05/09/07 12:10:46
やはりそこにあるのは「他者」なのだ。自分の人生観や物の見方感じ方が、自分の
頭の中だけで成長してきたと思ってるのか?そんなことはあり得ない。また、ラカン
を引用するが、他者は象徴界というところに、言葉の形で棲み続けている。(別に
俺はラカニアンじゃないが、欲望に関してはよく説明出来ていると思うから引用して
いる。また、ラカンを批判したドゥルーズ、ガタリ、デリダにしても(ソーカルは置いとい
てw)この部分の批判はしていない。)その象徴界から意識の上にポコポコ上って
くるものによって、人生観だったり、感じ方、物の見方、あるいは理性となって形成
されることになる。
幸福という概念自体が他者から押しつけられたものなんだ。幸福にならなきゃいけ
ないっていう強迫神経症だ。それを満たすには、他者から認められることが必要
なんだ。だから、他者からの羨望なんだ。本当の他人からの羨望もそうだが、
メタレヴェルでの自己の中の他者からの羨望でもよい。で、それは得られるのか?
いーや。もともと存在しないものを追いかけているんだ。なんだかよく分からないもの
を追求しているんだ。そんなもの手にはいるわけがない。永遠に手に入らない物を
追いかけるようにし向けられている。手に入らない物を手にしようとするエネルギーに
よって社会が成り立っているんだ。