【みんな】俺の哲学だっ!!【ついてこい!】at PHILO
【みんな】俺の哲学だっ!!【ついてこい!】 - 暇つぶし2ch2:考える名無しさん
07/05/28 21:06:46 O
コテハンスレッドは削除対象。

3:kyrie ◆.RYdSpBfEI
07/05/28 21:06:51 0
あらゆる過去は、今この意識した瞬間に、陳列されていて、果たして事実であったのか?
この意識した瞬間と言うが、この瞬間になにか大いなる自然の営みが、意識に知れず
営まれているのはないか?

ある概念を見直し加えられた手を除いていくことには、二つの手段が用意されている。
第一に、その概念に付きまとう日常性を、取り除くことであるが、
その際なにがどこまで日常であるかは、その説明が日常性を完全に剥がれた概念によって
なされる。
第二に、手元にある材料から、概念を言わば組み立てなおすことであるが、
それが既成の概念との一致は、基本的に行われない。
手元の材料が既成性を持っていないのであれば、そこから組み立てられた概念は
日常性を脱す。

しかし概念「である」「これ」が、日常そのものであるので、概念が日常性を脱す、
という言い回し自体誤っているのかもしれない。
しかし非概念化が行われて、得られた産物に、名前をつけることは許されよう。

しかしながら、ここで、概念という言葉に捕われすぎてはいないだろうか。
概念が、その指示する内容を持つとき、内容は傾向される。
すなわち、意味性、外延性などに。

ここでせっかくなので、意味性と延長性についてちょっとした話をしよう。

___________________________________

しおり
今日はここまで書いた
___________________________________

4:考える名無しさん
07/05/28 21:30:30 0
--------------------終了--------------------

5:考える名無しさん
07/05/28 21:32:32 0
>>1

今まで読んできた哲学者の名前挙げて

6:kyrie ◆.RYdSpBfEI
07/05/28 21:38:39 0
>>5

プラトン、アリストテレス、飛んでデカルト、スピノザ、カント、ショーペンハウエル、ニーチェ、ベルグソン、フッサール、ハイデガー、ソシュール、メルロ=ポンティ、パトナムくらいっす

7:考える名無しさん
07/05/28 21:57:37 O
>>3
で、結局何が言いたいのかまず教えて

8:考える名無しさん
07/05/28 22:25:58 0
2ちゃん発、哲学本出版の悪寒

9:考える名無しさん
07/05/28 23:20:02 0
--------------------終了--------------------

10:考える名無しさん
07/05/28 23:27:18 O
何が言いたいというか、何を言いたいの?
君が当たり前のように挑んでる哲学的命題に他人も挑んでるとは限らんよ
ちょっとした話とか、脇道にそれるような口ぶりだが、そもそも主題が分からん

11:kyrie ◆.RYdSpBfEI
07/05/28 23:28:47 0
>>7

全ての先入観を一掃したいのさっ
何が言いたいか?
結びの言葉は決まってるよ、「従来の哲学はなべて誤謬に落ち込んでしまっていた」

12:kyrie ◆.RYdSpBfEI
07/05/28 23:30:22 0
>>10

主題は、「最初のものとはなにか」、かな。
俺はフッサールの現象学的還元では飽き足りないのさっ

13:考える名無しさん
07/05/29 01:33:50 O
>>11
サンクス

やっと言いたいことが解った

14:kyrie ◆.RYdSpBfEI
07/05/29 06:23:29 0
①意味とは、概念に先立ってあるものだろうか。
普通、概念は概念によって説明される。しかし、概念とは、概念の連なりとその接合子とによって、
完全に表現されたことになるだろうか。
ここで、概念とは必ずしも言葉を意味しない、とする。
その説明に、印象を喚起せられるよう要求する概念を含む概念もあるからだ。
通常、説明のための概念に対して抱く、印象が、概念間の接合子を緩め、概念は概念と溶け合い、
こうして一つの概念が説明される。
では印象とは何なのか。それは言の葉に昇り辛いものを強引に押し込めたものの総体でしかないのか。
ある概念には、印象が付きまとう。
それが十分直観だけによる使用が難しいとき、それは「難しい」と思われる。
この「難しい」は、概念のそれによって概念が説明されるところの概念の、
引き連れる概念の多寡に対応して、度を持つものと考えられえる。
しかしながら、「十分理解している」と言われる時の、「難しい」印象を取り去った先には何が残るか。
そうした概念は、ふつう概念に対応するのではなく、直接見聞きが可能なもの、感じられるものが
基となるが、直接可能、とはまたひと議論を呼ぶからして、私の考えを述べるに留める。


