ニーチェ セat PHILO
ニーチェ セ - 暇つぶし2ch844:早 ◆yxoSe0qFeA
07/04/13 15:33:34
ニーチェが言うように、言葉が、恐怖や混沌から逃げるためのフィクションでしかなかったとしても、
やはり、言葉が存在している、というのは、人間が「生存したいという欲求」に由来する。
ニーチェは言葉自体を全面的に疑っていたけれど、「言葉の力」を強く信じている。
言葉が人間に「生命力」を与えてくれることを「歌うように」熱弁している。

845:考える名無しさん
07/04/13 15:48:37
読んだ人間に、
「自分が彼の真の理解者であり、自分を本当に理解してくれるのがニーチェだ」
と錯覚させる魔力があるのがニーチェの本。
同じことは優れた絵画にもいえる。
まあ、芸術に対してはそれでいいと思うけど哲学としてはどうかな。

846:早 ◆yxoSe0qFeA
07/04/13 15:55:20
>>845
ニーチェって、哲学から離れて芸術の領域に行ってしまっていますね。
魔力としか言いようのないものがたくさんある。

芸術や神話の魔力に近いような生への力というのは、鑑賞者と、著者や登場人物や神々を、
同一化させてくれるところに、大きな意義がある。
主客同一の認識があらゆる認識の中で一番価値のある認識だと思う。
ただ、知性が追いつかない直観や感情は、飛躍的な気まぐれに過ぎないのが難点。

ニーチェの思想は、こちらの関心や不安などにあわせて、自由に動いてくれる。
可能性だらけの多面体。


847:考える名無しさん
07/04/13 16:09:05
いや、はっきり言って同じことは宗教でもいえるよ
芸術も宗教も哲学も、目的的には似たようなものだと思っているが
あまりニーチェを持ち上げるなよ

848:早 ◆yxoSe0qFeA
07/04/13 16:13:45
>>847
でも、今の資本主義的な価値観では黙殺されている色々な問題点、だれも見えていない問題点を、
真剣に直視するなら、哲学の枠からはみ出たニーチェとか芸術とか神話とかじゃないと、絶対に解決し得ない。


849:考える名無しさん
07/04/13 16:29:29
解決することはニーチェでも芸術でも神話でもない。
解決は死をもってでしかありえない。生の段階では何者も透明にはなれないはず。

ニーチェが少なくとも我々に問いただしたのは救いだったんだと思う。
道徳観念や生への価値などへの答えを見つけ出すために。
でも、ニーチェは敗北した。全ての哲学者や芸術家の最終地点は死だと思う。

850:考える名無しさん
07/04/13 16:29:47
キミの言っているのに虚無からの救済?
だれも見えてないと軽々しく言うが、あまり人間を舐めてやるなよ。
誰だって考えるさ、そんなこと。
ただキミより自己欺瞞が上手いだけだろう。
それは哲学者としては不幸なことかもしれないが、普通の人間にとっては幸運なことかもしれないよ?
ニーチェがあろうと芸術があろうと、“絶対”には解決しえない。
その点においては同じだ。

851:考える名無しさん
07/04/13 16:37:52
もう哲学に生への価値を見いだしても何もない。
早くんは自分の心を抑制するために哲学を学んだんだよね?
それで救われた?何か変わった?
きっと、早くんは悩むのが好きで好きで仕方がない少しだけ自意識過剰な裸の王様だよ。

852:考える名無しさん
07/04/13 16:40:59
醜いな、お前は

853:早 ◆yxoSe0qFeA
07/04/13 16:44:54
僕は自己欺瞞を徹底的に取り払おうとすることで、誰もが考えないようなことを考えようとしている。
その考えが、たぶん多くの人には無意味なゴミか、恐ろしい毒かもししれない、でも少しでも一人でも新しい未知の観点を与えれるかもしれない

問題が解決し得なくても、解決に向かおうとしなければならない。今の哲学が解決に向かっているとは思えない
虚無から恐怖からの救済はなくとも、そのぎりぎりまで行ってから這い上がるというのが、
少なくとも現実の生に新しい価値や未知の発想をもたらし、死のような絶対的なものの解決はもちろんのぞめないが、
色々な個々の問題に対する新奇な解決策をもたらすと思う。そういうギリギリの虚無や恐怖の認識が、欠けすぎている

何故、現代では都会では、あれほど殺人事件が多いのか?
戦争は起きてもしかたないものかもしれない。いや、起こることで、一つの悲劇を具現している。
でも友達、兄弟、家族、ホームレスの殺人。いじめの多発。これは、明らかにおかしい。明らかに恐ろしい。
神話は恐ろしい。エディプス王・・・。神話を知ることで、神話の中で恐ろしいものに気づくことが出来る。
その恐ろしいものが「自分の中に」あることに気づくことが出来る。殺人、いじめなどが起こるのは、
自分のなかに恐ろしいもの残酷なものがあるということに気づかないという自己欺瞞のせいで、
自分が恐ろしいことをしていても恐ろしいと感じていないからかもしれない。
いじめ、がどれほど恐ろしいものかになぜ気づかないのか?テレビは同じようなこと言っていじめられっこを傷つけてしかいない。
何故相手の気持ちがわからないのか?殺人の報道なども、殺人があたりまえのようにしか報道できていない。
殺意、というのが全ての人間に必然的に備わっている、ということを伝えなければ殺人は減らない。
悲劇的な神話は、神々と読者が完全に一体になることで、読者自身の恐ろしい深層心理を知ることが出来る。
深層心理を認識できていないから、恐ろしいことがあたりまえに扱われている。



854:考える名無しさん
07/04/13 16:55:34
それは...綺麗事に聞こえる。殺意は法律によって妨害されているけれど、
失うものが何もない人間が殺意を抱いたらやっちゃうでしょう。
どれだけ、報道が変わっても根本的解決にはならないだろうし、そんなことよりも
殺意よりも大事なことを知り得ていない、持たざる人たちへの救済が欲しいわけで。
それが一時的な解決でも、踏みとどまるのが哲学や芸術ってことでしょうか?

