛されてるんだろうか?

310:一
07/09/14 18:15:09 O
壱思想はそれを自意識だと考える
君を束縛しているのは君の自意識

自由人はとらえどころがない
それは自意識が薄く縛る力が弱いのでまとまりがつかないから

311:一
07/09/14 18:39:52 O
日本人は自分を持ってないとかよく言うけど
それでいーじゃねえか
いやむしろそこがいーんじゃんか

自己主張強いやつだらけの社会なんて鬱陶しくてかなわん
そんなんで社会がいい方向に進むとは到底考えられないし

312:考える名無しさん
07/09/14 19:35:37 0
わかっちゃいるけどやめられねー=わかっちゃいないことを理解していない
ことで悩む人々も多いのでは?

313:考える名無しさん
07/09/14 22:22:29 0
自然は美しい

314:考える名無しさん
07/09/15 02:54:09 0
>>300
ああ、言われてみればそうですね。
普段、哲学や思想とは無縁で行きてるような人は
心と体で自分だと漠然と思ってるか、確かに。
そこに哲学思想宗教が絡んでくると厄介なことになる。

でも、「君は誰?」と問うとそれは人称的問いになるから普通に名前を答えるんじゃないの?
または普通に自己紹介したり履歴書に書いてあるようなこと答えたり。
こういう自分の属性をそのまま自分と考えてる人も結構いそうな気がする。

これを「君は何?」と問うと本質的問いになって
答えに窮するかそもそも問いの意味が理解できないんだろうけど。

ま、でも心と体にしても自分の属性にしても
その総体としての自分という現象は現象しない非物質であり非言語の壱による現象でしょ?
つ~ことは二元論も三元論も壱によって一元化される。


315:一
07/09/15 08:26:45 0
>>312
まあ人は普通何かにすがりついてないと不安を感じるしね
それもまた人間の悲しい性だし別に悪い事じゃないと思う

316:一
07/09/15 08:36:33 0
>>313
自然という言葉も考えてみればおもしろい

例えば自然な優しさは美しい
自然に溢れ出る笑顔は美しい
作為的な優しさは醜い
無理に作った笑顔は醜い

どうも我々の美醜の感覚には
それが自然なものか作為的なものかという判断が深く関わってるように思える
そこに思考する私がいればその行為は作為的で醜く
そこに思考する私がいなければその行為は自然であり美しい

こういう感覚は非常に興味深い
またそのうち美醜と自我と壱の関係については述べる事になるだろう

317:一
07/09/15 08:44:12 0
>>314
そうだね「君は誰?」より「君は何?」の方がいいかもね
さらに言えば「君はどれ?」もいいかもしれない

A「君は誰?」
B「いや俺は佐藤ですけど」
A「君は何?」
B「いや何って・・・まあ人間かな」
A「君はどれ?」
B「はぁ?どれって・・・まあこれが俺だけど」

318:考える名無しさん
07/09/16 00:44:31 0
俺なら
君は何?
って聞かれたら
愉快に動く肉の塊。もしくはうんこ製造マシーン
ってとっさに答えちゃうだろうな

319:一
07/09/16 01:29:28 0
宇宙人が俺らを見たらそう思うかもねw

320:考える名無しさん
07/09/16 11:09:11 0
まぁ
俺も宇宙人だしな
お前もだけどな

321:一
07/09/16 13:12:49 O
なら宇宙人オフでもしよか
暇なんだ俺正直

322:一
07/09/17 02:05:40 0
私はかつて宇宙の塵であった
(まあ今でもある意味宇宙の塵だけど)
(だから宇宙人というより宇宙塵だね)
壱思想はその頃の存在の仕方を現在の理性から懐かしむ
それは自我の無かったころに回帰しようとするかのようだ
なぜ自我が自我の無い状態を望むような矛盾が起こるのか
それにはあらゆる生物に備わる先祖帰りの本能が影響してるのかも
最近はバイオテクノロジーが発達し
微生物に紫外線を照射したりして新種の微生物を誕生させている
しかしその新種の微生物は何世代か交配を続けると
元の微生物に戻ってしまうという
異常な進化を遂げた生命体はその前の状態に戻ろうと欲求する本能がある
人類の理性もまた異常な進化なのかもしれない

323:考える名無しさん
07/09/17 10:23:58 0
カッパ セイジンガ チキウ セイフクノタメ フキョウ カツドウヲ ヲコナッテ オリマス
ビショウネンハ シリコダマヲ ヌカレマセヌヨウ ウレタマダムハ イクトヨロシイ カモシレナイ

324:一
07/09/17 17:42:39 O
音楽が魅力的なのも何かしらそういう先祖帰りの本能と関係してるように思える
言語以前、思考以前の自分への回帰が音楽によってもたらされてるんじゃないか

325:考える名無しさん
07/09/17 21:49:02 0
タチモドッテミマショウ=タチモドッテハジメマショウ デワナイノカモシレナイ

326:考える名無しさん
07/09/17 22:49:05 0
【プロファイル】
ここに貼ってあったスレも読んできた。すっげー長すぎw
しかも半分位からはグダグダで後半は何とかスレを残そうとする動き見え見え状態だったぞw
んまあ、どうでもいいが。

壱にしろ、あっちでいう原則にしろ、それ自体ではなくある共通点があるかもな。

・1人で考える時間空間が十分にあった。
・社会適応能力、人間関係力が世間で言うところの「欠けている」人々。
・現在も世間で言うところの、、、同上。
・原則については物理等を当てはめ、その原理をあらゆることに適応させれば
 スムーズに且効果がある動きと結果につながる的なことを言っている模様。
・壱については、そんなことすらもある意味自我がからんでくるから純粋な
 まま漂えばいいだけさ~的なことを言っている模様。

、、、かもな。

327:一
07/09/17 23:50:07 O
ははw
確かに我輩は今ニートであるがずっとそうだったわけじゃないあるよ
次は職人を目指してるので今勉強中なのだ
今は社会に適応してないかもしれないけど適応さすことは何でもない
なぜなら私は私にこだわりがないから

328:考える名無しさん
07/09/17 23:55:21 0
かもめ

329:考える名無しさん
07/09/18 00:05:40 0
すんばらす

330:一
07/09/18 00:07:09 O
原則のことはよくわからんが
壱思想は人生に役立ったり世の中を良くしたりするものじゃない
単なる一つの世界観だーね
その世界観に基づくと、思考する自我や人生は軽視されることになる
だからその結果としてふわーっと漂うことにならざるを得ない

331:考える名無しさん
07/09/18 00:14:12 0
だよ

332:考える名無しさん
07/09/18 00:15:21 0
何回も言ってるけど、気がつかないのかな

333:考える名無しさん
07/09/18 00:17:08 0
んで、つぎよね?つぎはむずいよ。

334:一
07/09/18 00:21:10 O
ふわーっと漂うことと職人を目指して勉強することは矛盾してるように聞こえるかもね
確かに漂うっていうとだらーっと何もしない感じがするしな
でも俺ん中では全然矛盾してなくすごく自然なんだ
要はその行為が自然かどうか、無理があるかないかが大事
無理のない生き方を私は人生を漂うと表現してるわけなのれす

335:考える名無しさん
07/09/18 00:23:02 0
つぎない だよ

336:考える名無しさん
07/09/18 00:24:45 0
一が誘導なんてできないよ。残念、甘いよ。

337:考える名無しさん
07/09/18 00:26:44 0
えと、えと。

338:考える名無しさん
07/09/18 00:26:50 0
「・・・なのです!」
「ふーん。で?」
「いや、べつに」

というやり取りを楽しむスレ

339:一
07/09/18 00:29:46 O
なんか禅問答みたいのが多いすね
俺なぞなぞとかめちゃ不得意だぜ?

