07/07/30 00:31:05 0
>>578
>ではどういう父と子なんですか?
比喩として父と子ですが、親子ではありません。
「再帰構造」というのが一番近い概念かもしれませんが、必ずしもそうでもないです。
「∞」と「1/∞」という比喩もやや近いすが、これも当たらずとも遠からずといったところです。
これら例えば、視覚でいうなら「赤」のクオリアと同様、その認識に達していない人には恐らく理解不能の概念です。
『ああ、確かにあれは「父」と「子」という比喩ができるな』と思えるかどうかだと思います。まあ、別に理解できなくても問題はありませんが。
>別に根拠がないのだから、イエスの行動も根拠にはなっていないのでしょう?
>なら行動に関係なく、誰でもいいのではないですか?
貴方がそう思いたいなら別にいいんじゃないですか?貴方にとって何か不都合でも?
信者はそういうイエスを神とする定義によって信仰しているのであって、定義以上の根拠はありません。
貴方が別の定義でもいいと思うのは自由ですし、また他の人がその定義を採用するのも自由でしょう。
>そのままの文理解釈では物理法則に反してしまうから、
>心理的表現や、比喩だと解釈して辻褄を合わせているのではないのですか?
>最初から心理的表現や、比喩としてかかれてると、なぜ解るのですか?
明らかに比喩や例えだらけだから。
それから文理解釈で物理法則に反してしまうから価値がないと思うなら読まなければいいだけです。
そこに何らかの価値を見出せる人が多いから今でも読まれているわけですが。辻褄を合わせるも何も、物理法則以前に、始めから矛盾だらけです。
Q. 聖書に書いてあることは結局ホントなんですか、ウソなんですか?
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もちろん物語として面白いというのでも当然「あり」です。
>「馬鹿」になることを選んだ教派もあるのでしょう?
ありますが、それは一般的にカルトとか異端とかと呼ばれていますね。