09/04/10 21:37:07 0
他者性ってこういうい意味だよね?
あんま専門用語は・・・
707:wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU
09/04/10 21:37:48 0
>705
決して主語概念とはなりえない他者性の詰め物にしてエピゴーネン=私。
708:考える名無しさん
09/04/10 21:43:37 0
そう決めるならそれでいいんじゃない?
709:wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU
09/04/10 21:45:28 0
>>705
<私、という感覚は、基礎となるのに不十分な感覚? >
感性の段階から、タブララサ(という段階があるかどうかは問わないで)という架空の基盤上に標準化訓練を施されたレシピ以外のオリジナリティを取り出すのは困難です。
710:考える名無しさん
09/04/10 21:47:45 0
>709
日本語に直して!
ていうか、なんちゅう言葉。
嫌みを言えば、象牙の塔?
711:考える名無しさん
09/04/10 21:49:49 0
失礼!
712:wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU
09/04/10 21:54:22 0
>710
時間/空間という先験的感性や、無条件/無所与のtabla rasaというものは、認識論を記述する概念ですが、あくまでも分析概念にすぎないということを書いているつもりです。
713:考える名無しさん
09/04/10 21:58:00 0
そうねー
それで?
話しが見えないよー
分析概念とは、認識論を構築する要素、という意味?
714:wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU
09/04/10 22:11:23 0
>713
<分析概念とは、認識論を構築する要素、という意味? >
そのようなものがあれば、共有しやすい論を構築しやすいという意味での概念です。
要素aは他の要素bとは独立している(共通項/属性を持たない)という観点からは、要素ではなく、擬似(検証不能のため)共通項を持つことから、「概念」という用語の方が適切だと思います。
715:考える名無しさん
09/04/10 23:03:51 0
すごい厳密やなー。
んー分析の階層の差を感じる
厳密さのレベルが違うなー僕と。
こういう違いがあるとき、どちらの土俵ですもう取るか、
どちらがどちらにあわせるか? という話になるけどなーいっつも。
言ってることは大まかにわかる(ことにする)。
で、それでもやっぱり、話のつながりが見えないというか、
何を訴えてるの?
「私」という感覚は、基礎にはならない、といってるの?
716:考える名無しさん
09/04/11 00:03:31 0
逆に他者から私性を抜いてみたらどうよ
wisteria氏の言ってる事は独我論を反転してみただけの事なんじゃないの
717:考える名無しさん
09/04/11 00:25:03 0
>716
おおざっぱやけどそう思うわ
718:救いを求める者 ◆7UpSOEZchg
09/04/11 01:33:29 0
>>703
確かにその通りであると思う。
ただ、私は「関係」も「在る」と考える。
一方では「もの」があり他方では「関係」がある。
これはいったいどういうことなのか私には分からない。
なぜ「もの」だけではないのか?
結局、プラトンやアリストテレスと同じ二元論に行かざるをえない。
なぜ「もの」と「関係」があるのだろうか?
719:救いを求める者 ◆7UpSOEZchg
09/04/11 01:40:27 0
>>704
実際、何も残らないであろう。
なぜなら、私は他によって定義されるからである。
だが、私がここで悩んでいる「他者」というのは、
そういう他者ではなく(私はそれを現象と呼ぶ)、
物自体なのだ。
720:救いを求める者 ◆7UpSOEZchg
09/04/11 01:45:32 0
>>716>>717
とても面白い分析であると思う。
独我論が「全ては私による現象である」ことと、
「私は全現象によって規定される」こととは表裏一体である。
721:考える名無しさん
09/04/11 09:33:11 0
>718
関係性が「在る」か~
それは人格で把握する自分を絶対視してるからじゃないかな?
理性、論理、人格などを絶対的に思って優先すれば、
それが把握の唯一のものさしなら、それはみんな存在することになるけど。
関係の代表は感情ーー感情は「存在」する?
感情は、相手なし対象なしでは成立しない、関係性の代表みたいなもの。
その本質は、対象なしでは存在し得ない、一見存在のように見えて、まさに関係性そのものじゃないかと思ってる。
ということは、感情を感じる自分は、論理で把握する自分と、同等とみなすことから、出発すべきじゃないかと・・・言うといいすぎかな?
でもこう考えんと、わけがわからんしねー。
問題の切り分けというか、スタート地点の見直しというか
722:考える名無しさん
09/04/11 09:37:15 0
把握する主体である自分と、その自分が思いつく発想は、
「存在感覚」が生み出す発想やん?
前提がそれでは混乱する。
といいつつ、僕もここはきれいに分けられてない。
上の解釈でとりあえず一息ついてるだけ。
723:考える名無しさん
09/04/11 09:55:16 0
>703
ものも関係も「在る」とするなら、
その表現で通すなら、ものも関係も「在る」とするなら、
その表現で通すなら、ものは、存在感は、自分が把握する対象として「在る」
関係は、関係感覚は、自分を内包する~自分を原点につながるものとして把握できる。
関係は、自分本体をその内側に含むものとして存在する、といえるかな??
そういう感覚も感じられるから。
認識による把握を中心に考えれば、存在は把握できるもの。関係は把握できないもの(=感じるもの)
感情がまさにそう。
上に誰か書いてたけど、存在の「唯我論」と、関係の話はちょうど反対だ、と書いてたけど、
存在感覚の、自分が対象を把握しに行く視点その方向性と、
関係感覚の、自分がここにいてその自分が何かとつながっているという、
自分を内包する視点は、正反対。(それは感性、感情中心の視点、考えずに感じてる自分)
でもそれまたそう把握できるじゃないか?というのは、理性や論理優先の自分でい続けることが
習慣になってしまってるから。
そこまで来ると、上に書いた、理性や論理で把握する人格を絶対視する間違いに起因する問題、と思う。
現代科学などの、今は理性があまりに優先の時代やから。
感じることは、考えることより劣っているのか?みたいな。
(えらそうに書いたけど、まだ確固たる自信はない、たぶんこうやろう、という・・)
724:考える名無しさん
09/04/11 10:00:47 0
あかん
文が混乱してる・・
内面に矛盾はないんだけど、うまく言葉におこせない、といいわけ
725:考える名無しさん
09/04/11 10:08:08 0
追加
物理で、粒子と波の2重性の話があるけど、
極限そんなイメージ。
波は関係性だ、って思う?
電子は、物だけど、波の性質も持ってる。
光は波だけど、物の性質も持ってる。
そういう、ある種の繰り込み?というか、妙なイメージが本質と思ってる。
726:wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU
09/04/13 12:55:15 0
>>716
例えば、「死に至る病」の冒頭における「関係」、「関係性」という用語のリフレインは、「私を規定してくれる超越的存在=神」を一度括弧に入れ、私性から外してみたときの、「私が私を記述する際に陥る陥穽」の中の叫び声である、
という解釈も成り立ちます。