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基本的にラッシュの出発点は、正規の医療の原理に則った率直なものだった。
つまり、正規の医療の原理とは、先ず、現実的に自由を制限し落ち着きによって
運命の意識を整理して本当の意味での育成により回復を図る現実と分別と配慮の共同の営みだからである。
(つまり、正規の運命から逸れた悪を意味するが、融通によって必要とされる範囲での悪。)
ゆきず待ったときは、人間誰しも立ち止まって先ず落ち着くところからはじめるし、純粋に一から
出発するのがもっとも純粋に進歩の成果を意識しやすいと言える。
ところが、宗教的に心理学的な意味で、ラッシュの現実的営みのものを運命的なものとして誤解して受け取り、
ラッシュの知性そのものを意思の模範としての権威にしてしまったのである。
(ラッシュの知性は、一貫しているが、ラッシュの意思そのものは、屈折しており矛盾に満ちていて、
治療を必要とする性質のものであるが、しかし、それを運命的な模範としてしまったのである。)
(これでは、人種差別は進行し人体実験にいたるのは無理からぬ事としか言いようがない。)