07/06/21 22:18:02 0
>>1
1排他的な思考をもっているが、まだgoodな場合
・大学や研究機関などに所属していなくて、専ら趣味で物を考察したり批評したりすることに熱中しているとき、
自分のノートに書いただけでは、ただ思いついたことを書いただけ、みたいになって実感がなく、なんでもよくなり、次に思いつくことも奔放になる。
不特定多数に見せるかもしれない、という緊張感があれば、少しは思考に集中できる度合い、正しいかどうか吟味できる度合いが増え、思考していることに実感を持てる
書き込んでしまったとき、まぁ多くは自分以外の人は興味ないだろうけれど少なくとも本人は、大きな責任感を感じるので、自己批評力が鋭くなる。
・見てもらう人がいなくなると、意見が客観的にどうなのか分からなくなり、虚栄心などに動かされた場合など
自分の考えが正しいとうぬぼれてしまうので、虚栄心を満たすことの無意味さを経験から熟知している人は、
虚勢を張った考えが自分の脳髄に有機的に定着してしまう前に、幻滅させたくなる。
・思いつき→妄想観念、という過程の恐ろしさを知っている人は、それから逃がれたい。なんでもいいから批評して欲しい。
妄想観念群の牢獄から脱獄したい。妄想の渦に溺死するよりは、釣られたほうがいい。
(しかし妄想観念といのは後に正しく批評しさえすれば、割と未知の分野への探究心にもつながったりする
妄想観念という常識の大陸から逸れた遠い孤島に永住するのは全く無生産な哀れむべき孤独だが、その孤島の位置を見極め、大陸との航路を描けば、その島以外にも航海できる範囲が広くなる)
・書き込んでしまったことの責任意識による、記憶の確かな定着。その自説が脳裡に残るので、それを後に思い出して表現したり批評したりできる。