06/08/03 00:08:14
そうですね由緒を直したところや相殿に元の祭神を再び奉り直したところは、
計算に入ってませんでしたから実際はもう少し少なくなっているかもしれません。
数字は机の上の漠然とした数字です。こつこつ神社を巡る時間も懐の余裕もありませんから、
他人様のお調べになった本を、30冊程読み、地域性と矛盾点を新たに調べなおして算出したものです。
鵜呑みにできる由緒はなかなか出会えませんね。
高麗系神社は
あかるひめを追ってきた後、あかるひめにはふられたものの、
農耕や商売を広めた高句麗の王子(すいません今、名前出ません)を奉る神社が一番多いと思います。
高麗王・高麗大神(コマオウ・コマタイシン)
春日の比売神はほとんど天児屋根の后ですが、
社殿により布都主の后である場合もありこの比売神は私見ですが例の女神です。
応神(八幡)についてはまだ考察中でなんともいえませんが、
天神と相殿の比売神は、例の女神でしょう、と言うか、
平安以前に鎮座した天神は十中八九までスクナヒコナです。
鎌倉以後鎮座のの応神社は応神天皇でしょうが、それ以前は、スサノオ説と事代主説があり
私は事代主説を取りたいのですがスサノオ説を押しておられる方のほうが多いですね。