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しからば、伊都国の三雲・井原鑓溝・平原での方格規矩鏡・舶載内行花文鏡・国産大型
内行花文鏡の蓄積は何を表すのかといえば、これは後漢書、魏志倭人伝で倭人国の
北岸とされている拘邪韓國から倭の伊都国、奴国(遠賀川流域香春方面も含む)への
鉱業・冶金に関する祭祀システムを国内的にリロケーションしたことであり、伊都国の
倭面土国帥升等によって始められたのであろうが、北方の漢四郡、高句麗、鮮卑等の
圧力に備えて前線を後退させる戦略で、大和への立地に際してもこうした長期的な読み
があったのかもしれない。