15:kyrie ◆.RYdSpBfEI
07/05/29 06:24:23 0
印象は、漂っている。
これが私の考えである。
人には複数の世界をもつ能力があって、印象が漂う世界もそのうちなのである。
しかし、青い花、というとき、その青さの印象と、また青さ形状その他もろもろの花という印象とは、
同一の「印象」という世界には存しない。というより、「印象」という世界は、ない。
しかし、また「印象」という世界は、あることもできる。
これは世界への視点に限ったことではないが、ある外延があって、そこに何々が含まれ何々が含まれない
といった規定は、様々なパースペクティブに拠る。
人は、現象ごとに異なるパースペクティブ、それに拠る世界をもつ。
人は、そのつど現象ごとに異なるパースペクティブ、またそれに拠る世界である。
そうであるから、「青い」と「花の持つ印象」とが、それぞれパースペクティブであるとき、
それは恣意的と呼ばれる。
それだから「青い」と「花の持つ印象」とが、同一のパースペクティブであるときも、同様である。
パースペクティブとは、直観によって明らかなように、無限に存する。
人がある印象であるとき、またあるパースペクティブであるとき、印象はそのようにあって、
漂う「そのよう」であって、ここで「漂う」という意味は、印象に人が溶けて、
まったく印象のあるままにある、ということである。
人を構成する現象を推し進め、時間を進めるものはなにか、これはやがて明らかにされるだろう。

16:kyrie ◆.RYdSpBfEI
07/05/29 06:25:42 0
しおり

今日はここまで書いた

17:考える名無しさん
07/05/29 07:01:31 0
>>8
その線も考えられるな。その場合、裏で全部用意してるんだろ。
普段居もしない良くわからない名無しとかも増えるんだろ、ニュース速報みたいに。

逆に、出版ネタが真と捉えて、このスレのログ保管するようにしよう。
いずれいらないレスを省いたり、流れを編集して出版してくるんだから、自分らがウィキでも作って、
レス一個一個に醒める位に深い分析入れて、必要以上に内容充実させるのも良いかも知れない。本より面白いって感じに。

っていうか、まじめに2ちゃん下火だよな。最近。

18:考える名無しさん
07/05/29 07:23:40 0
--------------------終了--------------------

19:考える名無しさん
07/05/29 11:34:02 0
削 除 ガ イ ド ラ イ ン
URLリンク(info.2ch.net)

3. 固定ハンドル(2ch内)に関して
叩きについて
 最悪板以外では全て削除します。
スレッド
 固定ハンドルが題名に入っている・固定ハンドルが占用
している・閉鎖的な使用法を目的としている・等は、自己
紹介板・最悪板・夢・独り言板・おいらロビー・なんでも
あり板以外では、原則として全て削除または移動対象にし
ます。
 ただし、固定ハンドル個人が一群または二類に属する時は、
他の削除規定に触れない限り様子見となります。


20:考える名無しさん
07/05/29 14:17:30 0
kyrieくん、哲学でなくて音楽がんばってくれよ

21:考える名無しさん
07/05/29 15:42:11 0
--------------------終了--------------------

22:kyrie ◆.RYdSpBfEI
07/05/29 20:22:57 0
②延長性
抽象概念としての延長性、というものがある。
これは例えば「思惟の多くをなになにの感情が占める」、だとかの場合に、広く現れる。
カントやベルグソンが説くように、時間や空間が思惟において除き去ることの出来ないものだと
する説を認めるならば、延長性とは、ものを考えるとき必然に抽象概念を具体的イメージに置き換える
作業そのものだ、ということになろう。

さて、カントが行った作業を逆に進めてみる。すなわち、純粋形式としての空間、
そんなものが有り得ないとするならば、せめて有色の空間-から、取り去られたものを
徐々に足していく。木があってもいい。
木は空間の延長性と矛盾しなければ、いくらでもそこに置き得る。
これが、装飾である。
日常とは、十分に装飾はされていないものだ。
される必要もないわけだが、こうして事実、日常に装飾した空間を思うことが、装飾化である。
装飾は、なべて思惟のうちで行われる、とする。
日常とは、具体そのものではない。
と言ったからといって、ただちに観念論に結びつくわけでもない。
日常は、人のその都度のあり方そのものであって、それはこうしたイメージに装飾されていたり、
事象的に装飾されていたりする。

