08/05/16 01:22:08 0
あ、それすごく共感します。
たぶん、造物主は運まかせな存在なんじゃないでしょうか。
というか、厳粛なんですかね。
造物主がどこに向かっているのかわかりませんが、用意された原則からこぼれたものは片っ端からはじき出していく。
たとえば、水は100℃にならないと絶対に気化しない。でも、熱するものは火でも電気でもいいということなんだと思います。
つまり、気化が造物主の目的で、僕らは火となれ電気となれ、と。
天風さんも、私を目指すのではなく私が目指したものをみなさんにも目指してほしいみたいなことをいってるし、沢庵禅師のたとえ話をよく出すあたり他の尊重もしている。
だから、なにも考えるなといっているわけではなくて、むしろ運命難も愛せるのならそれはベストなのでは?
模倣だけってつまり偶像をつくることになるじゃないですか。
それって正義を独裁化することでとっても危険ですよね。電気でも気化するのに火だけしか使っちゃ駄目ってのはおかしいです。
それじゃあ電気しか使えない人がなにもできなくなってしまう。
これは絶対に譲れない考えですが、すべての人が幸せになるべきなんです。
もしかすると、造物主が運任せな存在なのもそんなところに理由があるのではないでしょうか?
運任せってつまり極端にフレキシブルな状態なわけで、あらゆる可能性が起こりうるステイタスなわけだから、ある目的があるとしてその達成に挑むにはもっとも効率的な構造とも考えられる。
all road lead to Roma(スペルあってるかな?)ってことです。いつでも、どこでも、どんな場合でも人は幸せになれるんです。
いや、造物主的には幸せにならないといけないということなのかな?
これは、怖い。
この怖いはつまり、畏怖宣言です。