07/04/01 20:52:08
池田は死のブログを批判し、自分に死が刻々と迫っていることを語らなかった。
言葉の力によって、死の生々しさを薄れさせたくなかったんじゃないか?
知を愛する社会において、考えることを愛し、最後には体験を愛するようになったのか。
彼女は普遍から個へ向かっていった。
だが唯一無二の自己を愛する者に、世界はつらくあたるものだ。
それにもかかわらず、なぜなのか、わざわざ個へ向かっていった。
それを嘆いた諸兄も多かったにちがいない。
だが事実、彼女は普遍的なものから退いていき、池田某というよりは、池田晶子、もとい、伊藤晶子その人として幕を閉じた。
何か示唆的な生き方であったように思う。