その都度の在り方とは、人がある印象であったり、ある感情であったりするパースペクティブである。
そしてその総体としての全人格が、実現することは不可能である。

人とは、その時その瞬間の世界そのものであり、記憶を携え、それはあるパースペクティブの
移ろいで「あった」と分かっている。
その過去のパースペクティブを踏まえ、今ここに「意識」で在る。


23:kyrie ◆.RYdSpBfEI
07/05/29 20:24:30 0
誰も突っ込んでくれない・・・
寂しいのお。
今日初めてヴィトゲンシュタイン読んだ。
ちょっと考え方近いんじゃね?と思った。

>>20

おう、頑張ってるよ。もう一曲完成して、打ち込みの段階。

24:考える名無しさん
07/05/29 20:58:52 0
じゃ、軽く突っ込んでみるか…

全体的に、どうつながってるのかわからんのだがw

人はその瞬間瞬間のパースペクティブであるのに
最後になんでいきなり「意識」と一般化してしまってるんだ?
そのかぎ括弧になんか意味があるのか…

>その都度の在り方とは、人がある印象であったり、ある感情であったりするパースペクティブである。
>そしてその総体としての全人格が、実現することは不可能である。

全人格が実現するって、よく意味がわからんが、
俺の個人的な考えとしては、逆に、瞬間瞬間のパースペクティブに
その人間の総体としての全人格が現れるんじゃないかと思う。

25:考える名無しさん
07/05/29 21:18:39 0
つまり個々のパースペクティブをたしていっても「総体としての全人格」にはならない。
逆に全人格が個々のパースペクティブを可能にするんじゃないかと…
すべては時間的にも空間的にも連関してるからね。

まぁあんたが「パースペクティブ」「人格」をどういう意味で使ってるかも
よくわからんし、人間をどうとらえてるかもわからんからねぇ…
そのへんもうちょっとは厳密にやってくれないと、突っ込みようがないんじゃないかなぁ…

26:考える名無しさん
07/05/29 21:23:22 0
自分哲学は素人でソフィーの世界を読んでみたり、
大学でハイデガーの講義を取ってみたりしたぐらいなんすが、
全ての先入観を一掃ということですが、>>1さんが日本語を捨てて自分独自の言語を作って使ったら
その目標に一歩迫れるんじゃないですか?
もう一つ、「最初のものとは何か」という主題なんだそうで、今までの哲学のアプローチは間違いだそうですが
物理学的アプローチは誤りですか?
漏れには自分の思考や意識のみに集中してそこだけで何か全体の解決を図ろうとしている印象が
あるんですが、自分の思考や意識は個別的問題ではないでしょうか?

27:考える名無しさん
07/05/29 21:46:20 0
こういう書き方がわかりにくい理由の一つはつまり、
kyrie自身は自覚的にせよ無自覚的にせよ
何らかの哲学史的文脈にのっかって書いてるんだけど
それが読み手にはわからんからだろうなぁ…

「先入観を一掃」するんなら、「独自の言語」とは言わないにしても、
哲学史の中で手垢がついた言葉は使わないようにするか、
それとも逆に思いっきり哲学史に密着するか、
のどっちかにしたほうがいいと思われ…
今の書き方はどっちつかずの中途半端な感じがするね。

28:考える名無しさん
07/05/29 22:11:17 0
つまりたとえばカントの名前をだしてから
「人とは、その時その瞬間の世界そのものであり」と言われると
「人」は主観としての「我」ではなくて、この話は全部「現象」界の話なのかな?
それにしても、人が世界そのものというのは、わからん…
ということになる…

29:kyrie ◆.RYdSpBfEI
07/05/29 22:18:35 0
>>24

おお、レスありがとう。
意識についてはこれから語るよ!

>瞬間瞬間のパースペクティブに
>その人間の総体としての全人格が現れるんじゃないかと思う。

なるほど・・・ありかな!でも真実はどちらか・・・
もう少し熟考の余地アリだね!