855:考える名無しさん
07/04/13 17:00:43
綺麗事というか、論点がずれてる。

856:考える名無しさん
07/04/13 17:04:43
そもそも、ニーチェと関係ない別の話を持ち出されても...
メタファーでもないだろうに

857:考える名無しさん
07/04/13 17:12:56
(・ω・)/

858:早 ◆yxoSe0qFeA
07/04/13 17:17:04
>>851
>>854
僕は神経過敏で恐怖を感じやすく、本能的に悩んで、生存のために哲学をせずにはいられなかった。
どれだけ罪悪になろうとも赤裸の心を馬鹿正直に暴露して、道化染みた裸の王様を此処で演じることでしか、社会との繋がりを見つけられない。
だから、此処に恥でも本心でもとにかく何でも書いてインパクトだけ与えておいて、何処かへ行く。
根本的な救いへの視点を自分が提供できるとは夢にも思っていないけれど、一般的価値観からでは救えない個々の問題への解決の糸口、多くの哲学者が「感じて」いない生の深層の恐怖に満ちた部分などを、示しておきたいんです。
救済とか幸福を求めるのは、終点に何かあるのではなく、救済や幸福を求める過程の苦しい状態に意味があるのだと思う。
どうせ死ぬんだから、その過程に苦しみを伴ってでも、ぎりぎりの認識や感動をして生に価値を与える、というのが意味のある哲学だと思う。


>>855
>>856
とにかく表現したいことを表現しておきたいんです。
ニーチェとずれていても、少しは哲学に関係するかなとおもって・・
綺麗事なのは、世の中の多くの人が信じ込んでいるものだと思う。少なくとも>>853は自己欺瞞を底の底まで解体した僕にとっては綺麗事ではない。
僕は昔から法律の殆どを一笑に帰すべき綺麗事だと思っていた・・・もちろん不可欠でもあるけれど。
何故8時に学校へいかなければならないのか?心理的には隷属せずに、これを深く問うのも、かなり哲学だと思う。

859:考える名無しさん
07/04/13 17:20:33
解説はいいから、本文どうぞ。

860:考える名無しさん
07/04/13 17:26:52
ではなぜ親が勝手に子供の名前をつけるんでしょう?
自分の好きな名前がつけれないって不服です。

861:797
07/04/13 17:29:41
>>843
伝記なんか読むなよ。あんなもん嘘の塊じゃないか。
それよりフィンセント自身が書いた手紙のほうがためになるよ。
彼の絵に対する情熱が、いかに日々の小さな積み重ねによって為されているかが克明に綴られている。
「本能」とか、つまらん抽象表現など吹き飛ばすほどにね。

君の使う言語は、自己の怠惰な精神を覆い隠すためのバリアに過ぎない。
事態や軋轢から身を避けてばかりいるためにあるだけだ。
しかも、「そうあるしかない」などと平気な顔して言うに至っては実に偽悪的だ。
バタイユの言う「賭け」も「夜」も、君は頭で解ったつもりになっているに過ぎないな。絶望の、夜の果て、自己の無化の究極に至った者がどうなるか、君の言を聞いている限り「知っている」とは思えない。
今の君にこんなことをいくら言っても受け入れないだろう。ましてやどこの馬の骨とも判らぬ他人に。若いようだから、それはそれでいいんだけどね。

スレ汚し、ごめんなさい。もう黙ります。

862:考える名無しさん
07/04/13 17:32:06
ニートだかニーチェだか知らないが、こんなキチガイを真剣に研究してる
バカが大勢いることに驚き(笑)

863:早 ◆yxoSe0qFeA
07/04/13 17:32:46
>>860
そういうことを問う姿勢は重要だけれど、結局その重要性はどの哲学でも同じように、問いに答えはないけれどそれを問うているうちに、
色々な事柄が「連想」され、派生的に新しい関心や問いに繋げていくこと、というところにあると思う。
例えば、自分の名前を不服だと思うのは何故か?親が子供に名前をつけるのは何故か?
名前、というのを自分がもっていることにどういう価値があるのか?とにかく、「何故?」をたくさん連想させていくのが重要だと思う。

864:早 ◆yxoSe0qFeA
07/04/13 17:36:55
>>861>>862
できるだけ無視しておきます・・・
少し小言
詩作をする、という過程で頭の中でどんなことがおきているかお分かりですか?
恐怖を感じたり詩作を進めたりしていると頭でわかるはずがないことが、全て、飛躍的に身体で分かるです。
ランボー「分からせようにも外道の言葉しかしらなんだ!」
小林「ランボーほど己を語ってどもらなかった詩人もあるまい。」


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