07/09/03 18:10:40 O
本質的な論点は宗教が何かではなく例えとして適切かどうか。
まず教義というものがあるな?
それを逸脱した活動の場合、それはその教義とは関係ない。
ある博愛主義者の人間が誰かを差別したからといって、それは博愛主義とは関係ない。
同じように教義から逸脱した活動はその宗教とは関係ない。
で、「制度と言った副次的なものを生み出すんだから宗教は能動的なものだ」
という主張だが、そういう意味で言っていたのか?
宗教が自分の意志を持って自ら動くというような意味で能動的と言ってるんだと思っいたんだが、
前者の意味の「能動的」が包丁の例えにどう関係するんだ?