07/09/08 12:43:27 0
2について
>何も知ることができませんので心の中に「良心」や普遍的な「真理」があると言うことも知ることができない
つまりはわからない私に原因があり、わからない人にはわからないし、わかる人にはわかるという話ですね。
少しずるい気もしますが、なぜ心の中に「良心」や「真理」があるかという問いに対して、一段階前の、「理」
の理解を踏まえているかどうかという論者の資格を問うているわけですな。君の話では「理」が理解できれば
「良心」や「真理」については理解可能ということだから、問題はますます上記の「理」の定義とその「悟り」に
あることがはっきりしたわけです。次回、1についてはより具体的かつ詳細に答えてもらいたい。また、その際に
「良心」や「真理」についての記述はなるべく避けてもらわないと困ります。「理」の理解が前提となっている
これらの用語が「理」の説明に用いられたら、循環論法になっちゃうよ。厳密に、そして慎重にお願いするざんす。