340:一
07/09/18 00:43:54 O
>>338
まあそんなやりとりは今後もちょくちょくあるだろね
こんなんでも楽しんでもらえるならわしゃ嬉しいよ

341:考える名無しさん
07/09/18 01:01:28 0
楽しんでますので、壱&一続けてどぞ。
自分の中に沿って=漂うってことは読んでいる人々はわかってるような
気ガス。たぶん。

あげとくよん。

342:考える名無しさん
07/09/18 02:04:20 0
んで、「主体性」述べればよろしいのでしょうか?


343:考える名無しさん
07/09/18 02:07:34 0
もうこねーーーYO

344:一
07/09/18 03:07:51 0
>>341
thx
>>342
述べてみて
>>343
さいなら

345:考える名無しさん
07/09/18 03:16:25 0
まけた・・・・・

346:考える名無しさん
07/09/18 03:19:15 0
2敗1分って自分でおもってるんだけど、どこまでなの?

347:考える名無しさん
07/09/18 03:43:50 0
おせてくださいな・・・くらいしかいえないんだろな

348:考える名無しさん
07/09/19 00:35:44 0
>>327
言っとくが、別に批難したわけでも否定したわけでもなんでもなく
ただ単にそう感じたから書いただけだからな。

んまあ、俺は壱思想に興味があるから今後の展開も見るだろう。

それにしてもアレだな。必ず俺みたいな奴もいれば、荒らす奴もいるもんだ。
んまあ、この荒しは君に嫉妬してんのかもな

349:考える名無しさん
07/09/20 02:41:33 0
荒らしによって、壱は磨かれてさらなる次元へと昇華するのだ!!

350:考える名無しさん
07/09/20 04:26:25 0
磨くっていうのは、顕微鏡でやっと観察できるくらいの
細かい細かい傷を付けて行くことでしょ。
深い荒い傷なら破壊されて磨くことにはならない。
それは醜い傷だ。

351:一
07/09/20 18:22:59 O
まあ何であれ反応があると
自分じゃ思いもよらない視点を持つきっかけになったりしておもろいわ
荒らしでも何でも自由にやっちゃってくれい
あとはそのうち暇で頭いいまとめ人みたいのが現れると最高なんだがな
俺にはそういう気力がねーし
まあとりあえず引き続き流れにまかせて適当に垂れ流してみる

352:考える名無しさん
07/09/21 17:15:47 0
この世に産まれたからには
影響を受けず生きることは不可能
また影響を与えず生きることは不可能

全く影響を受けず与えず生きたいもんだなー

353:考える名無しさん
07/09/22 00:22:10 0
>>352
山に篭れ。

354:一
07/09/22 03:37:49 O
確かに君の人格は日々誰かに影響され変化し続けるし
君の接触する人の人格に何らかの影響を及ぼし続ける
でも別にいーんじゃない?
だって君の人格なんて君の存在のうちのほんの薄皮一枚なんだから
どうなろうと関係ないさ
オッパッピーだ

355:一
07/09/22 03:48:03 O
そもそも私は私の人格をもって私の一部と認識することにすら抵抗がある
なぜなら私の人格形成は全て外発的に為されてきたからだ
私の人格は私の出会ってきた様々な出来事や人々の反映である
全く違う環境で生まれ育ったなら全く違う人格になっただろうし
もしオオカミに森で育てられたなら人格をそもそも持たなかっただろう

356:一
07/09/22 04:37:48 O
また私は人格と他者の境界線は全然きっちり引かれてないとも思う
自分が思った事として人に話してたらふと
あ、これあいつに聞いた話だった、なんて事あるでしょ
他人は私の中に簡単に入り込むし私もまた他人に入り込む
集団ヒステリーなんかもそのいい例だ
人間は集団で興奮すると個々の人格の垣根など一瞬にして取っ払われる
そういうのから見ても人格と他者ははっきり区別できるようなもんじゃない

人格は蜃気楼みたいだ
それはゆらゆらと頼りなげに浮かびながら変化し続ける
その実体は単なる光の反射が作り出す虚像でしかない

357:一
07/09/22 04:46:56 O
また君と私は肉体こそちゃんと区別できるものの
精神は既にある部分溶け合っていてきちんと区別できない
それだけ人格というのは無定形でぐっちょぐちょで互いに独立してないのだ

358:一
07/09/22 04:56:44 O
なので私はそんなものを私として認める気には全然ならないし
真剣に向き合う気にもならない
流れのままに勝手に変化さしてあとは死ぬまで笑ってやり過ごすのみ

359:一
07/09/22 05:03:56 O
そして虚像でない実体としての君や私とは壱なのである

360:考える名無しさん
07/09/22 07:10:44 0
思春期の若者の全能感と
さして変わらない勘違いじゃん

考えたらずとも言えるね

361:一
07/09/22 14:15:23 O
んー君の思春期がどんなだったかわからんけど
ま俺の場合思春期は最も自意識過剰な時期だった
壱思想はその自意識をとことん軽視する
また壱思想は俺は神だ、何でもできるぜ的な感じじゃないな
むしろどっちかといえば巨大な自然災害を目の当たりにした時のような
どうしようもなくて笑うしかない突き抜けた無力感に似ている

