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弥生時代なる米作のブームのそもそもの発端は何から?(その二)
しかしながら今日の日本語をながめると文法構造は膠着語(ウラル・アルタイ
語)に近い。音韻構造は単語の末尾が、母音(aiueo)で終わる開音節構造
である。これはポリネシアやマレー語の特徴である。一方、↑レス(その一)で
語られた”亡楚”なる揚子江流域の楚人たちは文法的にタイ語に近いとされ、
屈折語文法であり(漢民族も屈折語文法)、音韻構造は子音(母音以外のアルファ
ベット)が単語の末尾に来る閉音節構造の言語である。すなわち、今日の日本語は
弥生の稲作民族移動の原因を揚子江流域に求めた場合、江南地方の言語の影響を
極めて僅少にしか受けていないと断言できるのである。言語としては今日の日本語
は縄文時代とそんなに変わっていないのかも知れない。つまり、縄文人の人口の方が
新来の弥生人よりはるかに上回っており、新参者たちを完全に同化吸収したと言うの
が真相なのだ。
さて、この開音節(単語の末尾が母音で終わる)、膠着語文法構造の日本語のコアを
成す民族は何人か?それは未だ不明だ。しかし、言語学の大家、学習院大学名誉教授
大野晋氏はそれをインドのタミル語であると断定しておられる。タミル人は、インダス
文明を営んでいたインド原住民だ。だが、ここに、そのインダス文明はバビロニアの
開祖、シュメル人がインドに移住して営んだインダス文明=シュメルの派生バージョ
ン説と言う学説が、存在するのである。そうして大野氏曰くシュメル人の言語は文法
構造は日本語と同じ膠着語(ウラル・アルタイ系)なのだそうだ。
すなわち、ユダヤ人来訪以前、日本人のDNAには、インド経由でチグリス・ユーフ
ラテス河の文明を形成したシュメル人のDNAが継承されており、日本人自身が、
オリエント地方との深い因縁を持っている可能性は荒唐無稽では、ないのである。
ユダヤ人の日本への古代の認識もそれが基層になっての「目的地・日本(倭・蓬莱)
列島」だったと言う仮説さえ真剣に考慮されるべきなのである。