01/07/05 00:02
『書紀』の一書の伝えでは、スサノオは子・イタケルを従えて、新羅の曾尸茂利(ソシモリ)の地に降り、そこから船で日本の紀伊に渡っている。また別の一書ではスサノオが熊成峯(クマナリノタケ)から根の国に渡ったとも伝えられる。このソシモリとクマナリは朝鮮の地名だとされている。
ソシモリを、韓語のSopur(都城)と結びつけて解釈している学者もいる。
また熊成峯については、近年、朝鮮の地名久麻那利だとする説もある。任那の熊川や百済の都の熊津は古くは久麻那利と呼ばれていた。
スサノオと朝鮮との関係は古くから意識されていたらしく、すでに『古事記』にこの神の子孫として、山城の渡来氏族秦氏が奉じていた韓神や曾富利神がいると記され、『書紀』ではスサノオは朝鮮製の剣である蛇韓鋤剣を持つと記されている。また『備後国風土記』逸文に見える蘇民将来伝説では、疫病をもたらす蕃神・武塔神や祇園・牛頭天王がこの神と同一視されている。
スサノオがもとは新羅の蕃神(外国から渡来した神)とする説は、江戸時代から主張されており、新羅第二代王・南解王次次雄がそれだといわれている。次次雄は、慈充とも表現され「巫覡」を意味するsu-sungという語と同系のものらしい。
またスサノオは普通、素戔鳴とか須佐雄とか表記されるが、これを読もうとしたときスサウまたはスサヲとしか読めないものもある。日本の古語の漢字表記法では、ngの音をウで表すのが建て前であった。従ってもとの発音がsu-sangだとすれば、su-sungとは極めて類似した発音となる。ある学者はこれを一歩すすめて、スサノオを朝鮮系の巫覡の奉じる神とし、渡来系の「韓鍛冶部」に関連づけている。これが出雲に土着して須佐の神になったというのだ。
この神の蕃神的要素を否定できないが、この神の前身をまったくの蕃神だとすることに疑問をいだく学者もいる。彼らはスサノオと韓土の結びつきを5、6世紀ごろ韓土と往復した海人の活動によって神話に反映したと考えている。