>つまり個々のパースペクティブをたしていっても「総体としての全人格」にはならない。
>逆に全人格が個々のパースペクティブを可能にするんじゃないかと…
>すべては時間的にも空間的にも連関してるからね。

上の一つ目は俺の考え方だ、しかし「逆に」とする意味が分からんっ!
あなたは全人格を体験したことがあるのか??
時間的にも空間的にも連関している・・・それはパースペクティブとて同じこと。
俺が想定してるパースペクティブは、ベルグソンの語ったように、相互浸透して切り分けられないものなんだ。

>>26

なんで自分の言語をつくらなあかんねんw
自分独自の用法、というのはふんだんに使ってるよ。

物理学的アプローチは、・・・ありかな!
ただし俺はしない!科学に頼るのは、せいぜい精神分析学、認知心理学あたりかな!

>自分の思考や意識は個別的問題ではないでしょうか

そうは思わない。ハイデガーが世界を道具から説明したように、意識や思考から世界が見えると思ってる!
ただ観念論に陥るのだけが心配・・・

30:kyrie ◆.RYdSpBfEI
07/05/29 22:21:58 0
>>28

ちょっと駆け足だったもので。
俺がカントに認めるのは、ある延長物から、その要素を減らしていって至る「空間」だけ!
あとは理性も感性も悟性も自我も援用しない。

人が世界そのものというのは、とりあえず今の段階では独我論のようなものだと思ってくれ!
今だけね。あとで否定したいから。

31:考える名無しさん
07/05/29 22:37:20 0
>あなたは全人格を体験したことがあるのか??

(だから「人格」の意味がよくわかんないって言ってるのにw)
それは「あなたは悟りの境地にあるのか??」というような意味?
(たぶん話が通じてない…)

>人が世界そのものというのは、とりあえず今の段階では独我論のようなものだと思ってくれ!
>今だけね。あとで否定したいから。

はい了解。
ではまた。
(また来るかどうかわかんないけど…)

32:考える名無しさん
07/05/29 22:43:48 0
僕の哲学は このページにて 紹介してまーすっ
URLリンク(ameblo.jp)

33:26
07/05/29 22:56:06 0
>>29
レスありがとです。
よくわかりました。全ての先入観を一掃の「全て」を額面通りにとらえてみたので
日本語を捨てるって方法もありかなと思いまして。
漏れも自分勝手にどちらかというと哲学的アプローチで
自分が囚われていた観念の問題や認識の限界、変化(時間)などについて考えてきたんですが・・・
>>1さんは>>1さんなりにがんばってください。

34:考える名無しさん
07/05/30 04:19:18 0
このスレを見ている人はこんなスレも見ています。(ver 0.20)
札幌市は北海道新幹線で東北に影響を与えるか。 [地理・人類学]

35:kyrie ◆.RYdSpBfEI
07/05/31 00:55:43 0
>>31

人格の意味は、「人を非延長的に構成することが示されているもの」、かな!
はい、また来てくださいっ!

>>33

君も頑張ってくれ!
そして自分なりの体系が出来たら、教えてくれると嬉しい!

36:kyrie ◆.RYdSpBfEI
07/05/31 00:57:16 0
意識とは、示された記憶や世界の、世界中の諸物、諸現象のある(延長的位置)、抽象的位置
の正当性そのものである。
つもり、これそれがここそこにあって正当だ、ということを、その論理において確認することである。
それだからそれには必ずしも現実(さしあたりこういう通俗的概念を用いるが)と一致していなくとも、良い。
それにはいくらでも装飾が可能であり、また抽象化も可能である。
木が、地面から生えている、という認識は、まさに木が現実においてそうなっているから、
そうされているけれども、そうでなくとも良い。
延長と延長が没入し合うということは、いかにも複雑なイメージになるけれども、
それは論理に反しない限りで、あって良い。
ここで論理とは、物理学のそれや、記号論理学のそれを意味しない。
なんとならば、延長と延長が没入し合っているような絵画の存在が示されているのだ。
手元の概念の分解・結合・融合等の操作によって、無限に、可能として示されている現象が、
意識において可能である。たとえそれらが、意識において姿を見せないとしても、働いている
場合がある。それは過剰装飾と呼ばれる。

