07/03/29 23:41:52
池田の思考の難点は、このスレに俺が書き綴りつづけた。再度繰り返せば、無限と有限の問題になる。池田自身は己の有限と、それを超える何ものかとの同一を実感でき、ために上記の問題がそんなに難所になるとは考えなかったと思われる。
池田が己の有限を実感しないで済む感性の持ち主だったこと。それは池田にたいして、「考えられないものとは何か」といった、極限的な問題に立ち向かわせた。
しかし、俺からみて、池田のこの体質は存在問題を考える上で、片面をしかみないことになると思われた。
そのことに、最後の対談を読むかぎり、池田は気付いてきたような観がある。
池田は自分が有限と無限とを双方とも理解していると考える。しかし、池田の呼吸がやみ、心搏が停止し、血液が止まり、他人が話し掛けても答えなくなる、意識は失せる、つまり他界する。
池田の新しい言葉や思考を我々が知ることはなくなる。
紛れもなく死は我々と池田を隔てる。池田は「私は死を知らない」と云い、また、我々だって知らない。しかし、死が何をもたらすかだけは我々は知っている。現に池田の死によって我々と池田は隔てられたことをすでに知っている。
大峯との対談のなかで、これまでの己の思考の難所があることを池田は語っている。
無限は己のなかにある、と言う池田の思考にも実は有限は潜んでいた。大峯によれば、真理とは、己が必要とするもののことだ。ならば、池田は、あるいは我々が知る真理はどこまでも有限に付き纏われるしかない。
己の有限を突き詰めることなしに、無限を真に語れるのか、と俺は書いた。最後に池田はそのことを理解したのではないだろうか。池田は自らの限界と、ゆえにさらなる可能性を感じていたかもしれない。だったらいいな、と俺は考える。