07/09/01 21:30:18 0
自我は単純に自分が今ここにいる自分であるということ、その自覚とでも解釈すればいいと思います。
誰だって普通にそう考えて生きてるでしょうから。
それより壱による現象のひとつであるこの身体に自意識とか自我とか人格からなるこの自分が
なぜ存在するのかが分からない。
身体が壱からなる万物の一連のつながりの生成変化の中のひとつというのは分かりますが
自分はどこからのつながりとして存在してるのか?
壱の仕業である身体上に発生するから元を辿れば自分も壱による現象と捉えて構わないかも?
その身体に理由もなく突然変異の如く発生するのが自分なら
それはあなたが言うように浮かんでは消える泡のようなもので
自意識、自我、人格、自分は存在の絶対条件ではないからそれに特にこだわる理由もないですね。