07/09/10 14:52:45 0
>>385
であるならば、「残酷」という感情が時代、場所によって変わるのと同時に、「残酷な」刑罰(死刑)が、
ある国では廃止され、ある国では存続しているのは、やはりその国それぞれの「残酷」という感情の変化によって起こるということになるのでしょうか?
そうなると国民のその感情を左右するメディアの役割はずいぶん大きいように感じます。
また、逆に国家が「アメと鞭」によって出来ることというのはずいぶん限られている気もしますね。
しかし、そうなるとやはり
>死刑の是非は暴力を独占している国家にとって支配の効率の有利不利の問題なので
>人道・非人道はあまり関係ない。
という意見より、国民感情である残酷であるかどうか、ひいては人道的・非人道的であるということの方が比重が大きいのではないでしょうか?