08/04/07 15:47:54
>>118-120
前漢、中国では西王母思想が始まり、後漢には仏教が伝来。九州平原では女王が
曼荼羅のシャンバラのような方格規矩鏡、スーリャヤントラのような内行花文鏡と共に
葬られ、瀬戸内海を島の女王が東進し、大和にいたる。こうした時代精神の背後は:
「現在は嘉絨(Jiarong)*1と呼ばれるこの地域の語源はチベット語の“rGyalmorong”で
女王の谷を意味します。この地域には古代から多くの民族が移住して先住民と融合しま
した。紀元前後には隋書(隋時代581~618年の歴史書)等に女国の名を残したシャン
シュン (チベット西部)出身の一族がボン教と共に移住して来ました。この一族は優れた
採金技術を持っていて、多くの金を産出した女王谷で繁栄し、唐書(唐時代618~907年
の歴史書)等に東女国の名を残しました。 」
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失われた地平線、その彼方にあるシャングリラ
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窓から見上げれば
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魏帝はおそらく卑弥呼をこうしたものと↓想像し、払底していた青銅鏡を献じた。
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しかし、ほら貝は修験道に通じるし、
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この文化もオークネフ文化を継承している↓
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