362:武陽陰士 ◆ATDF4vFZys
07/09/22 18:15:08 O
セックスのときは相手と一体化して自分なんかないよ。

363:考える名無しさん
07/09/22 18:38:12 0
君が高らかに歌い上げている一思想には決定的にかけている部分がある。
それは現実的な実効力が無いばかりか、むしろ阻害してしまうという点だ。
山に篭って自然と一体化し、野の山菜を糧として孤独に暮らす老子や、
イナゴを食べて伝道するヨハネ等を模範とし、そういう生き方に満足するのなら
それでもいいが、現代社会に暮らす君は
一思想で本当に満足した生活を送れるのか?覚悟があるのか、と問いたい。
おそらく否だろう。
きみだってセックスはしたい、おいしいものは食べたい、良い車にのりたいし
良い音楽聴きたいし、良い家に住みたいと思うだろう?
その際、きみの神秘がかった現実的なアクチュアリティをほとんどもっておらず、
単に逍遥的な知的遊戯としてしか機能しない。家に閉じこもって掲示板に
同語反復的な説教を書き連ねている君は、おそらく一見自由な思想に不自由を感じているんだろう?
言っておくが、壱を地で行って稼げる商売はそうはない。
それなりの自意識を構築し、環境に適応していくことが求められるのだからな。

364:考える名無しさん
07/09/22 18:40:58 0
神秘がかった現実的な→神秘がかった壱思想は、現実的

365:考える名無しさん
07/09/22 20:50:44 O
>>363
そのままじゃ稼ぐのは無理だろう。宗教と同じだ。教義通りにしたら
たいていの宗教は稼げない。稼げてる宗教は本来の教義を曲げて
現世利益を唄ってバカを騙して大量に釣り上げた所だけだ。

366:考える名無しさん
07/09/23 12:49:29 0
古今の偉人といわれる宗教者、哲学者の到達点は、まさにここにある思想。
この思想を出発点として、豊かに発展させていくことを期待する。


367:考える名無しさん
07/09/23 15:32:22 0
時間ってなに?
空間ってなに?
ただの概念?

368:一
07/09/23 21:59:24 0
>>362
いいセックスしてんだな
うらやましいわ

369:一
07/09/23 22:19:17 0
>>363
んー別に俺は世捨て人になれとは言ってないよ
セックスしたかったらセックスしたらいい
自然に湧き上がる欲求に素直に従ったらいい
流れに任せて漂えばいいってのはそーゆーこと
自然に世捨て人になりたいと思ったんなら世捨て人になったらいい

自意識や人生や社会についても
そんなもん全部否定して捨て去れって言ってる訳じゃなくて
あんま深刻に考えたり真剣になったりしないで
軽ーく考えて遊んじゃえって感じかな

370:一
07/09/23 22:32:24 0
>>367
難しいお題だねいろんな意味で
まあ時間とか空間は人間が世界を把握するときの尺度じゃないかな
それ自体で存在しているようなものじゃなく
人間の思考にいつも付随してる枠組みたいなものじゃん?


371:考える名無しさん
07/09/23 23:12:00 0
欲求に素直に従ってたらハチャメチャになんね?

372:一
07/09/23 23:43:10 O
痴漢をしたいと思ってそのまま痴漢しちゃったら確かにはちゃめちゃになるわな
まあ普通そういう時自分を抑制するのは社会的制裁は受けたくないという欲求だろう
それもまたごく当たり前の自然な欲求だ
それでも痴漢したい人はすればいいさ
はちゃめちゃにしかなれないような人もたまにはいるし
社会的制裁は受けるべきだと思うけどね

373:一
07/09/24 03:14:50 O
ところで現代社会における満足いく生活ってどんな生活なんだろ
自分の適性や能力を生かした仕事に就いて世の中の役に立って
好きな子と結婚して幸せな家族を作るって感じ?
それができたら勝ち組でできなきゃ負け犬?
みんなそれを目指さなあかんのか?
そんな価値観の方が非現実的で神秘的な妄想だわ俺にしたら

374:考える名無しさん
07/09/24 03:21:44 0
自分のサイトつくろうよ。ね。

375:考える名無しさん
07/09/24 03:35:48 0
>>371
負の欲求ならなるだろうな。
でも負の欲求はストレス溜まらないと出てこないんじゃないかなあ?

たとえば腹が減るでしょう。無茶苦茶減ったとするでしょう。すると人間は
(というかたいていの動物は)食料を求めるために鬼のようになるよな。
殺してでも食う、というような鬼気迫った感じになるよな。でもそこまで腹が
減らなきゃそうはならないわけで、日頃から適度に普通の欲求を満たす
ことを怠らなければ破壊的欲求は起きないような気がする。


376:考える名無しさん
07/09/24 04:07:52 0
自演なんかしてないで。な。

377:考える名無しさん
07/09/24 04:19:34 0
>>376
どこどこ? どれとどれが自演なんだ?

378:一
07/09/24 15:48:29 O
>>375
なるほどそういうもんかもしれないな
普段から何か我慢し続けてる人は酒飲んだとき急に荒れたりするし
我慢しなくちゃいけないときもあるけどしなくてもいい我慢はしない方がいい

379:一
07/09/24 15:57:16 O
2ちゃんみたいに予測不能なノイズが入ってくる方が頭の体操にいいんだわ
自分のサイトはある程度話題が一回りしたら考えてみるよ

380:考える名無しさん
07/09/24 17:44:51 0
智恵子抄

381:考える名無しさん
07/09/25 00:44:05 0
シンプル程 長持ち。
まざりもんがない。
だな。


日々充実してれば満足だよな。
さて、充実や満足とはなんじゃ?

382:考える名無しさん
07/09/25 01:47:00 0
「頭」の「体操」はおかしい
「体」を操るから「体操」
「頭」を操るなら「頭操」

383:考える名無しさん
07/09/25 01:52:19 0
この板には
同じようなことを
もっと突き詰めて話してるところがいくつかある
サイトもある

っていうか似たようなもんなんだから『道』でいいだろ
わざわざ分けるほど需要ないし
こんな程度の低いスレのサイトなんか作るだけ無駄

終了

384:高村光太郎
07/09/25 02:41:02 0
元素智恵子

智恵子はすでに元素にかへった
わたくしは心霊独存の理を信じない。
智恵子はしかも実存する。
智恵子はわたくしの肉に居る。
智恵子はわたくしに密着し、
わたくしの細胞に燐火を燃やし、
わたくしと戯れ、
わたくしをたたき、
わたくしを老いぼれの餌食にさせない。
精神とは肉体の別の名だ、
わたくしの肉に居る智恵子は、
そのままわたくしの精神の極北。
智恵子はこよなき審判者であり、
うちに智恵子の睡る時わたくしは過ち、
耳に智恵子の声をきくときわたくしは正しい。
智恵子はただ嬉々としてとびはね、
わたくしの全存在をかけめぐる。
元素智恵子は今でもなほ
わたくしの肉に居てわたくしに笑ふ。

385:一
07/09/25 02:48:29 0
>>380
ぐぐってざっと読んでみたよ
この詩の元素を壱と読みかえれば
壱思想そのものと言ってもいいと思う
大体おんなしようなことを彼も感じていたんだな

386:一
07/09/25 02:53:10 0
>>381
充実感や満足感は不足感や不満感が解消されたときの感じだろね
腹減ったとき飯食って空腹感が解消されたら満足感を得られる

387:一
07/09/25 02:59:10 0
>>382
じゃ頭操もおかしいな
頭動かしてるわけじゃないもんね
>>383
哲学や思想の歴史全てが壮大な無駄だしな
壱思想が無駄でも仕方ないさ

388:考える名無しさん
07/09/25 15:25:59 0
我が頭操

389:考える名無しさん
07/09/25 17:40:16 0
だろ。智恵子抄読んだ時、おんなじようなことやっぱ感じるんだなと。
このスレが無駄だろうが壱思想が無駄だろうが一が暇つぶしでやって
いようが人助けでやってようが見てる俺、書き込む誰かが存在して
流れてる~。いいんじゃね?




