08/04/28 14:00:37
>>157
神武皇后イスケヨリヒメが共立初代邪馬台国女王であり、次はモモソヒメあたりで、
これが魏志倭人伝の卑弥呼であろうが、イスケヨリヒメの母、セヤタタラ姫、これは
どうも銅鏃・丹塗矢を依り代としている。銅鏃、ゴリュトス(矢筒を兼ねた弓入れ)、
複合弓とあわせてスキタイ(流鏑馬民族)の武具だが、
URLリンク(www.kyoto-np.co.jp)
URLリンク(www.blueridge.edisc.jp)
URLリンク(bp2.blogger.com)
樹下戦士
URLリンク(bp0.blogger.com)
これに楯の飾、巴形銅器、ゴリュトスを筒型銅器、そして銅鏃、銅鏃丹塗矢が勢夜多々
良媛のセヤ・・・スキタイ武具の青銅器化だ。
203:月光仮面
08/04/28 14:52:11
つまり、神武以前が倭国乱、高地性集落(テル、デペ、フユク、山城)の時代であり、
神武はこれを統一した勢力のシンボルであろう。鏡を祀る巨大女王古墳。今度徳島県
の卑弥呼の墓を放映するというが、神武の皇后の出は淀川摂津三嶋モゾクイと言う辺りで
現在の高槻市辺りかなー。徳島県にいてもおかしくないけどな。
204:月光仮面
08/04/28 15:01:52
おそらくスキタイ文化は高句麗、鮮卑方面で活躍中であり、百済、新羅、倭にとって
その南下は国益にそぐわなかったのであろう。スサノオが馬を入れることに対して
アマテラスが禁じている。スキタイ風青銅器はこうした国際環境下の文化的、時代の
先取り的風潮であろうか。
205:月光仮面
08/04/28 17:12:05
【今日のところの世界史と日本史】
ダウール/羌がボタイで大型馬、セイマトゥルビノ錫青銅器、チャリオットを得て、中近東を
席巻、ヒクソス王朝を開いた後、ボタイ方面で騎乗、騎射技術を得て内蒙古でオルドス
文化、黄河上流で周を起こした。スキタイ文化誕生は穆天子伝奇に残り、秦、匈奴経由
最終的には弥生末期の日本に入る。
206:月光仮面
08/04/29 12:37:15
銅鏃弓、複合短弓、長距離馬、高速騎乗長距離狙撃騎馬軍団、七柱神パンテオン神話
体系はアルタイ・アルジャン・パジリクにおいて誕生、たちまちにユーラシアを燎原の火
の如く駆け巡り、金海、筑紫、出雲、阿波、河内、大和、伊勢、尾張へと普及、更には
遠く関東、東北にまで影響が及んだようである。記紀、道教、北斗信仰、七福神にその
名残が残る。コーカサス・オセチアとか、アブラハム教の天使とか、エズィード教、
拝火教、小河墓の墓標に残る7のシンボルはスキタイに先行する時代から7を重視する文
化のあったことを意味しているが、ヒクソスを撤退してスキタイに入ったダウール/西羌/
南羌はこうした文化の全てを列島に持ち込んだのであって、スキタイパンテオンの解明
は神名の行列方程式を解くような煩雑さを伴う。例えば富彦、登美彦、大黒天、アマテ
ラス、肥後の火焚き乙女に厨の神の属性が残ったりしているのである。
207:月光仮面
08/04/29 12:42:59
射程600メートルに達するスキタイの射撃技術に日本が達するのは戦後の自衛隊
ライフル射撃まで待たねばならず、この間は専ら流鏑馬で技術を磨いたようである。
208:月光仮面
08/04/30 10:35:05
URLリンク(yudukivg.hp.infoseek.co.jp)
「日本軍の戦法は、まず戦う前に小鏑矢を放ち、名乗りをあげて戦う一騎打ちが慣わし
でした。元軍はこれを笑い、かわりに「てつはう(鉄砲)」という爆雷を投げつけ、毒やりを
放ち集団戦法で日本軍を圧倒しました。九州御家人の奮闘も及ばず、博多の各所に火
を放たれ、箱崎八幡宮も焼け落ち、大宰府の水城まで退きました。」
スキタイとはこの一騎打ちから無名戦士の集団決戦への転換であり、おそらくは、
周の穆王時代には完成し、鏑矢で父を射殺す冒頓単于を神格化したのが松尾(冒頓王)
大社の鳴鏑の神であろうが、日本は観念論的な矢筒、楯、丹塗矢の物神崇拝に終わって
いたということが、騎馬民族論に対する一つの回答となるのではあるまいか。
弥生文化の取得における縄文人の基本姿勢にも新技術導入が主であり、人的交流は
