08/04/04 16:34:21
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『往古この岩上に如意宝珠あり、夜ごとに異光遥かに海上を照らす、しかるに異国人来
たりてこの山に登り、寺僧に向かって、我に金あり、汝これを与えるにより、この大石を
我に与えよと、寺僧それに答え、売ることはできぬがこの大石を買いて何にするかとあ
やしむに、異国人は、この僧が岩上に宝石のあるを知らぬことを確かめ、心中欣び、ひ
そかにこの大石に登り美玉を奪い去りたり』と。
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シャンシュン王国
シャンシュン王国(紀元前 - 643年)は西チベットのカイラス山麓一帯に存在した国。紀
元前からあったと見られる。カイラス山はヤルンツァンポ川及びインダス川の源流にあ
たり、チベット在来宗教ボン教の聖山でもある。首都はキュンルン・ングルカル(ングー
カル、ンゥルカル、白銀城とも)。チベット・ビルマ語派のシャンシュン語が使われてい
た。(シャンシュン語について詳しいことは分かっておらず、現在国立民族博物館などで
研究中である[1]。)隋書の女国と考えられ、そこには山上の城に住まう女王の統べる戸
数1万の国で、586年に隋に使者を送ったと書かれているが、確証は無い。また、旧唐
書の東女国とも考える人もいる。(ただし東女国は羅刹国を指すこともある。)シャンシュ
ン王国の最後の国王リミギャ(リク・ミリャとも)は吐蕃王朝の王ソンツェンガンポにより
暗殺され、643年に吐蕃王朝に併合された。
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