390:考える名無しさん
07/09/25 17:42:31 0
少子化について
毒男・女が増えてること
地球温暖化
について一、壱から説明どぞ

391:考える名無しさん
07/09/25 18:35:51 0
脳内の電気信号を操ってるから



















電操

392:考える名無しさん
07/09/25 18:52:03 0
時間について壱はどう説明するのだろうか。
世界が変化している。しかし時間は実在していない。
実在しているのはただ壱のみ。
壱の時間論を展開すれば道とは違ったものになるかもしれない。
時間が流れていく理由も。

393:考える名無しさん
07/09/25 18:58:26 0
無駄は言い過ぎだろ
みんな悩んで思考をあれこれと巡らせて
一周回ってやっと無駄に辿り着くんだから
せめて無用の用とでも言ってくれよ
過程がなきゃ結果もないんだし

394:考える名無しさん
07/09/26 19:14:33 0
般若心経

395:考える名無しさん
07/09/27 22:12:19 0
あれ?もう終了ってことはないよなw

人間が思想の存在や物質の存在を考える以前から実在している現実の世界
ってなんでつか?



396:一
07/09/27 23:20:39 O
>>392
少し前にも書いたけど
時間とは人間の思考に常に伴われる枠組みたいなものだと思う
人間は時間という枠組を度外視して思考することはできない
なぜなら前にも少し書いたけど
過去を想起できなければ自意識を持つことすらできないから
そして自意識なしに思考することは不可能だから

時間や空間という概念と他の一般的な概念はその存在の仕方が異なる
時間や空間は自意識の思考の仕方の中に枠組として常に存在する
その他の一般的な概念は自意識の思考の対象としてのみ存在する

397:一
07/09/27 23:23:51 O
時間はなぜ流れるのか?と問うのは
空間はなぜあるのか?と問うのと同じような問いだと思う
人間は空間という思考の枠組を獲得してしまっている以上
意識上においては世界を空間があるものとして認識せざるを得ない
それ以外の選択肢はない
時間についても同じ
人間は時間という思考の枠組を獲得してしまっている以上
意識上においては世界を時間が流れるものとして認識せざるを得ない

398:一
07/09/27 23:26:24 O
上のレスですげー疲れたので続きはまた後で

399:一
07/09/28 02:56:50 O
ところで壱としての私は時間にも空間にも我関せずってな感じで存在している
時間や空間なんてのは意識とか身体の事情でしょ
俺にはそんなのカンケーねえし

400:一
07/09/28 03:05:34 O
>>390
小子化についてはいろいろ原因があると思うけど
社会がそこそこ平和でまわりでどんどん人が死ぬわけでもないし
子供をたくさん生む必要を人々が意識下であまり感じてない
ってのがひとつにはあるんじゃないかな

温暖化については特に関心ありまへん

401:一
07/09/28 10:33:22 0
カンジーザイさんはある日
肉体や精神は壱による現象にすぎないことに気付いて何か楽な気分になった
肉体や物質は壱による物質的な現象で
思考や感覚や意志は壱による非物質的な現象だ
万物は壱による現象であり常に転変生滅を繰り返すが
壱は不生不滅、不垢不浄、不増不減
そして壱としての私には肉体も意識も感覚もない
だから迷ったり老いて死んだりすることはないし
修行したり勉強したりもしない
そういう壱としての私が自分の本体だと気付いたら
何かにこだわったり何かを怖がったりするのがバカバカしくなっちゃった
そんな彼のお気に入りの呪文を紹介しよう
でもそんなのカンケーねえ、、あーそんなのカンケーねえ
ハイ、オッパッピー
チントンシャンテントン、チントンシャンテントン

まあこんなのが般若心経の壱思想的解釈かな

402:一
07/09/28 10:37:24 0
>>393
無駄かどうかは何をもって有用とするかで変わるわな
ひまつぶしとしてなら無駄じゃないさ

403:一
07/09/28 10:41:08 0
>>395
それは君が生まれたばっかの赤ん坊のときに見ていた世界だろね

404:一
07/09/28 15:48:27 O
例えば昆虫とか魚にとっての世界は
今俺らが見てる世界とは全然違うものだろう
世界は見られるものによってその姿を変えるが
そのうちどれが正しくてどれが間違いだということはない

405:一
07/09/28 16:02:45 O
そして
誰も見ることのない世界はどんな感じなんだろう?
っていう問いには答えることができない
問いが論理矛盾を起こしてるからね
何かを答えたらそれはもう誰も見てない世界じゃなくなっちゃうじゃん
だからそれは想定不可能だ

406:考える名無しさん
07/09/28 22:42:17 0
一は書籍や情報等から学習し至った経緯があるように見えるんだな。

407:一
07/09/28 23:43:14 0
そりゃ俺も人生経験だけからこの思想を持つに至った訳じゃない
いろいろ本も読んだしネットとかで得た情報にも影響されてるよ

408:考える名無しさん
07/09/29 11:00:35 0
見識の代わりに知識を持ち出し過ぎる自称インテリゲンチャ達の打たれ弱さを生暖かく見守る休日いと楽し。

409:一
07/09/29 12:00:16 O
俺もそういう感じの理知的な女がふと見せる弱さとか好きだよ

410:考える名無しさん
07/09/29 18:55:43 0
URLリンク(4d4u.net)

411:一
07/09/30 03:15:01 0
おもろいスレだね
頭がこんがらがってくるけどな
でもそのスレの1が気づいたことってのは何となくわかる気もする
ちょっと長くてややこしくなると思うけど何とか説明してみるね

まずこないだも書いたけど
俺らは時間と空間という世界を把握するための枠組を持っている
そしてその枠組を度外視して思考することは普通できない
世界には縦横高さの広がりのある空間があり
且つ時間が流れているようにしか認識できない

でも昆虫とか魚にとっては
同じ世界が俺らとは全く違う枠組でもって把握されているだろう
アメーバとか単細胞生物にとっての世界はもっと違うだろう
もし宇宙人がいたら彼らにはまた全然違う世界が広がっているだろう

