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太陽神=天照大神は古事記成立に至ってはじめてその性別が決定したと思われる。
根拠はもちろん「天孫降臨」の不自然さ。
日本の女帝としては最大限権力を握った鵜野讃良皇女=持統女帝は孫に皇位を継承している。「天孫降臨」の記述はこれを象徴している。
この時天照の息子が降臨を拒否したが、持統女帝の息子である草壁皇子も確かに夭折して皇位を継いでいない。
三貴神のモデルは葛城皇子と越智姫の間の三人の子供、すなはち大田皇女、鵜野讃良皇女、建皇子の三人だろう。
大田皇女は夭折、建皇子は小児にして亡くなっている。
乱暴な須佐之男は恐らく病弱であった建皇子のあらまほしき姿であろう。なお、須佐之男と並ぶ暴力的英雄である大和武尊に関してもいくつもの英雄逸話を「タケル」の名のもとに集
約し、建皇子の成長した姿をイメージしていると考える学者もいる。
余談ながら、恐らく彼が健在ならば壬申の乱も起こらなかったであろう。
なお、天武王朝は「簒奪者」として扱われ、皇室の菩提所である泉湧寺には祭られていない。それにも関わらず、天武王朝時代に成立し、いわば天武王朝の都合の良いように「ねつ造
された」歴史物語である「古事記・日本書紀」を皇統を記した正統な歴史書として扱ってきたのは皮肉である。