37:kyrie ◆.RYdSpBfEI
07/05/31 00:58:14 0
しおり

今日はここまで書いた

38:考える名無しさん
07/05/31 01:51:40 O
ああ早かね。

39:考える名無しさん
07/05/31 02:00:13 0
うむ。ベルグソンぽいな。

40:考える名無しさん
07/05/31 02:13:26 0
(´・ω・`) やあ また会えたね

君たちには、ある日突然ちんこがもげる呪いをかけた。
だが安心してもらいたい。

スレリンク(ana板)l50
 ↑
このスレに
「かわいすぎる」と書き込めば呪いは解ける。
ただし「かわいそすぎる」「かわうそすぎる」と書き込んだ者は呪いが解けないので気を付けてくれ。

では、健闘を祈る

41:考える名無しさん
07/05/31 02:42:54 O
どうもこの人工チンコ君は考える人というよりは信じる人のようだね。


42:考える名無しさん
07/05/31 03:04:26 O
不誠実で不純なのが印象的

43:考える名無しさん
07/05/31 03:08:59 O
いい加減黙ってろ。

44:考える名無しさん
07/05/31 03:13:21 O
こっちまで腐る。
おまえが消えるか、こっちが消えるかだ。


45:kyrie ◆.RYdSpBfEI
07/05/31 23:46:36 0
今日は一休み。

まあ下の俺の新作でも聴いてまったりしてくれ。
URLリンク(www.yonosuke.net)

46:考える名無しさん
07/06/01 00:21:24 0
最近の運営は、外部サイトと連携させて素人臭さを醸し出そうとしているのか。

47:考える名無しさん
07/06/01 07:15:45 0
こっちは終わり?
スレリンク(philo板)l50

48:考える名無しさん
07/06/01 19:38:05 0
>>45 unkooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooo!!!!!!!!!!!!

49:kyrie ◆.RYdSpBfEI
07/06/02 01:43:06 0
>>47

そっちはまた使うかも。
相当昔の考え方だからね。


50:kyrie ◆.RYdSpBfEI
07/06/02 01:44:11 0
準具体的と、純具体的とを、分けることができる。
それは、後者は唯一の現実として「示されて」いるものをそのまま受け取る実存的態度、であり、
前者は、示されている現実を、示されている過去から引用し、再構成した装飾または抽象を、
多少なりとも含むものである。
いずれにしろここで問題となるのは、準具体が論理的であることに変わりはない、ということだ。
論理的ということは消極的には、前後がなくとも良い。
しかしこう言うことは、言語以前の内容の存在を示唆する危険があるが、ここではそれを認めることとする。
言語は、諸指示からなり、その指示のうち具体を戴く一切の指示を遮断したものを、言う。
言語とは、決して唯一無二の内容からなるものではない。
むしろ言語とそれ以外、という分断が恣意的であって、言語はむしろ色々な具体の現れの仕方の
一つに過ぎない、いやそれですらない。
なんとなれば言語とは、膨大な指示群の制約化であるからだ。

また、「論理的」とは、「関係性」ですらない。
関係性とは、その形式は、「何々の関係」あるいは閉じた「関係する」であるが、
前者の場合、何々は複数か単数かが問われる。しかしこの問われは、変容が可能だろうか。
すなわち、一つの関係、と言うとき、その一つの主題のうちに、複数があるし、
多数の関係、と言うときには、関係自体が主題となるが、とすれば、
関係の数的変容は全く不可能ではないのか。
一つが関係してるときと、複数が関係しているときとは、その意味内容が全く違う。
しかし、現実に、そのような意味の変容は、こうして現実にイメージにおいてなされる。
すなわち、複数を戴く主題が、分断され、その分断した諸物の間に、関係という半透明の液体が広がる。
とすれば、関係の変容とは、イメージにおいてのみ可能であり、イメージにおいてのみ論理的なのだ。

51:kyrie ◆.RYdSpBfEI
07/06/02 05:54:58 0
-突っ込み質問歓迎中-

52:考える名無しさん
07/06/02 06:19:48 0
もう少しわかりやすくおねがいします。

53:kyrie ◆.RYdSpBfEI
07/06/02 07:20:18 0
どこをですか?

54:短パン
07/06/02 07:25:53 0
虚構の世界で自分を証明しようとする糞か?

ん?
自分は、自分をみていた者に問え!
例えば。それは、親である・・・。


55:短パン
07/06/02 07:27:22 0
も少し、砕いた方がいいかぃ?
kyrie ◆.RYdSpBfEI さんよ・・・

56:短パン
07/06/02 07:30:10 0
質疑当然。応答中。。。
こいよ・・・・。糞餓鬼!

