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鎌倉時代に発明された賎民への蔑称「穢多」の頭・弾左衛門は、その賎民達を統率していました。
その統率していた賎民達のプロフィールは、治承四年(1180年)源頼朝が秦武虎(弾左衛門)に
与えたと言われている「頼朝公の御朱印」に記述されています。それは、六代目弾左衛門により、
賎民支配の正当性を訴えるため江戸町奉行に提出されたものです。
頼朝公の御朱印
長吏、座頭、舞舞、猿楽、陰陽師、壁塗、土鍋、鋳物師、辻目盲、非人、猿引、鉢たたき、弦差、
石切、土器師、放下、笠縫、渡守、山守、青屋、坪立、筆結、墨師、関守、鐘打、獅子舞、箕作、
傀儡師、傾城屋
右之外の者数多これ有之是皆長吏は其上たるべし盗賊之輩は長吏をして可行之湯屋風呂屋傾城屋の
下たるべし人形舞は廿八番下たるべし
治承四年庚子年九月日 鎌倉長吏
弾左衛門頼兼へ
頼朝御判
この御朱印書の信憑性は、風呂屋は鎌倉時代にはなく、江戸時代に開発されたものであることから、
疑われています。