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したがって山の民らの持ちものは多くは軽量でしかも価値の高いものが多かった。
その極端な場合が無形の文化、つまり芸能や信仰だったのである。
そうして中世の社会ではそれらは平地の農民から喜んで迎えられ、対等の代価を支払われることができたわけである。
一方で山民の立場からすれば、彼らの生産物は焼畑の作物を除いては、すべて交換してはじめて価値を生ずる。
木材にしても全属にしても、また芸能や信仰にしてもそうであった。
だから、近世の平地人がそれらの価値を認めなくなったり、代用品を生産するようになると山民の立場は弱くなり、
山を出て平地の社会にまじって在来の誇りを捨てざるを得ない場合も生れてぎた。
多くの宗教者がそれである。一部の芸能人の中には大名に用いられてやや高い生活を得た刀匠や力士などもあったが、
大半は鷹匠のように武士の下風に立たねばならなかったし、木地師のように流浪生活を続けなくてはならぬ者も少なくなかった。
いわば山民は近世では敗者の立場にあったといってよい。そして山民としての連帝感も失われて今日に至っているのである。
山民の民俗なるものに統一がないのは当然といえよう。