09/05/08 23:02:40 0
”狂信する、しよう”って動詞はないんじゃない?
「あの人は、○○を狂信している」
っていうふうに、自分とは別の対象を指して使うんじゃないかな。
すごく冷静に自分を見れるやつがいるなら、
「自分は今、○○に狂信状態だ。」
なんてことがあるかもしれないけど、
そうやって冷静に自分を見られている限り、もはや”狂信”状態とは言えないような。
【狂信】
正常な判断力を失うほどの、強烈な信仰。
また、特定の考え方に強く支配されている状態。
(goo国語辞典より)
狂信状態とは、ある事柄を信じて疑わないこと、か。
ポイントは、個々人や社会、組織などが抱えるあらゆる世界観も、
狂信状態の可能性があるということじゃない?
未だ一般に知られていないこと(科学的事実とか)もままあるだろうし、
他人の経験している世界が、とても素晴らしいものなのかもしれない。
今の自分は、ただの知らぬが仏状態なのかも、だよ。
480:考える名無しさん
09/08/26 14:55:47 0
生まれてくるのはしかたがないにしても
生きていたくも無い人の安楽死制度すらない人間の世界で、
究極の至福など満たす資格は未だ人間には無い。
481:考える名無しさん
09/09/20 22:32:39 O
今の人間形態が今の環境に最適で適応進化しないから今のままで自然なのでわ?
482:考える名無しさん
09/09/20 23:05:19 0
一両具足 = 平野 岡本 松尾 伊藤英明 町田 入り江
483:考える名無しさん
09/09/20 23:28:03 O
一両具足の歴史って長いのな。おれが知ったのは山之内和豊と大江健三郎の「万延元年フットボール」あとはあれだ明治期以降の財閥系の話とか音大とかの漫画とかから
484:考える名無しさん
09/09/22 22:33:53 0
俺は生きていることが究極の至福かな
生きている以上の幸せはないよ
命あっての人生だからな
485:考える名無しさん
09/12/27 18:43:26 O
>>476
全くもって同意。
自分の中心が誰かに乱されるほど不幸な事はないですよね。
逆に言えばどんな事があっても
自分の中心(自分が決めた規範とか哲学)さえブレなければ何があっても大丈夫だし、幸せと感じられる。