でもそれぞれの世界のうちで
どれが正しくてどれが間違っているということはない
人間の見てるこの世界や宇宙がデフォルトなんてことはない
それぞれがそれぞれの枠組でもって宇宙を把握している

412:一
07/09/30 03:16:15 0
さてここで誰も見ていない宇宙というものがあると仮定して
それを壱による純粋現象Xと名付けてみる
すると人間の見てる宇宙や世界というのは
純粋現象Xの一つの側面ということになる

純粋現象Xを空間と時間という四次元で把握したものが
今俺らの見ている宇宙であり世界である
だからそれは決して純粋現象X自体を把握しているわけじゃない
その一つの相とでもいうべきものを把握している
例えば宇宙人が十次元把握できる枠組を持ってたとしたら
彼らには世界は十の次元を持つものとして現れてるだろう
それがどんなものかはわからんが

413:一
07/09/30 03:35:18 0
で、その四次元スレの初代1が発見したものをとりあえずYと呼ぶ
以下に1の述べるYの特徴を並べてみる
・Yは言葉で説明できない
・Yは1と0で説明できることではない
・Yを把握するには1だけあればいい
・Yは一歳くらいの頃には誰にでも見えていたが今は普通見えない
・Yは五感で認識するというより直感するもの

414:一
07/09/30 03:45:39 0
以上を要約すると
Yとは普通の人間の思考の枠組で認識できたり記述できたりするものではない
つまりYは時間と空間という思考の枠組で規定することができない

ところでYは一歳くらいの子には普通に見えるという
それはちょうど時間や空間の枠組がまだしっかりと獲得できない時期だ

つまり私の予想では
Yとは時間や空間という思考の枠組ができる前に見えてた世界なのだと思う

415:一
07/09/30 03:51:00 0
なぜ年をとるとYが見えなくなるかというと
時間と空間という枠組が強化され
そのようにしか世界を認識できなくなるからだ
しかしその枠組を獲得する前に持っていた枠組は消えたわけじゃない
ただ普段は意識下に押し込められているだけ
だからふとした瞬間に時空という枠組が外れると
より原始的な枠組によって世界が立ち現れることになり
結果としてYが直感される

416:一
07/09/30 03:55:00 0
んーまだちょっとうまく説明できた気がしないし
興味深いテーマでもあるので
また明日考えてみる

417:一
07/09/30 17:38:44 0
この例に限らず世間でいうオカルト体験なんかも
>>415のような仕組みで体験されてるのかもね

俺らは受精卵から胎児になるまでに魚みたいな形になったりする
これは進化の仮定を辿り直してるように見える
受精卵は受精卵なりの世界を把握する枠組があっただろうし
魚みたいだった頃はそれなりの枠組があっただろう
そしてそれらの枠組は成長に応じて意識下に畳み込まれていく

壱思想では我々の意識上の部分は存在の一部分にすぎないとする
意識化の部分には言葉を持たず思考もしないワイルドな君がいる
意識下には進化の過程における君の歴史全てが畳み込まれてる
魚だった頃の君もいるし猿だった頃の君もいる
そしてそれらは死んだわけじゃなく常に生きている
ただ意識下に押し込められてるだけ
というか意識からは普通は気づかないだけ
君の意識や人格とは君という巨大な氷山のほんの一角にすぎない

418:一
07/09/30 17:56:57 O
考えてみれば音楽を聞いて心が揺さぶられるのも不思議なオカルト体験だ
あれも言語を獲得したことによって不要となり意識下に畳み込まれた感覚の発露なのかもしれない

419:考える名無しさん
07/09/30 19:33:04 0
面白くなってまいりました

URLリンク(aurasoul.vis.ne.jp)

これはどう?

420:一
07/09/30 20:18:31 O
んー特に気になるとこはなかったけど
二元論てことでいえば壱思想は力と物質の二元論といえるかな

421:考える名無しさん
07/10/01 01:08:15 0
>君の意識や人格とは君という巨大な氷山のほんの一角にすぎない

キャハハ フッル www

422:一
07/10/01 01:52:06 O
まあ当たり前といえば当たり前だわな
これからもとんでもない新発見なんかは出てこないよ多分

ちなみに老子はこんなこと言ってる
人は道のことを聞くとたいがい笑う
しかし笑われなけりゃそれは道じゃない

423:考える名無しさん
07/10/01 02:55:17 0
一の表出を笑った覚えはあっても、「道」を笑ったおぼえはないyo。

424:一
07/10/01 03:42:05 O
笑うってのも不思議な行動だよね
当たり前のことをさも俺が発見したみたいに言いやがってちゃんちゃらおかしいぜ
そう思ったとき何で人は笑うんだろう?
態度と内容が不釣り合いだからかな?
不調和とかズレとかは確かに笑いを誘うことがある
しかし不調和が不快感をもたらすこともある
じゃ笑いと不快感を分ける要素ってなんだろう?

425:一
07/10/01 16:02:00 O
壱思想では生は笑うべきものとされる
なぜなら生は真剣に取り組むに値しないと考えるから
真剣に生と向き合う人にとっては生は笑えないし笑えと言われるのは不快だろう
何かしら自分がこだわって大事に思ってるものの秩序や調和が乱されると人は不快を感じる
でもそのズレが突拍子もなかったりして
何かに真剣になったりこだわることそのものがバカバカしくなると人は笑い出す
こだわりから解放されると人は笑う
それはとても気持ちのいい爽快な笑いだ
でも笑いにもいろいろあるね
気持ち悪い笑いもある
それを分ける要素ってなんだろう?

426:一
07/10/01 16:56:18 O
愛想笑いとか鼻で笑うとかは
自分がバカバカしくなるというよりは相手をバカにする笑いだわな
いじめたり悪だくみしてるときの笑いもそうだろう
気持ち悪い笑いは他者を馬鹿にするから起こり
気持ちいい笑いは自分を馬鹿にするから起こる
馬鹿にするベクトルの違いが気持ちいいか悪いかを決めてるんじゃないか

427:一
07/10/01 17:02:06 O
でもじゃあ赤ん坊はなんで笑うんだろね
ただ単純に目が合っただけで笑っちゃうこととかもある
ああいう笑いはなんなんだろう?