交易等を通して広がった面が大きかったことを物語るのではないかと思う。ダウール、
戎型YDNAの多いのは繁殖力の強さにも依るのでは。
209:月光仮面
08/04/30 15:31:20
>>206
ヘロドトスによるスキタイ7柱神のギリシャ神への比定と近そうな七福神
1)Tabiti ヘスティアー 大黒天
2)Papay ゼウス 寿老人
3)Api ガイア *
4)Hoytosir** アポロン 福禄寿
Fagimasada ポセイドン 恵比須**
5)Artimpasa アプロディーテー/ウーラノス 弁才天
6)(スキタイ名不詳) ヘラクレス 布袋
7)(スキタイ名不詳) アレース 毘沙門天
*大黒天に大物主として2役
**コトシロヌシと似ているが、Fagimasadaは7柱神の外枠で、王族スキタイ用。
210:月光仮面
08/04/30 15:49:32
出雲国造神賀詞に「事代主命の御魂を宇奈提に坐せ」とあるが、「日本書紀に、壬申の
乱の時、「われは高市社にいる。名は事代主神」とし、顕わした予言は的中、天武天皇
から勝利に功ありとされたとある。」
宇奈提と言うのは雲梯、天国へのタラップであり、出雲の高殿のように国の中心に据え
たようである。
URLリンク(kamnavi.jp)
天高市神社の祭神は、品陀別命、息長帶姫命、比賣神であり、場所的には
URLリンク(www.mapion.co.jp)
畝傍の土は住吉神社に運ばれる神聖なもので、伊勢の雲出川の砂がS字甕に使用され
ることは、雲出も宇奈提/雲梯であろう。神武が天香具山の土で甍を焼いたというのと似
ている。天武はコトシロヌシをポセイドン、ホイトシロと認識していたのかも。ちなみに、
アヴァリス、金海、河俣、雲出川は同じ用に河の合流、分岐点にあり、それを重視する
のはユーラシア・ノマディック・パストラリストの基本行動パターンであろう。
211:月光仮面
08/04/30 16:26:46
>>169 楯の飾としての巴形銅器であるが、「コストロムスカヤは、南ロシア、クバン川
流域でも古いクルガンのひとつで、時期は紀元前7~6世紀頃に比定されている。」
URLリンク(upload.wikimedia.org)
このクルガンは周の穆王時代のスキタイ文化を極めて明確に表しており、まるで、
フグサシのように丸く配列される殉葬の馬は穆王のような当時の王の比類ない権力を
表すのであろうが、これが上記の巴形銅器のモチーフとなったこともあろう。
212:月光仮面
08/05/02 16:45:16
「古代ユーラシアにおける東方型冶金は西方型冶金より出現は遅かったが、それとは
独立したものであった。「セイマトゥルビノ」冶金はこの種の最初のものであり、その影響
の主要な方向は西方に向けられていた。カラスク冶金はこの後の前2000年紀後半に
出現するが、これは中国文化に向けられていた。西は黒海北岸から東は満州に到る
まで巨大なユーラシアステップ・ベルト地帯がその千年間に形成され、2種の冶金の
架け橋となった。」
URLリンク(www.kaogu.cn)
213:月光仮面
08/05/02 16:46:12
「前4千年紀末に遊牧民族が大規模で戦闘的な移動を行った総合的であり、且つ、強力
な証拠が出現する。前2000年紀中葉のいわゆる「セイマ・トゥルビノ」現象はこうしたこと
の衝撃的な一例である。これは、アルタイ地方の特定民族全体がステップ地帯北辺沿
いに欧州南東に急激で、戦闘的移動を行ったことを示す一連の考古学的発掘現場が
物語っている。こうした移動は、前第一、第二千年紀の大きな東方からの侵入を
物語る。軍事的拡張に対する大きな障害がないことはユーラシア内陸部を、自然と、
軍事史、そして、それゆえに政治史の一環に変えるのである。」
URLリンク(www.uhpress.hawaii.edu)
デービッド・クリスチャン(歴史学者)
URLリンク(en.wikipedia.org)(historian)
214:月光仮面
08/05/02 16:53:32
カラスク文化人はモンゴロイド、ヒクソスもモンゴロイド、フルリ語は羌の言葉と
同様の能格言語であり、フルリ人は後にバクトリアに撤退している。それは秦氏の
