07/04/13 22:54:20
(1)
自然発生的に自分自身が誕生する訳じゃないんだよ。
「父がいる。母がいる。そしてタロウがここにいる。」
ウルトラマンタロウの歌の歌詞(一部省略)は取り方によっては深い。
で、独りで勝手に育つ訳じゃないんだ。育つことができるわけがないんだ。
例え孤児であったとしても、自意識が備わるまでには何か・誰かの世話になってるはずだ。
んで、自由意思を自殺に持ってくるのは都合のいい解釈だよ。行為者自身の選択にしか依存しないわけだろ。
選択肢が“自殺”しかないのなら、それは本当に自由か?“死”を臨んでいるのはその観念に囚われているからだろう。
安楽死なんてのもあるよ。尊厳死っていうのかな。でもこれは、特殊な場合だろう。
でもやっぱり死を受け入れた人の残された遺族は、心底喜べないだろ。本当は生きていて欲しかったはずだろ。
身体が健康な人間が安楽死なんてのを臨むか? 臨んだとしたら狂気だ。狂気という観念だか信念だか知らないけど何かしらの念に囚われているんだろ。
それが哲学的ってヤツだと思うか? それとも理解の範囲を超えているものは全て哲学的か?
曖昧なところで微妙なバランス・関係のなかで生きてるわけだ。それは人間との間にも、自然との間にもある。草木が自殺するか? 虫や猿が自殺するか?
レミングの集団自殺だってエサを探す目的のための副次的な結果かも知れないし。そこに在るのは生きようとする働きだけだろ。ましてや“自分を殺す”
という概念は人以外には存在しないぞきっと。動物と話せるなら聞いてみたい。局所的に種族が異常発生したため、種の保存のための行動かも知れない。
そうすることで予想できる範囲確実に種を残せる。それも一部の種だろう。
続く