428:考える名無しさん
07/10/01 18:51:31 0
>壱思想では生は笑うべきものとされる
美しいものを見たときの言葉にできない畏怖
異性を好きになったときの神秘的な感情
失恋したときの救われざる永遠の悲しみ
聖なるものに対する根源的な好奇心
自分が命をもっているということにたいする恐怖
生きている大自然に対する絶大な驚嘆
こういうものを感じているとき、もしくは感じたけいけんがあるなら以後ずっと、
決して、生は笑うべきもじゃなくなると思いますよ。生は驚くべき畏怖の対象になる。
生自体が笑うべきというより、一般的な範疇での生の営みが笑うべきといったほうがよくはなくて?
笑い笑いばっかで、命に関するものまで笑うくらいなら、べつに哲学する必要もないんじゃなくて?
宇宙や命に対する形而上的な畏敬の念こそが、哲学を動かしているものだと思われます。
そういうものを知らない人が、壱を悟って、生が笑うべき対象だとかいって、いろいろと自分の思想を公開されたところで、
別に他人からみれば何の魅力もないです。
哲学者も神秘主義者も、命の本質に対して真剣に洞察をいれているからこそ、本当の一なるものに対する形而上的認識に届くのだと思われますよ。
苦脳こそが人を神聖にすると説いた偉大な哲人は、生きることそのものが盲目的なものだという諦念に辿りつきましたが、
スレの最初から意味もない鬱や苦しみは愚かなことだとか言って、生は笑うべきで真剣に取り組むべきものでもないとか言われても、
本当に真剣に苦しみながら哲学的に生を洞察した偉人と比べたら、まるで茶番でしかないんです。
とくに深い思想にたどり着いたわけでもないのに、勝手に生一般を笑ってしまってるようでしたら、
本当に意味のない思想だと思いますよ。ただ過去の思想の同語反復のようにしか思われません。魅力は感じません。
命に対する畏怖や生きなければならないという苦痛を忘れてしまったら、思想は過去の偉人の言説の同語反復かただの言葉の羅列になるでしょう

429:一
07/10/01 19:49:14 O
何か予想もしてなかったようなことに出くわすと人間は笑ってしまう
赤ん坊にとっては毎日が想定外だろうしそれで笑っちゃうのかもね
それは頭脳が劇的に変化するのを和らげるクッションのようは機能なのかもしれない
俺が人生を笑っちゃうのも笑わないと気が狂うからかもな
忘れる機能と笑う機能は脳を正常に維持するためにもともと備わってるものなのかもね

430:一
07/10/02 04:54:03 0
>>428
んーまあ気になるとこを要約さしてもらうと
・形而上的な存在に畏怖や驚嘆を感じると生は驚くべき畏怖の対象になる
・驚くべき畏怖の対象は笑うべき対象ではない
・命に関するものまで笑うくらいなら哲学する必要はない
・形而上的な畏敬の念が哲学の原動力である
・苦悩こそが人を神聖にすると偉大な哲人は説いた
・苦悩のない思想は茶番である
そんなとこかな

431:一
07/10/02 05:21:55 0
まず哲学についてだけど
哲学とは何かというのはまあ人それぞれいろんな定義があるんだろうけど
そもそもphilosophyっていう言葉はギリシャ語で
「知を愛する」とか「知の友達」みたいな意味で
対話なんかしながらいろんなことを考えることを愛するってこと
それが哲学だと私は思ってます

確かに近代の西洋の哲学者は苦悩した人が多いだろうけど
苦悩する哲学だけが本物であとは茶番だってのは違うと思うな
近代の西洋の哲学者がみんな苦悩したのはキリスト教と哲学が
どうしても相反するからだと思うよ

ちなみにプラトンは「国家」でこんなこと言ってる
人生には真剣になるべきことは何一つない

432:一
07/10/02 05:41:14 0
哲学の原動力についてはそんなに異論はないな
君の言うように
言葉にできないような感動や驚嘆や畏怖の情から
形而上的な思考は生まれるし、それは思考の原動力ともなる
そこまではわかるけど
だから生は畏怖すべきで笑うべきでないってのはちと飛躍があるんでない?

まあ要は尺度が違うんだな多分
俺は生を軽く感じるけど君にとっては生は軽くない
俺にとってこの生や人格は全俺のうちのごくごく一部だから軽い
けど君にとってはそうじゃないから軽くないんだろう
そうじゃない人に無理に生を笑えとは言わないよ
苦悩したきゃ苦悩したらいいさ

433:一
07/10/02 05:49:34 0
だから壱思想的にはどんな人生を送っても偉大も卑小もない
苦悩して真剣に真理を追求しようが
一生遊び呆けて人に迷惑かけ続けようが
そんなの俺らの存在の巨大さに比べたら誤差の範囲だから

434:一
07/10/02 15:40:23 O
だから壱思想的には
苦悩し真剣に真理を追求した人を人々が偉人だといって称賛するその光景こそが茶番で
その彼のしかめっ面が実に笑えるということになる

これは俺が正しくて君が間違ってるというような問題じゃない
ただ単に視点が違うだけ
この視点に立つことが正しいとも思わない
人生いろいろ
視点もいろいろ

435:一
07/10/02 16:49:53 O
だからこのスレも茶番
書き込んでる俺も茶番
壱思想がそもそも茶番
俺は俺も世界も笑う
壱思想は壱思想自体を笑う

436:考える名無しさん
07/10/02 19:43:18 0
インド哲学でオススメ書籍おせーて。

437:一
07/10/02 20:54:00 O
Osho「存在の詩」かな
わかりやすいよ

438:考える名無しさん
07/10/02 21:29:18 0
あれ、おわっちゃうの?

439:考える名無しさん
07/10/02 21:36:09 0
>>430->>434
苦悩、真剣さ、命にたいする畏敬、が欠けてるから茶番だ、
と言いたかったわけじゃなくて。
貴方、独断的にいろいろと笑いの対象にしたり、
自分の立脚している思想体系のもとにいろいろ判断したりしているだけで、
ていうかそうだから、
全然、深みまで潜れていないのよ。
だから、そう簡単に決め付けてしまわないで、たとえばもっと苦の煉獄や笑えない恐ろしいものを直視してみた方が、
いろいろと認識も深まるでしょう、そうしたらいいのに、て思ってみたので御座居升た。
認識の深さなんて、人間の心に底がないのと同じで、いくらでも突き詰めれば深まるはずなのに。
別に当たり前のことを言っているだけしか思えなくて、スレ丸ごと思想を語るつもりなんだったらってちょっと期待してたもんだから。
体験的にも理性的にも深く哲学をやってるていうのは、とても感じましたが。
生命感に満ち溢れる認識、個性的な斬新な認識、というのがあまり感じられなくて、哲学史の同語反復のように思われました。
>>262に非言語的な領域を自分として見る、というのがありますが、たとえばそこで言及されているユングにとっては子供のころから感じていた当たり前のことですよ。
一なるものへの認識は、完全に内向的、求心的な認識だから、外へ、つまり新しい認識へ向かわない。だから外の人がどういう認識をもっていたかということに関して盲目になる。
著名な哲学者や神主義者は、自分なんかよりもはるかに凄いことを認識している、それを自分も認識したい、そういう畏敬に近い構えがないと何も進まないと思われます。
貴方が、壱という一なるものを悟ったところで、それをもっと広く生に対する認識へつなげなければもったいない。
それで壱へ求心しているあいだは、自分の理念に基づいてしかものを見れない。だから、関係ない、意味ない、笑うべき、とかで簡単に片付けてしまう。
知識はたくさんお持ちみたいですが、何かしらその知識の可能性を無駄にしてしまっている。
壱思想という思想によって簡単にその知識の意義が決定されてしまっているから。


