01/02/27 14:29
119 名前:考える名無しさん投稿日:2001/02/14(水) 15:52
結局「民族の定義」をつきつめていくと、
「ある集団に帰属意識を持つ人間の集団」
ということになる。
つまり、その人の意識がすべてであって、
宗教とか言語とか生活様式とか血筋は本質的には関係がない。
例えば、
コーカソイドとモンゴロイドの間に産まれた女性と
オーストラロイドとネグロイドの間に産まれた男性、の間に
ブラジルで産まれた人がいて、世界中をまわったあげく、
イェルサレムに住んでる熱心な仏教とがいるとしよう。
しかし、なぜか彼が自分のことを日本民族だと思っているとしよう。
彼はどの民族なのか? 当然、日本民族である。
130 名前:119投稿日:2001/02/17(土) 21:10
〔結局「民族の定義」をつきつめていくと、
「ある集団に帰属意識を持つ人間の集団」ということになる。〕
といったけど、そもそも「ある集団」とは何か、と聞かれたら、
やはり、「ある集団に帰属意識を持つ人間の集団」と答えるしかない。
ここで、民族の定義を「民族意識を持つ人の集団」と言い換えてみると、
民族の定義が根本的に循環していることがわかる。
だから、宗教とか言語とか血統とかを持ってきて
うまく説明しようとするんだけど、
119の自称日本民族人のように(あれは極端だけど)
さまざまな複合要素によって、民族を決定すると思われていた
要素が根拠を失っていく。
もともと個人には、その個人特有の背景(アイデンティティ)があって、
宗教・言語・血筋などの要素だけで人間を分類することなど不可能であるはず。
そうして民族という概念を掘り下げると、最後に残った根拠は
「意識」しかなくなる。つまり「理由は何にせよ、私は~民族である」
という意識である。
何故その人がその民族の帰属意識を持っているのか、ということに関しては、
その人のアイデンティティが全面的に関係してくる。
(例の自称日本民族人にも相応の理由があったはずである。)
現在の地球で「民族」が永久不変のごとく語られるのは、それらの構成員の
アイデンティティが偶然にも類似していたからであり、
>129
>ある人が特定の民族の一員と認められるには
>他人からも「彼は●●民族である」とみなされる必要があるんじゃないか?
というのは、相互のアイデンティティに対する共感が
民族意識の根幹であることからも正しい。
逆に言えば、相互の共感による作用から、それぞれの民族の境界線は
常に曖昧である。