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英語版Wiki---アジア人、特にペルシャ人はアジアのスキタイ人を「サカ」と呼ぶ。南ア
ジアでは「サカ」が転じて「Shaka」となる。ヘロドトスは彼らをスキタイ人と呼び、「Sacae
すなわちスキタイはズボンをはき、ピンと立ったとんがり帽子をかぶる。自国特産の弓と
短剣を持ち、更に、sagarisという戦闘斧を持っていた。彼らの実体はAmyrgian(西部)
スキタイ人なるも、ペルシャ人はSacaeと呼んだが、これはスキタイの総称がそうであっ
たからである。」と記している。---元々は南ウクライナ平原ではなく、カザフ草原の
アラル海北岸の出身とも言われている。紀元前9世紀頃モンゴル高原に出現する鹿の
文様が施された「鹿石」がスキタイの起源と関係があるとも。
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パストラル・ノマディズム(牧畜移動民族)の中心地アルジャン、
URLリンク(www.archatlas.dept.shef.ac.uk)
URLリンク(www.archatlas.dept.shef.ac.uk)
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巴形銅器は楯の飾り、王権の象徴として、ここからサクソン、バイキング、匈奴、倭面
土国へと流れたのだろう。