04/07/30 07:08
俺は自分を駄目だとか、優れているとか自分を一つの枠組みに入れ続ける事に疲れた。
わざわざ、自分と言う存在を既存した概念の中に取り込めさせて。
そのようにして確立した自分に甘えていたのだった。
俺と言う基盤は俺が思っていたのよりも自由ではなく。
又、より拘束されているようなモノではなかった。
どれをとっても中途半端な形しか保っていない。極力、矛盾するように造られた存在。
例えば、万物には一番大きな矛盾が存在している。
単純な話、死と生との相関関係だ。その上で仮定として輪廻という概念をおくと。
生まれては死んでいき、死んでは生まれ変わる。
この場合、生と死は同じ存在であり合一しているように見える。
でも、俺らは通常そのように死と生を捉える事ができるのだろうか?
通常はそうは捉えていないように思える、生と死は完全に独立しあった現象であり。
生と死は対岸とその対岸のような関係であり、そのような関係であるという前提条件で俺らは死を恐怖する。
なぜなら、俺らは死を一つの遥か彼方、又は自分の背中。まあ、それは個人の考え方に依存するといえども。
その死と言う対岸は俺らが行った事の無い世界であり、行ってしまったら帰って来れない永遠の彼岸なのだ。
と俺らは強く信じている。輪廻観であればすぐ帰ってくるものと考えられているから。
死というモノに対しての恐怖はもしかしたらないのかもしれない。だけど、分からない。
物事はより分からなく、より説明できない存在ほど矛盾していく。
そうやって、俺が造った既存した概念を吐いては矛盾していく。
既存したものから逃げたがっているのにな。