57:短パン
07/06/02 07:32:01 0
マシンガンあったら、この場で今。やったるぞ?おぃ


甘い。。。

58:kyrie ◆.RYdSpBfEI
07/06/02 07:36:42 0
変なのが湧いてきた・・・

59:短パン
07/06/02 07:42:39 0
(「短パン」を、沸いたレヴェルで処理すると、後が・・・・。)
ま。いいけどね。。。
『聞いた事が無いw』
ふぅん。
『あったまくんなw』
そぅ?
『なんだ、その態度は。俺に対して大体失礼である!』
・・・君。何処に所属してる何大隊の何部隊だよwくされが!

60:短パン
07/06/02 07:45:32 0
死ぬも生きるも言えない糞が、俺に絡むだと?

おぃ

おぃくそwww
『先輩w』
いいや、まだだ。こぅいぅバカには教えてやるべきなんだ。

61:考える名無しさん
07/06/02 08:32:55 0
kyrie さんへ
「社会の思想的健全化のための淘汰」に
ついてお考えを!

62:kyrie ◆.RYdSpBfEI
07/06/03 18:48:57 0
ある論理形式によって、過去が示されている。
それは、木は一本であると示されているだけかも知れないのだ。
また、木の構造は半ば出来上がっているのに、イメージに現れない、といったことも考えられる。
逆に、イメージに現れているのに、構造上十全でない、といったこともあり得る。
装飾が足りずに、あるいは装飾が非現実的で、木が解釈できない、といった場合がそうである。
では「構造」が論理的なのか、もちろん違う。
構造が十全でないのにイメージに現れることは先に示した。
かと言って、イメージが論理的なのでもなく、それは、イメージの背後に営まれる構造があるからだ。

じらさずに、言おうか。論理的とは、以下のことである。
あらゆる可能な要素が、あるとする。それらは大半、背反による不可能によって淘汰される。
しかし、その背反が止揚された形で要素にもなりうる。
あるいは、逆に、背反がそれ以前の一律にまで落ち込み、それが要素になることも、またありうる。
むしろこうしてみたとき、なぜ要素の淘汰からなるものがそれぞれユニークを持つのか、が不思議である。
それは、そのあらゆる位置があらゆる位置に対して持つ関係であり、
位置とはやはりイメージ性に置き換えられるとするならば、それは「意味の位置」にまで拡大解釈できる。
さしあたり空間体として示されている「意味」から点々を剥ぎ取ることにより、一つの構造ができる。
しかしながら意味の隣りの点、とは、到底三次元で表されるものではない。
とするならば、イメージによって全ての事象を説明するのは不可能であり、「記号」が登場する。
記号とはそもそも、イメージであり、意味を持ったイメージである。
それならば、なぜイメージである記号が、イメージ以上のことを語れるのか。

63:kyrie ◆.RYdSpBfEI
07/06/03 18:49:49 0
>>61

悪いな!
俺は社会とかについてとんと無頓着なんだ!

64:考える名無しさん
07/06/03 18:51:41 O
つまらんキャラだな。

65:考える名無しさん
07/06/03 19:08:12 0
kyrieさん
「事実から当為を引き出すこと」を哲学してくれ!

66:考える名無しさん
07/06/03 21:47:50 0
kyrieさん、
あなたにとって形而上学とは?

67:考える名無しさん
07/06/07 16:03:36 0
age

68:考える名無しさん
07/06/17 16:04:29 0
kyrieさんって意外とかわいいね、同学年だけど

69:kyrie ◆.RYdSpBfEI
07/06/17 18:47:06 0
諸事情により今までの考えを捨て去るぜ!

>>65

ごめん、後回し。

>>66

んー…ステータス?

>>68

あなた誰ですか(笑)リアル知り合いですか?


