05/12/28 02:39:59
極論として、「人に憎悪が無い。」とするのは、不自然であるし、また、その回答は絶対に選んではいけないとも思える。
つまり、人は誰でも、憎悪や狂気に走る。いや、個人的な言い方をさせてもらえば。
「人は、いつでも、どこでも、憎悪して良いし、狂気に走ってもよい。」のである。
(これが「思想の自由」であり、自由というものの表現の一例だとも思う。。。?)
ただし、それが即行動に反映されるか否か。は、他人には、もちろん計りきれないし、本人にさえ実はよく解らないはずだ。
衝動というのは、まったくもって突発的であり、(いや、想定できていたものは衝動的とは言わないので、これは必然的に
突発的なのだが、、、)それこそ、「仕方が無い。」ものである。
結局、この視点から見た哲学とは。いわゆる「生命保険」に近いものだと感じている。
思想を発展させる事によって、人はある程度の、未知に対する予期と予防が施せるだろう。
それによって、人は未知という得体の知れないものに対する、「不安」又は「恐怖」を和らげる事が出来るのだが、
間違えてはならないのは。「それで、全ての災難から逃れられた訳ではない。」という事である。
いくら、考え、あらゆる手段を講じたとしても、未知は依然として未知のままであるし、その得体の知れなさ。も、
やはり、そのままなのである。。。
つづく・・・(うそ。)
オヤスミ。