10/03/21 07:19:13 0
「天下り」っていうか、三島クラスの大学教授の場合は「引き抜かれた」
と言うべきでしょ。阪大は62才定年だったんだし、今は誰でも再就職できる
わけではない。定年で自動的に役職に就けるような官僚の「天下り」と
同等にみるのは不適切。
520:考える名無しさん
10/03/22 10:27:44 0
>>519
「天下り」を「引き抜かれた」と、言い換えるのは良い案ですね。
一昔前は、官僚が公益法人とかに「引き抜かれた」わけですが、
最近では難しくなってきたので、大学教授に「引き抜かれる」のが増えてますもんね。
話が、三島憲一教授のベンヤミン解釈に戻るのですが、
上のほうで出てきた「三島教授の解釈は文学的視点が欠けているので良くない」
という見解についてはどう考えたらいいのでしょうか?
教えてくださる方がおられると助かるのですが。
521:考える名無しさん
10/03/24 02:53:36 O
三島さんてのは、その本性においては文学的感性の方が過剰なような気がするな。?それを、これまた過剰性においてはやや劣るかもしれないものの、論理的意志が一方で呵責なく知的に表現を統御しているような・・・