440:考える名無しさん
07/10/02 21:36:42 0
ヨガの僧になりたい、ここに書かれていることとは比較にならないほどの恐ろしく内向的で体験的体感的な認識へ将来達したいつもりなら、
別に壱に今以上に憑かれたままでいいと思いますが。
壱思想を豊かにしたかったら、一度、壱、一なるもの、根源的一者、ショーペンハウアーの意志、そういう全体であり一である類のものに憑かれないで、思考をもっと外向させ、
新しい認識、新しい感覚、新しい直観を求めた方がいいように思われ升。
形而上的なもの一なるものを形而下的に体感的に認識するのも大事だと思うけど、
たとえばニーチェが芸術に触れて感性を豊かにしていったように、一度哲学以外のものに深く触れては?など勝手に思いました。
なにか足りないといえば、やはり感性が足りない。哲学好きの男性であれば仕方ないことですが。
でもせっかくいろいろ考えてるのに、そのせいで認識の視野が壱点に絞られてしまっているみたいでもったいない。
感性がもっと深まれば、思春期の青臭い自意識の葛藤のような何処の教養小説にも書いてあるようなことを遥かに超えた、
美、苦悩、聖なるもの領域を体験できると思われます。
自分のもう完結してしまっている思想体系だけが、ほとんど貴方の思考の基準を決めてしまっていて、
あらゆる感じうる認識しうる感覚や概念が鉄も金も石も何でも混ざってる砂だとしたら、
きっと貴方の理念が磁石になっていて、鉄しか感じられていない認識できていない、
せっかくいろいろなこと知ってるし考えているのにただ笑って済ませてしまうのはもったいない、
このスレたまに見てたけど、そういう印象がしました。勝手な批評、横槍長文失礼。

441:考える名無しさん
07/10/02 22:05:42 0
>>439
自分信じすぎ

442:考える名無しさん
07/10/02 22:46:43 0
441がそもそも、うんこやな

443:考える名無しさん
07/10/02 22:51:28 0
あほか

444:一
07/10/02 22:58:42 0
>>439-440
ははw
俺の人生の心配してくれてるわけね
そりゃご親切なこってす
ありがとさん

芸術や美については今まであまり書かなかったけど
そのうち流れが来たら書こうと思うのでお楽しみに

ちなみに君が尊敬してるかはわかんないけどデカルトさんは
森で迷子になったときはとりあえず一方向に進むべきだと言った
どういう意味だと思う?
私は壱という極星を目指してひたすら歩くのみ

445:一
07/10/03 00:01:55 O
ちなみに私は哲学や思想よりも音楽が一番好きでね
音楽にかけてる時間の方がはるかに多いよ

446:考える名無しさん
07/10/03 00:33:41 0
>哲学や思想よりも音楽が一番好きでね
いわゆる体験的に哲学をする人にとっては、音こそが最高の意識の媒体だと感じる人が多いですね。
脳内をサイケデリックにさせる感覚は、聴覚の次は、五感の中では視覚ではなく意外に嗅覚だということを、香水マニアからきいたことがあります。

>俺の人生の心配してくれてるわけね
>そりゃご親切なこってす
>ありがとさん

いえそういうわけではなくて
現時点で当スレにある言葉からわかる範囲での思考を辿ってみると、
なんとなくそういう気がした、それでどうしようもなく胸が騒いでしまった、というだけのことです。
貴方の対象に対する接し方は、対象のうちの自分が立脚している壱思想という理念が感知した部分・本質的だと思った部分だけ
抜き出して対象のその他の面には触れる前からその対象がそういうものだと決めている、だから、
対象の、拡張するとこの世界の、生(なま)の姿は、ひどく求心的な理念によってあらかじめ姿が変えられている、
そういうふうに感じました。壱思想を優先しすぎて対象にはごく一部しか触れていないというような。
生を笑うというのであれば、生のもっとぎりぎりの生の姿を見てから笑う方が、いい笑いではないかと。
そういう種類の疑問があったわけでして。
笑い、というのはうまく利用すればいわば真実と現実の妥協弁のようになると思われますが、
下手に笑うと、下品になったり、苦々しくなったり、自嘲染みてきたりして、ただ笑われるだけの道化を演じてしまうという危険もあると思います。
まあどういう思想をもつかは人それぞれですか何も口出しする権利はないのですが、
ただ、そのデカルトのお話のような星として空にあるものではなくて、地下のしかも地球の中心に壱が居そうな気がします、変なところに迷い込まないよう、お気をつけて。

447:一
07/10/03 04:22:57 0
>聴覚が最高で次が嗅覚
俺は聴覚より鬼頭の触覚の方が脳内麻薬が出やすいかな

>壱思想は生そのもののごく一部にしか触れていない
>もっと生に深く接してからでなくては生を笑うべきではない
俺さ、高校生の頃さ、何かっつーとすぐ先生に突っかかるような
すげー生意気で嫌な生徒だったんだけど
特に漢文の先生が気に入らなくてさ、期末テストのとき一個も解答しないで
漢文の勉強なんて意味ないと思いますとかもっと他に教えることあるだろとか
そういう文句ばっか書いて提出したことがあんだけど
返ってきたテストには赤ペンで0点て書いてあってその下に
「やることやってから言いなさい」って書いてあったんだよね
何かそんなこと思い出しちゃったなw

448:一
07/10/03 05:13:28 0
まあその先生と君の言ってることは一緒だと言いたい訳じゃないけどさ
まあ言いたい事はわかる気がするよ
確かにこのスレを俺が他人として読んだら
いろんな過去の思想を適当につぎはぎにして作った理念とやらで
勝手に都合良く世界を理解してるようにしか見えないかもしれない

でもさあ・・・
そんなもんなんじゃないかなあ所詮人間の思想なんて
君の尊敬する人だって結局は自分の都合いいように世界を理解してるのさ
世界そのものをあらゆる角度から理解できる人なんていないよ
そりゃ程度の差は多少あるかもしれないけどそんなのドングリの背比べだろ

449:一
07/10/03 06:05:20 O
ちなみに私の思想形成には両親の死を看取ったことが大きく関わっている
それが君に生のぎりぎりの姿を見たと認めてもらえるかわかんないけどさ
そんなのもそのうちそんな流れになれば書くことがあるだろうからお楽しみに

450:考える名無しさん
07/10/03 17:12:53 0
両親亡くしてるのか。大変だったな、、、。

451:一
07/10/03 19:01:08 O
また私の母は統合失調症であった
彼女と向き合った日々ほど私の思想を影響し決定づけたものはない

そういえば智恵子抄の智恵子も分裂症だ
ま、たまたまかな

452:考える名無しさん
07/10/03 20:22:44 0
あれ、おわり?

