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ローマ社会では、第二次ポエニ戦争役(BC218-201)後の政治的・軍事的混乱、
貧富の差の拡大による社会的混乱により、
もともと形式的だったローマ古来の宗教を、まともに信仰する者はいなくなった。
それに変わり、個人の好みに応じてオリエント起源の神々が導入された。
中でもアナトリアの大母神キュベレのローマ到来は、シビュラの預言書(国家の非常時に参照される)
に基ずき公式にも行われ、国家の行事(メガレンシア:大母祭)も定められた。
以後、ローマは母権的祭儀が広がっていく等、変化していく(母権時代の地母神崇拝のヘレニズム的復活)