興る甘粛の彼方である。
215:月光仮面
08/05/03 08:51:28
私はセイマトゥルビノ・ホライゾンはダウール・羌遺伝子を持つ玉造窯業鉱業集団の
アンドローノヴォ文化圏を通過して中近東に向かう往路時代のものであり、この時代に
シンタシュタ・アルカイム地域において、馬具並びに祭祀用二輪車の鋳造技術を完成
させ、中近東、特にエジプトにおいてヒクソスとして戦闘二輪車を普及させたことを意味し、
カラスク・ホライゾンとは、それより東寄りの、騎馬民族にまで成長する機動性を持つに
到る、中近東を撤退して中国と内モンゴル地域に展開する文化であったのではないかと
考えている。
216:月光仮面
08/05/03 09:02:10
ダウール・羌遺伝子というのは、
URLリンク(en.wikipedia.org)
↑これがダウール型であり、玉造系、
URLリンク(en.wikipedia.org)
↑これが羌系であり、天孫系
URLリンク(www.isogg.org)
URLリンク(www.isogg.org)
ではないかということなんだが、東アジアのノンピストイヤリング(NPE)の起源と拡散
「日本と台湾のNPEを比較すると、その違いが大きく浮かびあがる。すなわち、日本
(約7000~5000年前)は非ロクロ系で、これまでも日本の研究者が指摘しているように
北方系の特徴を示す。一方、台湾(南中国からベトナムまでの地域を含む-約3500~
2500年前)はロクロ系で、リングと受軸器とがセットとなる。」
URLリンク(www.nihonkaigaku.org)
この玉造系の管錐穿孔
URLリンク(www.geocities.jp)
技術はアマゾン・モホスにおいて隼人紋、遺伝子、骨の形質と共に出現している。
217:天之御名無主
08/05/04 10:07:39
上げ
218:月光仮面
08/05/04 11:01:08
↓鳥型陣形
安本美典氏 邪馬台国東遷説 神話のなかの地名
URLリンク(yamatai.cside.com)
URLリンク(en.wikipedia.org)
宇奈提/雲梯・・・太陽祭祀用の構想タラップではないか。
219:月光仮面
08/05/04 11:03:27
↑高層タラップの間違い。
いずれにせよ移動遊牧民的であり、スキタイ神話とも軌を一にしているようだ。
220:月光仮面
08/05/04 11:09:16
ヤマトトトビモモソヒメというのはエベンキ語のLamutが馬飼い族、鹿飼い族に対する
海東族という意味であるし、飛ぶ鳥のアスカ、百磯城等を勘案すると連合艦隊司令長官
の高い位置、高御座というのか、から太陽を拝んだということになろうか。
221:月光仮面
08/05/04 16:09:28
BC4200-4000年頃ドナウ河Karanovo VIを崩壊に導いた東方騎馬民族には優秀な玉造
技術があり、↓これは日本にも御物石器として残っている。
URLリンク(users.hartwick.edu)
この民族がセイマトゥルビノ文化人としてウラルシンタシュタにおいて手がけるのは↓
非常に手の込んだロストワックス青銅二輪車で、。
URLリンク(web.comhem.se)
これがエジプトに入ると実用的戦闘二輪車となる。
URLリンク(www.touregypt.net)
彼らの技術の元は玉造技術であり、二里頭で発見されたトルコ石の装飾品は彼らが
同時に仰韶文明にも影響を与えていたことを物語る。
URLリンク(www.asyura2.com)
この匠の技の淵源は >>216 興隆窪文明にあり、これは縄文の技術と深く関係して
いると考えられる。
222:月光仮面
08/05/04 16:28:25
>>216
小河墓遺跡で衝撃的であったのは牛の血が乾くまでに胡楊を製材し、狂いのない棺を
製作できる木工技術であった。しかも角は滑らかに研磨されていた。鉄器を使用した
ような形跡はなかった。遺骸には崑崙山脈の蛇紋石の装飾品があった。つまり、
URLリンク(www.nihonkaigaku.org)
ここで指摘されている通り、玉造技術集団はこの頃チベット・青海・雲南に向かって
移動を始めていたのだと考えられる。