453:考える名無しさん
07/10/04 02:06:55 0
>>447
そういう青春真っ盛りな意気込みだけははそのままで、
そういう青春真っ盛りな思いつきは
大人になっても引きずったりしないように、
思想を創っていくことができたら、それは素晴らしいことですね。
>>448
もちろん誰でも自分の都合のいいように世界を解釈するもんで、
哲学史は解釈相互間の闘争の場のようなものなのだともいえるし、
影響力のある哲学者ほど自分の理念のもとにあらゆる物を解釈しているものですが、
その解釈作用をする理念が、強度があったり、創造的であったり、深く生を認識していたりしてこそ、
他の解釈を押しのけて新しい哲学として影響力をもつわけであって、
そうでもない状態の自分の哲学的な基盤を疑わずに信用しすぎて、
その基盤のもとにしかあらゆるものを解釈できない、何もかもを壱思想的にしか吸収できない傾向が強くなってしまえば、
哲学的基盤、自分の思想は豊かにならない、他の人の哲学から大事なものを吸収できない、
自分が認識しているだけのことしか自分は認識していないのであって自分が認識していないことを哲学者はたくさん認識しているということを忘れてしまう、
そういうことになってしまいそうだから、その壱思想というものに憑かれたままでは
よくないのではないかな、という感想があったわけです。
同じ壱という一なるものに関する思想をあらゆる考えを抽象していって抽象化論理化していくにしても、
いろいろな多くの認識を手に入れた上でしたほうが、ずっとその思想は豊かになるでしょう。
勝手な批評、気を悪くされていたら申し訳ないです。
自分の思想という内側にあるものへの内向と、他の哲学者やその他世界に存在するいろいろな思想や芸術への外向の、
呼吸のようなリズムが、思想を豊かにしていくように思われます。

454:一
07/10/04 17:17:46 O
まあこれまでもそうだったように私の思想は今後も微妙に変化していくだろう
私は思想が完成したとは思ってないし、それにしがみつく気もないから
ただ
いろんな家具や調度品や芸術品の置かれた洋間のような豊満な思想よりも
畳と襖しかないガランとした空間に掛軸が掛かってるだけの和室のような思想に近付いていく気がする
まあこれはどっちが正しいかじゃなく趣味の問題だわな

455:考える名無しさん
07/10/05 19:04:22 0
age

456:一
07/10/05 19:05:26 O
まあでも例えば
料理の道を極めようと思ったら旨さとはこういうもんだとかいう思い込みを捨てて
初心に帰ってあれこれ食べてみるべきだろうし
俺もそんな風にして日々起こる事に接していきたいと思うよ
それが、こだわらない自由人なんであって壱思想的生き方なのさ

457:考える名無しさん
07/10/05 21:04:26 0
易や風水にもつながりそうだな

458:一
07/10/05 23:06:07 O
そういうのは全然詳しくないけど「気」というのは壱に近い気はするな
元気って言葉が俺は好きでね
いろんな気のもともとの気
元気は無邪気で無尽蔵であり疲れを知らない
そういうものが私の本体
そう思うと辛いときでもほんとに元気が出て来るのは不思議だ

459:一
07/10/05 23:16:55 O
何かしら元気を阻害するものはできるだけ捨てていくべきだし
ちゃんとしたメシを食ってちゃんと寝ることが何よりも大事だと思う今日この頃です

460:一
07/10/05 23:28:10 O
だから猪木さんが
元気ですか~っ!と叫び
馬鹿になれ
とことん馬鹿になればほんとの自分が見えてくると語るのも
深いな~と思うな
ほんとの自分とは元気そのものなのだ

461:考える名無しさん
07/10/06 01:31:47 0
>いろいろと認識も深まるでしょう、そうしたらいいのに、て思ってみたので御座居升た。
>新しい認識、新しい感覚、新しい直観を求めた方がいいように思われ升。

↑に萌えてる僕は負け組みですね・・・

462:一
07/10/06 02:35:39 0
その元気が私の心臓を動かし肺を動かしている
私の細胞一つ一つを動かしているのも元気である
元気こそ私の主人公であり私自身なのだ
元気としての私は宇宙ができたころから存在していて
未来永劫存在しなくなることはない
そして常にあらゆる空間に元気としての私は満ちている
だからその元気があなたの心臓も動かしている
ということは結局私とはあなたでありあなたとは私である

463:一
07/10/06 02:38:41 0
>>461
大丈夫だよ俺も少し萌えてたしw

464:一
07/10/06 13:11:02 O
精神も肉体もぐにゃぐにゃにやらかくしとくのが元気をスムーズに流すのにいい
硬さ、凝り、こだわり、わだかまりは元気の流れを阻害する
ヨガや気功も元気を滞りなく流すために身体を整える努力といえる

465:考える名無しさん
07/10/06 15:00:04 0
壱とは生命そのものという感じかな

466:一
07/10/06 16:38:21 O
んーそうだね近いかな
より正確に言うと壱とは生命そのものの原動力みたいなもの
ありとあらゆる現象の原動力が壱
だから天体の運行の原動力も壱
だから壱は生命にその対象を限定していない

467:考える名無しさん
07/10/06 17:32:22 0
原動力かぁ。
原動力の原理ってどんなん
かな?

468:一
07/10/06 17:48:06 O
宇宙が超巨大なドミノ倒しだとしたら
その最初の一個を倒した力のことを私は原動力と呼ぶ

469:考える名無しさん
07/10/06 18:38:02 0
だからー、その原動力に原理はないの?と聞いたんだけど

470:一
07/10/06 19:03:25 O
そら失礼しますた
原理って言葉で君が意味したいことがまだつかめないけど
宇宙の最初のドミノを倒すってのは一回限りのことで再現することはできない
原理とは普通何回もある現象を観察して見出だすことのできる、
こうなったら必ずこうなるというような法則のようなものだと思うけど
そういう意味でいえば壱に原理があるかはわからないな
壱に原理を見出だすには宇宙を何回か一番最初から始めさせて観察する必要があるだろうから

471:考える名無しさん
07/10/06 21:42:34 0
そだね。
すんまそんw

壱からあらゆる原理が発生しているということか。


ついでに、前に君が紹介してくれたOSHOって本探した
んだけど、これ書店に置いてなかった。図書館にもなかった。
アマゾンで注文中。読んでみようと思う。
図書館にI AM THATという題名のインドの本があった
んだけど、これも同じ部類かな?

仏教哲学は、どういった本?


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