07/09/07 22:49:46 0
>>265
>まずは「理」と「非理」という単純な善悪二元論が前提になっているというのが議論として貧弱だね。
単純な善悪二元論と言う論ではなく実際にそう成っています。
貴方が単純だと言われる仕組みを理解できない頭の貧弱さは別として考えるのですか?
私は何度も言っていますよ。物事の理を悟らなければ何事も理解できません、とね。
理解から理を引けば解、解で理解に成らないでしょう。
>>258さんは、、個々にバラバラな真理が有ると言われていますので真理は誰でも同じですよ、と言っているのです。
>議論の大前提となっている「理」(=絶対的・普遍的な価値)が存在する
のか不明ではないかという根本的な疑問が何度も投げかけられているのに、まともに取り合おうとしない
ところにある。
私は理の存在を否定したことは一度も有りません。
>さらには「理」をどういう方法で選べばいいのか、
理を選ぶと言う意味は何ですか?理は聞き覚えるのでは無く悟ることで自分のものにできるのですよ。
>またその方法はなぜ妥当なのかということに関する具体的かつ現実に即した説明も必要だと思いますよ。
理に関連する一切の言葉を理解できぬ人達に具体的に説明すると言う矛盾が有るのです。
例えば良心とか正しいと言う言葉を理解できない人に理の説明を求められても難しいと思いませんか?
ですから、知を望む純粋で謙虚な心の持ち主でなければ物事の理を悟れない、と言っているのです。