07/03/24 14:16:57 d1DxA18O BE:238122825-2BP(1005)
わが国はでは、2つの大きな新たな事象が時代の流れとしてここ半世紀続いている。
ひとつは
・国民の革新(左)化
もうひとつは
・男性蔑視
である。
男性蔑視に関しては、さまざまな就職、資格、進学試験においてあらゆる形で女性を優遇し、
本来通るべき男性が落ちている横で筆記で1割以上低い点数だった女性がのこのこと通っている。
入社・入学した後でも男女の扱いの違いは歴然としたものである。多くの男性は「洗脳」され自覚できないのだから。
ここは男女板ではないので、これについて語っても仕方がない。そう、ここで重要なのが、「洗脳」である。
よく考えてみよう。いくら企業(上司)や大学(教授)、マスコミが男性差別をしているとはいえ、
彼らが突然同時発生的にこういったことをするだろうか?否である。
私はその根源を「教育」に認める。なぜかというと、
教育現場は私の知る中でもっとも男性差別の盛んな現場のひとつでありながら、民衆の精神性を創造する場であるからである。
文化や民度、そして風俗に対する教育の影響力は絶大である。
それではなぜ、今の日本の教師陣は文科省の官僚の意思を超える勢いで女権拡大、男性蔑視を推進するのか?
その答えはいうまでもない。それが美徳だからであり、その"美徳"とは多くの日本人が戦後染まってきた革新的理想にすぎない。
日本では「まともな大人」がみな左翼的見解を持つようになり、「平和・平等」を言われるとみな黙り込んでしまうようになった。
逆にアメリカでは「まともな大人」がみな右翼的見解を持つようになり「愛国・忠君」を言われると黙り込んでしまうようになった・
この、ゆがんだ革新的美徳に基づいて日本の女性解放は進んできた。
在日朝鮮人、同和問題にも現れているようにこのゆがんだ革新的美徳は各方面にさまざまな悪影響を与えている。
なぜ、後ろ盾となるソ連が崩壊し、日教組の組織率が下がった今でもこの革新的美徳はより拍車がかかり、社会においては加速度的に勢力を拡大しているのか?
これについて議論してみたいと思う。