70:kyrie ◆.RYdSpBfEI
07/06/17 18:47:58 0
観念論は、マンガやアニメや映画の世界では通用しない。そこでは、登場人物が、主題性こそ
異なれど、また思惟が時おり覗くけれども、木は主人公にとっての木でもないし、他の人物は主人公にとっての他人でもない。
主人公は他人であり、いつでも、他人相互の関係のままである。

「この世界は、『私』が見ている以上のもの以外にはなにものも求められない」
これをどう否定したものか。これを克服しない限りは、物相互の関係すら全く考えられなくなるし、
従って物理学は意味のないものとなるであろう。

しかし、他人が他人と純粋に関係している、こうしたことが可能であったら?
それは「私の他人」と、「私の他人」かも知れないが、その関係自体はどうなるのだろうか。
それすら「私の他人と私の他人とによる私の関係」とでも反論されるのだろうか。

こうしたことに頭を悩ませながら、しかし「物理学」が現に存在している、ということに私は気づいた。
そして、木が天井からまっすぐ生えている、という想像もできる、ということに私は気づいた。
「涼宮ハルヒの憂鬱」が、その内部に営みを包している、ということに気づいた。
3年前から世界が始まった…誰が否定できよう?
映画「マトリックス」の世界観を、誰が否定できよう?
今見えているこの目の前が、見えたままなのか、そうじゃないのか、あるいは「私が見た」目の前なのか、他人が見た目の前なのか、
そのいずれでもないのか…全てはありえること、「可能性」だと言える。

可能性は、「問う」ことで明らかになるようなものなのであろうか。今こう言う事ができる、
可能性は全ての「存在」に先んじている、と。
可能性は、存在を可能性にする。可能性は全てを可能性にする。
「可能性は全てを可能性にする」とは、全てが可能性に先んじているわけではない。
しかしこの際、時間的な前後など、どうでもいいのだ。
全てを支配するものとして、時間すら可能性する可能性が、前後に揺れ動くことはない。
また「まず可能性があった…」と宗教じみたことを言う積りもない。可能性は時間を超越している。
このような超越するものを、どう扱ったら良いのだろうか。
それは思念することによって、と言うが、その存在すら可能性として疑わしくなった今、ある導きが必要である。


71:kyrie ◆.RYdSpBfEI
07/06/17 18:48:55 0
しかし、万物には必ず導きがある、といったものだろうか。
ある導きは、あるものの連関から導かれる、のみならず、イメージの漸次性にも拠る。
あのニュートンが林檎の落下から得た導きは、林檎が種々の果物、その生産者、落下場所、などに連関しているにもかかわらず、
その運動が彼の心を捉えた。
運動は、林檎の落下が描いた線-本当は林檎の落下が描いた林檎だったのだが-から林檎とその軌道を
一定の図にまでイメージを漸次させたのであった。

しかしニュートンの得た導きは、日常のものであったのだから、その理論にも日常が入り込んでいる、とは言えないものだろうか。
ニュートン力学にしろ量子論にしろ…あるいはカント観念論にしろハイデガー存在論にしろ、それが日常の導きから得られたものだと
するなら…かつ日常に対応させようという理論の包含する努力が認められたとするなら?

超常とは果たしてどうやって生まれるのだろうか。
それが見つかりさえすれば、そこから遠慮なく導きを漁ることができようものを-



72:kyrie ◆.RYdSpBfEI
07/06/17 18:49:49 0
木が、正面にあったと思った瞬間、横に移ったとしたら、誰もが驚くだろう。
自分で歩いてみれば、そのような事態はいくらでも作り出せるにも関わらず!
「あり得ない」
この世の幾多の物語(相対性理論やハイデガー哲学など)の読解力の欠如から、人はこう言う。
物語自体が間違っていることは、断じてない。もちろんそれは、可能性だからだ。
あるいは、日常との親近さにおいて。
木が横に移るというクロニクルの、どこに超常があったか。
それは彼女が、そのような可能性を包してなかったからだ。人は多くの可能性に囲まれながら、それを現実しない。可能性に気がつかない。
このような、可能性に対する無知、それは「その人にとっての」超常である。
この文から、可能性を狭める、「その人」を抜く。それは「にとっての」超常である。
これが意味するところは、全て存在するものがその膨大な可能性でない、ということである。やはり可能性は存在を超越しているわけである。
更に「にとって」とは、やはり可能性を狭めるので、「-超常である」としてみる。
すると、「にとって」は直線的無限であったものが、曲線的無限となる。
つまりは、「にとって」によって限定しないことで、可能な切り取り方がとてつもなく膨大になったのである。
だが、果たしてそれだけなのだろうか。切り取られることが可能なものばかりでなく、そうでないものまで、可能性でない、と解釈できる。
しかしこの「そうでないもの」とは、一体何なのだろうか。
この問いを超常への足がかりとして、留保しておく。




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